実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第252回】DVD第2巻:Act. 6の巻(その21)


盆踊りではない。『インディゴの夜』で「きらきら星」を歌ってくれている小松彩夏さん。
北川さんのご活躍に隠れ気味ではあるが、最近、いろんな作品に出てきているという点では、もっとも女優活動の盛んな戦士かも知れない。私もすべての作品を観切れているわけではない。
『東京DOGS』第5話。
東映の『853刑事・加茂伸之介』第5話。太秦で撮影中の大部屋女優。
:H220
『絶対零度』第1話。グラビアアイドルとして露出を増やしつつ、昨年の写真集「AYAKA」の表紙で、ほぼ何も身につけていない状態まで行ってしまった小松彩夏がさらに進化。ついに骨身をさらけだして頂点をきわめた。おめでとう。色即是空。


さあ、色々なコンテンツがひととおり片付いて、今回からAct.7だ。
と思ったら、昨年の暮れにAct.6の最後の方、まことが初めてジュピターに変身するシーンを鑑賞したあと、そのまま長らく放置していたことに気づいた。そうだったか。ということは、あとちょっとAct.6の残りをやって、BGMリストを作成しなくちゃなんないわけだな。


ところで、戦士たちの変身バンクは「メイク・アップ!」(変身シーン)と「お仕置きよ!」(決めゼリフ)という2つのパートに分かれている。で、これまでの演出では、だいたいこの2つのバンクは、そのままつなげて流すか、もしくは2つの間に、敵(妖魔)のリアクションを挿入する、というのが常套手段だった。
舞原監督も、初めて実写版を担当した前回Act.5では、マーキュリーの変身と決めゼリフの間には、ボヨン妖魔のリアクションを入れている。

ところが今回、舞原監督はけっこう凝っているんだ。変身バンクが終わった後(妖魔のリアクションを示すカットは一切いれず)ロケ撮影でジュピターにくるっと一回ターンさせて、カメラはそれをすばやくズームアウトしながら捉える。そのあと決めゼリフのバンクに行く。これが一連の動作としてつながるように編集されているのだ。
相変わらず妙なところへのこだわりを見せる舞原監督だが、これが、かなりのカッコ良さなのです。しかも続いて、バンクの「お仕置きだ!」のポーズとともにジュピターが発する光で、シーバンスにいる妖魔はひとたまりもなく吹っ飛ぶ。
バンクと同じ「お仕置き」ポーズをとるジュピターのカットが一瞬入ってから、次のアクションへ。手のアップから後は再びバンクフィルムで、シュープリームサンダーである。
シュープリームサンダー一閃で、妖魔はあえなく霧散する。
ここでの演出の特徴はふたつあるように思う。第一に、バンクフィルムと本編とのコンティニュイティー(連続性)の重視、第二に、戦闘シーンの大胆な省略である。
第一の点についていえば、特撮ものを論じる場合、我々はえてして、特撮部分と本編を別個に扱ってしまいがちだ。だいたいこのブログだって、変身シーンだけを抜き出して評価しているものね。でも舞原監督は、特撮シーンも、ドラマ全体の流れの中にきちんと組み込まれたかたちで見せたかったに違いない(本多猪四郎もそういう人だったし、これは「特撮」というジャンルを手がける良心的な監督に共通する志向性だと思う、ていうかそもそも、当たり前の話か)。
だからここでも、舞原賢三はシーバンスのロケ撮影部分と特撮バンクとが一体化したシークエンスを作り出そうとしている。そしてそれは、結構うまくいっている。どうしてかというと、観れば分かると思うが、たぶん、安座間美優のターンやポージングを「つなぎ」として利用しているからだ。安座間美優は沖縄アクターズスクール(B. B. WAVES)出身で、戦士のなかでは唯一ダンスの心得もあるから、ターンもきれいだ。それにモデル志望で、手足の長い抜群のプロポーションをもっているから、決めゼリフや技を放った後のポーズも美しい。そういうターンや決めポーズのカットを媒介して、特撮バンクとロケ撮影のパートをつなげてシーンを構成しているから、こっちもあまりチグハグ感を感じず、気持ちよく観られるのだ。

第二の「戦闘シーンの省略」とはどういうことかというと、要するに、普通の特撮ヒーローものだったらメインのパートとなるはずのバトルシーンが、必ずしもそういうものとしては位置づけられていない、ということである。Act.5のマーキュリーの戦いは、ポヨン妖魔との戦いそのものより、うさぎとの仲がぎくしゃくしている亜美が、どのように自分の動揺を抑え、精神統一をはかって戦いに臨むか、という描写に重点が置かれている。亜美は自分の心を落ち着かせるために、水の流れに耳を澄ませ、相手の気配を読むのである。

今回のまことの戦いも「いつも最後は一人だ」という孤独のカラを破ることにあって、それを成し遂げて自分を解放できたとたん、まことは変身して、即座にシュープリームサンダーで敵を殲滅してしまう。要するに、Act.5もAct.6も、戦いのテーマは自己克服であって、本当の敵は妖魔ではなく、彼女たち自身なんですね。
もっとも、これは舞原監督の意向と言うより、そもそも脚本がそういう方向になっていたのだろう。私は以前、実写版の戦闘シーンって、台本にはおおざっぱなことしか書いてなくて、現場と編集スタッフの裁量に任された部分が大きいのだろう、と想像していた。ところが、M14さんがいくつかの撮影台本を入手された結果、明らかになったところでは、小林靖子はバトルのプロセスをかなり詳しく書き込んでいる(例えばAct.35のこれ)。もちろん、戦闘シーンの多くはスタジオ撮影ではなくロケで行われるから、しばしば、台本の想定とはかなり異なるロケーションになる。そういう事情もあって、出来上がった映像が台本から離れている場合も多い。でも少なくとも、どの監督も、まず台本に書かれたニュアンスをどう再現するか、という観点から現場に取り組んでいるし、そういう意味ではAct.5もAct.6も、根底に流れるテイストは台本にあったものだと思う。
だがしかし、その一方で、舞原賢三という人はやはり「美少女戦士たち(特にマーキュリーとジュピター)を、それぞれのキャラクターにふさわしくフォトジェニックに描く」という命題に全精力を注ぐタイプの監督で、たぶん妖魔とか戦いとかは、彼女たちを引き立たせる場合のみ意味がある、ぐらいにしか考えていないと思う。Act.5もAct.6も、もともとの台本の流れに、そういう舞原監督自身の嗜好が加わって「まあ戦闘そのものはどうでもいいじゃん」的なことになったんだろう。それは実写版セーラームーンにとって良かったことか悪かったことか。私は良かったことと思っていますが。


本日は短いですがこれで終わり。実はこの記事を書いているあいだ、私はけっこう大変だったんです。息子のために、今日の10時から電話およびインターネット予約が始まった「恐竜ライブ Walking with Dinosaurs」名古屋公演(2010年8月)のチケットを取ろうと、電話もネットもかけまくりましたよ。しかし1時間半ほど通じなくて、通じた時には、どのダイアルもアドレスも「すみません全公演完売です」とのこと。心が折れてしまいました。また来週。