実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第311回】DVD第2巻:Act. 8の巻(その1)


最近ネット上でみかけたコラージュのなかでも、最も感心した作品。



かなり笑ってしまった。
そういえば以前、StreamKatoさんに谷澤恵里香のDVDをいただいたけれど、StreamKatoさんはあれを何枚お持ちだったのだろうか。かく言う私も、清浦夏実のデビューアルバムを発売日に買ったけど、そのあと名古屋に握手&サイン会に来られたときにもう一枚買った、という経験がある。


さて、今回からAct.8レビューだが、これまでと違って、撮影台本との徹底比較ができる。といっても、前回テキスト全文をご紹介したとおり、このエピソードに関しては、台本と完成作品との間に違いはほとんど無い。省略されたシーンも少ない。切られたシーンも、DVDの特典映像に収録されているので、ほぼ全容を復元できる。わずかな注目ポイントも、すでに『M14の追憶』によって紹介済みである(前回もリンクを貼ったが、こちらをごらんください)。
というわけで、このレビューは本当に、重箱の隅をつつくような内容になるはずだ。でも前からそういう内容だったから、いいか。

1. メイン監督とパイロット版


ご存じのとおり、このAct.8は、田崎竜太監督が手がける最後の実写版セーラームーンだ。田崎監督は、平成仮面ライダーシリーズでも、毎年メイン監督を努めている、東映特撮のメイン引受人みたいな人だ。
もっとも「メイン監督」とは円谷プロの言い方で、東映でもそういう呼び名を使っているかどうかは知らない。このブログを始めて間もない【第4回】に書いたとおり、私はこの言葉を金子修介のブログで知った。金子修介さんは『ウルトラマンマックス』のメイン監督だった人ですが、その業務内容をこんなふうに書いています。

メイン監督をやってくれ、と言われて、最初は何の事か、想像するしかなかった。メインというからには、ローテーションの中心になって何度も登板せねばならんのか、そりゃ大変だな、とか……連続ドラマの1、2話は、「パイロット」とも呼ばれているが、円谷プロでは、これを担当する監督を「メイン監督」と名付け、全体の設定とか、キャスティングとか、その他もろもろの作業を任せる。シリーズが軌道に乗ったら、いなくなっても良いし、(監督の椅子があれば)また戻って来ても迎えてくれる、という存在だ。(「金子修介の雑記 "Essay"」2005年05月23日

これはそのまま、ここ数年の平成ライダーとか実写版セーラームーンなどにおける田崎監督の仕事にあてはまるわけですね。セーラームーンでも、田崎さんが監督した話数はAct.1とAct.2、そして前回Act.7と今回Act.8のたった4話に過ぎないが、本格的な撮影に入る以前から戦士たちの演技指導を行ない、クラウンのセットとか、映像面での基調を決め、要するに実写版セーラームーンの作品世界の土台がためをされたわけだ。
ついでに、連続ドラマの第1話と第2話を「パイロット」と呼ぶことも、私はこの金子修介の文章で初めて知った。昔は「パイロット版」とは本当の「試作品」を意味していたはずだ。つまり、まずパイロット版を作って、制作会社の上層部やスポンサー相手に試写したり、単発番組としてオンエアして、その評価をもとにさらなる手直しを加えたうえで制作されるのが、正規のシリーズ第1話、ということだったはずである。だからパイロット版と正式の第1話とでは、設定とかビジュアルがけっこう違っている。

有名なところでは、パイロット版の『マグマ大使』は「中の人」の顔に直接、特殊メイクを施していたのだが、たぶん試写で「これはあんまりじゃないか」とか不評だったのであろう、正規の第1話では着ぐるみに差し替えられた。これはみなさんも、どこかでご覧になった経験があると思う。いちど観たらちょっと忘れがたいインパクトがある。
いまの特撮番組の第1話の場合は、試写されてから放送されるまでの間に、ここまで大きな手直しが入るってことは無いんじゃないかと思う。でも、第1話や第2話の反響次第では、その後、設定に大きな軌道修正が入る可能性もあるし、何よりもスポンサーを納得させるために、最初の2話は経費のかけ方もちょっと違う。ルナがCGでよく動くとか渡辺典子がゲストに出ているとか。そういう意味ではやはり、最初の2話で様子をうかがう、という意味合いはあって、だから第3話以降とは区別して「パイロット版」と呼ぶのだろう。私は業界人ではないので、以上はただの想像に過ぎないが、そういうことで納得しています。


で、何の話だったかな。田崎監督のセーラームーンだ。
ライダーやスーパー戦隊やウルトラマンだったら、だいたい最初の2話でレギュラーメンバーは揃う。だからそれでメイン監督の役目はじゅうぶん果たしたことになる。ところが、セーラームーンの場合、Act.1でうさぎが、Act.2で亜美が登場しただけで、レイ、まこと、美奈子はまだ出てこない。そういうふうに考えると、Act.7とAct.8を田崎監督が手がけた意味は大きい。Act.7はセーラーVに初めてセリフがつくエピソードであったし、今回のAct.8は、まこととレイがメインに据えられているからだ。
特に興味深いのはまことだと思う。M14さんは前回のコメント欄で、台本に描かれたまことを「安座間美優よりもっとボーイッシュなまこと」と言われていた。確かにAct.8を観ると、作品のまことは、小林靖子の台本から受けるイメージよりも柔らかい印象がある。それに較べて、舞原監督のAct.6のまことは「ボーイッシュな」という形容がそのまま当てはまる感じだ。つまり、舞原監督は小林靖子の脚本を忠実に映像に置き換えて、台本のイメージどおりのまことを描いたが、田崎監督はそれをもうちょい、女の子らしい方向に微調整をした。それがきっかけで、その後のまことのイメージが、話数を重ねるごとに微妙に変化していったんじゃないか、とも思える。やはりメイン監督がシリーズ全体におよぼす影響力には多大なものがある。

  
……Act.6とAct.8だけどあんまり変わらないか。(笑)


で、せっかくだからついでに、最近のジュピター(『M14の追憶』より勝手にいただきました)。

2. オープニング


毎度、能書きが長くて済まないね。本編に入りましょうか。まずはアバン・タイトル。台本はこうなっている。

   セーラーVと戦うタキシード仮面。
うさぎのN「プリンセスかもしれないセーラーVに、タキシード仮面に近づくなって言われちゃった。でも、タキシード仮面を敵にするなんて絶対無理。だって……」
   タキシード仮面にハンカチを巻くセーラームーン。
うさぎのN「セーラーVもわかってくれたんじゃないかなぁ。私達の敵は、妖魔だけで充分だもんね!これからも頑張ろうっと!」


台詞はまったく変更なし。ただし台本では、映像がタキシード仮面中心になっていて、ナレーションは彼に対するうさぎの恋心をフォローしている。一方、本編の映像は、冒頭「追ってはなめ」に始まり、「運命は変えられないのね」で終わっていて、どちらかというと、前回でいよいよ登場したセーラーVの悲劇を予感させる雰囲気になっている。わずかな画像の差し替えでも、印象が変わるもんですね。左が小林台本のイメージ、右が田崎監督版である。

   
   
   


続いてタイトル、そしてクラウン。田崎ショット。田崎監督のエピソードでは、クラウンのシーンは必ず、入り口の階段の手すりからそーっと少女たちをのぞき込むようなアングルで始まる(そのことはもうこことかここにも書いた)。


Act.2
Act.7
Act.8


台本のト書きを見るとこう書いてある。

   亜美、レイ、まこと、ルナがいる。
   亜美はノートPCを広げてキーを叩いている。
   画面には『セーラーVについてのまとめ』とある。


台本ではノートPCが指定されているが、本編に出てくるのは、画面とキーボードだけからなる、いわゆるディスプレイ一体型PCである。機種は分からない。あるいは番組オリジナルかも知れない。ご存じの方がいらっしゃったらご教示ください。
以前どこかに書いたと思うが、このPCはAct.2、うさぎが初めてこのクラウンの秘密基地にやって来たときからここに置いてあった。このAct.8の本編では画面に何が映っているかは分からないが、Act.11の様子から判断する限り、普通にインターネットにつながっている普通のパソコンではないかと思う。
  
このパソコンがいつごろ番組から姿を消したかも、またそのうち、きちんと調べないとな。

3. Intermission アニメ談義


亜美と言えばアニメ版のポケコンが有名だ。アニメ版第1シリーズ(無印)の最終回の1話前、ダーク・キングダムとの最終決戦の回(第45話「セーラー戦士死す!悲壮なる最終戦」)は、戦士たちがプリンセスを守るためにバタバタと倒れて、視聴者のおともだちにショックを与えたことで有名だが、個人的には、マーキュリーが最後までポケコンを手放さなかったのが印象深い。

 原作とアニメでは、ダーク・キングダムの本拠地は「北極のDポイント」という場所にあることになっていて、戦士たちがそこへ乗り込んで行くと、DDガールズなる敵の護衛戦士が待ち構えている。これが強大な敵で、突破には成功するがジュピターがやられてしまう。そのショックで戦意喪失してしまったセーラームーンの頬を思わずひっぱたくのがマーキュリーだ。しかも「ここから先は、私より攻撃力の強いあなたたちの力が必要になるわ」という泣かせるセリフと共に、プリンセスの護衛をマーズとヴィーナスに委ね、自分は追撃してくる敵を食い止める捨て駒として残る。

 原作原理主義を標榜する実写版だが、実際にはアニメ版を意識したような描写もしばしば見受けられる、ということはこれまで何度か書いてきた。たとえばこの無印第45話では、ジュピターが突破口をつくるために、敵を巻き添えに自爆する。このあたりはAct.45で「たとえ命を捨てても、前世の使命を果たす」とM妖魔を道連れに自爆をはかるジュピターとイメージが重なる。あるいは、前回ご紹介したAct.8台本のクライマックスでは、マーズが「ファイヤーソウル」と叫んでいる、なんてのもあったね。原作のレイは使っていない技である。
そういう意味でいうと、実写版の亜美も、当初はもう少しアニメ版の優等生キャラに重なるような人物設定が想定されていたのかも知れない、と思う。それでクラウンにもポケコンならぬパソコンが、彼女のために用意されていたのだが、でもだんだん実写版の亜美が独自のゾーンに入ってしまって、パソコンもあまり用をなさぬまま番組世界から消えてしまった、とかね。


さて話を実写版に戻してクラウンの三人。いまいちかみ合わないというか会話が弾まない。そのうち、まこととレイはなにやら険悪な雰囲気になりかける。


まこと「……遅いな。うさぎ」
亜 美「掃除当番みたい」
まこと「それにしてもな。ちょっと様子見てこようか」
   まことが立ち上がるが
レ イ「大丈夫でしょ。もう子供じゃないんだから」
まこと「けど、うさぎの事だから何かドジ踏んでるかも」
レ イ「そこまでいくとおせっかいなんじゃない?」
   レイを見るまこと。
   亜美も顔を上げる。
レ イ「違う?」
   まことがソファに座る。
まこと「悪いとは思わないけどね」

Act.7の結末が尾を引いて、な〜んとなく合わない二人。台本では、次にうさぎが姿を現す場面が、次のように書かれている。

   静まりかえっている。
   そこへ飛び込んで来るうさぎ。
うさぎ「ねぇねぇ、聞いて聞いて!」
   途端に賑やかになる室内。
まこと「うさぎ、遅い!」
レ イ「何してたの。呼び出しておいて」

このあたり、台本と実際に完成した本編とでは、微妙にニュアンスが違っているような気がして、私は台本バージョンの方が好きだ。
どこが違うかというと、台本では最初の、うさぎ抜きの三人がややぎくしゃくしている感じと、うさぎがその場に姿を現すやいなや「途端に賑やかになる室内」の様子との対比が鮮やかだ。レイとまことの間に緊張関係が走っても、その場にうさぎがいなければ、二人は反感をモロにぶつけ合うようなことはしない。だから全面戦争にはならないけど、そのぶん、ちょっとよそよそしい、妙な空気になるわけですね。
でも、うさぎがやってきた途端、レイもまことも元気が出て、結局、その勢いで自分の率直な思いをぶつけ合う。対立してしまうが、自由な空気である。

亜美もレイもまことも、この段階ではまだ、それぞれ自分の心に鍵をかけてしまっているようなところがある。だから三人だけでクラウンにいても、いまいち盛り上がれない。
そんなふうに閉ざされていた彼女たちの心を、持ち前のバイタリティーと明るい笑顔であっさり武装解除してみせたのが月野うさぎである。だから三人はうさぎが来るのを待っていたし、うさぎが入ってきたとたん、その場の活気が三割増しぐらいになる。そういう意味では、まこととレイのケンカだって、うさぎがその場を活性化して、二人が自分の思いを素直に言えるようになったからこそ起こってしまったのであって、うさぎを全ての元凶であるとは、一概には言い切れなくなってくる。
と、台本だけ読んでいるとそういうふうに感じられる。ところが完成した映像では、そのあたりのニュアンスが充分に伝わらなくて、うさぎがウルサイだけのちょっと迷惑な奴になってしまうのだ。だから、お前さえしっかりして、宿題のノートをなくしたりなんかしてなけりゃ、まこととレイもケンカしなくて済んだのに、という感想も出てきてしまう。やや残念である。


と、今回はこんなところで。ではまた。