実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第235回】DVD第2巻:Act. 6の巻(その20)


 
深い意味はないが、アニメ版『セーラームーン S』(通算第75話)のセーラープルート初登場シーン(まだひきずっているな)。

1. 開き直りの言い訳



安座間美優さん、23歳のお誕生日おめでとうございます。
「Mew〜みゅう〜」 や公式 HP のキャスト表を拝見する限り、1月8日から始まる『サラリーマン金太郎2』にご出演されている可能性は高くありませんが、それでも期待して待っておりますよ。
というわけで、すっすみません。安座間さんが12月26日にお誕生日を迎えられて、何かスペシャルな企画を、なんて悠長に考えておりましたが、海外出張とか帰省とかが重なって、気がつけばこのブログそのものが、二週間にわたって更新がないまま、大晦日になってしまいました。以前は年の瀬に実家に帰ると、けっこうのんびりできて、毎日ブログを更新したりしていたもんですが、今年は母が自宅療養中なもんですから、色々やることがあって。
そういえば昨年末は、母が入院した病院に詰めながら、このブログの更新をしていました。それを思えば、非常にゆるやかな回復とはいえ、もうベッドに寝たきりというわけでもありませんし、今年は家で家族揃って大晦日を迎えることができるのですから、とてもありがたいです。
と、それはいいのだが、そういうわけで大晦日である。どれだけ短くても、せめて更新はせねばなるまい。できれば安座間さんの誕生日祝いとなるような企画を……って話が前に戻るのであるが、考えてみればこのブログはここのところ、 Act.6の DVD レビューを半年以上も続けている。ある意味ずーっと安座間美優特集みたいな状況なのだ。なので今回はこのまま淡々と進めたい。
前置きが長いわりに結局そういうことかよ。

2. 沈黙するのはスティーブン・セガールばかりではない


妖魔がタケルの身体を離れ、正体を明らかにして、まことに触手を巻きつける。助けを求めて手を差し伸べるまことだが、正気に戻ったタケルは、恐怖の叫びとともにその場を逃げ去ってしまう。

前に、この Act.6って、冒頭でうさぎがチンピラにからまれるシーンとか、所々アニメ版の影響がうかがえると書いたが、この「妖魔に襲われて、あこがれの男子に見捨てられるまこと」のシーンもそうだ。どちらも原作漫画にはなくて、アニメ版と実写版だけに共通している。
まあ似ているって言っても、「そう言われてみればそうですね」程度の類似であって、それ自体はべつだん、どうこう言うほどの話ではない。ただ、シチュエーションが似ているせいで、アニメ版と実写版のまことのキャラクターの違いがくっきり浮き立つのが面白いんですね。実写版のまことは寡黙だ。
アニメ版のまことにしても、別に饒舌なキャラクターではない。冒頭のチンピラとのケンカのシーンは、まことが、弱い者いじめなんかを見ると、つい「口よりも先に手が出る」性格であることを説明しているわけだし、うさぎとレイがにぎやかな口喧嘩を始めると「あんたたち、仲がいいんだな」と面白がるシーンもある。まこと自身にはそういう経験があまりないのだろう。
しかしそうではあっても、うさぎにインネンつけた三人組に対しては「やめな!あたし見てたよ」なんてドスをきかせたり、ケンカを終えて立ち去る時も「気をつけなよ」とニッコリ微笑みかけている。全体にわたって無口でも無愛想でもない。ただ、女の子同士のおしゃべりを好んでするタイプではないだけだ。
で、この場面なんだが、アニメ第25話「恋する怪力少女 ジュピターちゃん」では、うさぎが気を利かせて、まこととジョーのデートをセッティングすることになっている。あ、「ジョー」っていうのが実写版のタケルにあたるわけね。で、二人は喫茶店で向き合って座り、うさぎは物陰からこっそりその様子を偵察している。
ところがここに現れたのがゾイサイト。実はこのジョーという少年、 前世の記憶を失なって人間に転生した「妖魔七人衆」の一人だったんですね。ゾイサイトは彼を妖魔として覚醒させようとする。そんな事情も知らずに慌てふためくうさぎとまこと。ていうか、そもそもまことは、ダーク・キングダムを間近に見たのも、これが初めてのはずである。
それでも、まことはけなげにもジョーを守ろうとしてゾイの前に立ちはだかり、吹っ飛ばされる。しかしジョーはそんなふうに自分をかばってくれるまことを置き去りにして、あたふた逃げ去るのだ。ひそかに見守っていたうさぎは思わず飛び出し「それでもアンタ男の子⁉」とジョーに詰め寄る。が、ジョーは「関係ないね!だいいち、あんなバカでっかい女の子、おれのタイプじゃないんだ!」と言い捨てて去っていく。その言葉を聞いてガーンとショックをうけるまこと。
「また同じこと言われちゃった……」と、一瞬ヘコむまことだが「くっそー」と立ち直りも早い。ジョーの後を追ったゾイサイトの後を猛然と追いかける。ジョーを守るためだ。振られたばかりなのに、好きになった人のために最善を尽くそうとする一途な気持ちと、振られたエネルギーを即、悪い奴への怒りのエネルギーに変換する効率の良さというか、切り替えの早さが印象に残りますね。
とにかく、素手でゾイサイトに立ち向かおうというのだから偉い。しかし時すでに遅く、ジョーはゾイサイトの手で、元の妖魔の姿にされてしまっていた。
そこへセーラームーンが登場するが、妖魔の右腕からスルスルと飛び出した、UFO キャッチャーみたいなマジックハンドで身動きを封じられてしまう。なぜかというと、もともとジョーは、ゲームセンターで「クレーンのジョー」と呼ばれるくらいクレーンゲームが得意だったのである。だからこの妖魔の名前も「ゲーセーン」だ。
ともかくセーラームーンのピンチだ。するとまことは、まだこの時点では一般市民なのに「大ファンのセーラームーンに、なにすんだよ!」と怒りもあらわに妖魔に立ち向かう。というか妖魔をぶん投げてしまう。その時、額に木星の惑星記号が浮かび上がり、そこで彼女をセーラー戦士と見切ったルナが変身アイテムを渡し、第四の戦士ジュピターの誕生となるわけです。
実写版ではまことを救うために、まことの心のなかにセーラームーンが降りていったのに対して、アニメ版では、セーラームーンのピンチを見たまことが、怒り心頭に発した時に、セーラー戦士のしるしが現れる。つまりアニメ版のまことは徹底して「他人のため」に何かするタイプのキャラクターとして設定されているわけですね。



とにかくアニメ版のまことはバイタリティに溢れている。決しておしゃべりではないが、たとえば喫茶店でジョーと二人きりのときだって、顔を赤らめながらも、言うべきことはきちんと言えるのだ。言葉数が少ないのは、短いセリフで、自分の気持ちをすぱっと言い切れているから、と考えることもできる。だから後腐れがないというか、振られたら振られたで、あまりひきずらずに立ち直ることができるのである。
実写版のまことはその正反対だ。出会った日の放課後、うさぎと買い物をしてからクレープ食べている場面なんか、けっこう楽しそうだったから、本当はガールズトークとかが好きなんだと思う。 沈黙の裏側で、彼女はたくさん言いたいことを持っている。言い出せない言葉や思いをたくさん胸の内に秘めて悶々としている。自分が妖魔に緊縛されて、どうしょうもない状況に追い込まれたとき、初めて憧れの人に救いを求めて手を差し伸べるというのも、消極的すぎる話である。しかもタケルはそれを拒絶して逃げ去ってしまう。そのときようやく、これまでずうっと無言を貫いていたまことの、かたくなに閉ざしていた胸の内から、様々な想いが堪えきれずに溢れ出て、それが SOS のサインとなって、セーラームーンを召還するのである。
ところで上の段落には「悶々」とか「緊縛されて」とか「溢れ出て」という単語が出てきますが、これらの語をセーラー戦士のサイトに入れるとアクセス数が無駄に増えます。

3. ぐだぐだな一年の締めくくりはカーテンレール方式で


上の項はここ3日ほど断続的に書いていたんだけど、間に移動や大掃除をはさみながら、アニメ版のビデオをキャプチャしながら観なおし、前後のエピソードも併せてチェックして、なんてことをしているうちに、自分でも何を書きたいのかよく分からなくなってきた。年越し蕎麦と一緒にお酒も呑んじゃったし、もう頭が働かないので、このくらいにしておきます。
と言いつつもうちょっとだけ続けると、ここからまことは、ずっと閉ざしていた自分の心の奥深くに降りて行って、そこで、少女時代から繰り返された、様々な別れの場面を追体験する。最初は幼いころ、両親との死別だ。

まこと「お父さん、お母さん、行っちゃいや!」

正直いってこのときのお母さんの顔は薄笑いしていてちょっとホラーだと思う。スタッフもそう感じたのか、後で Act.31で同じシーンが繰り返された時は、このAct.6のカットは流用されずに、首から上は見えないアングルで撮り直されている。両親の立ち位置も逆だ。

というわけで結局、まことの両親がどんな顔だったのかは、いまいち分からない。 Act.31では、部屋に置かれた写真がちらっと画面に出てくるから、興味のある向きはじーっと観てみてください。
一方、少女時代のまことを演じているのは、Act.6も Act.31も鳴海美翔さん。「なるみ・みしょう」と読むらしいが、「少女時代のまこと」以外にどんな役があるかというと、2005年の映画『あおげば尊し』(原作:重松清/脚本・監督:市川準/主演:テリー伊藤)くらいしか出てこない。やっぱりあれだな、少女時代のセーラー戦士で出世したのは、いまのところ亜美を演じたコハナ(松元環季)さんかなぁ。2010年のNHKの大河ドラマは、坂本龍馬が福山雅治さんで坂本春猪が AKB48の前田敦子さん(『太陽と海の教室』の UFO 少女)なんだけど、その坂本春猪の少女時代が松元環季なんだってさ。
話を戻して、この後、両親、先生、友達、先輩、みんながまことの前から去って行く「行かないで!」
先輩らしきシルエットはジャージ姿で、やっぱり前の学校の先輩って、バスケやってたんじゃないだろうか。

 
まこと「いつも、最後は、一人だ」
 
セーラームーン「まこちゃん」
 
セーラームーン「一人じゃないよ……まこちゃん、変身して!」
 
まこと「ジュピター・パワー・メイク・アップ!」

なんか、書けば書くほどグダグダなんで、ホントにこれくらいにしたいと思います。
最後は変身シーンなんだけど、これ前回にやっちゃったなあ。
ただ、コメント欄で M14さんから「スカートがカーテンのように向かって左から右に引かれる途中」の画像を、レアだと誉めていただいたので、ここのところをもう一度くわしくやろうかと思います。今年最後の記事、カーテンのようにシャッと気持ちよく締めくくりたくて。



じゃ、みなさん、あと2時間足らずですが、よいお年をお過ごしください。