実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第233回】DVD第2巻:Act. 6の巻(その19)


  
今年の大晦日は蕎麦の代わりにこれを食うか(謎)。


忘年会の季節だ。忘年会と言えば思い出すのが、まだ真面目にセーラームーンをネタにしていたころの大家さんのこんな文章。

私はいまでも社内の宴会や取引先との飲み会がつらい。なにしろプロ野球・ゴルフ・酒の3大サラリーマンネタが苦手なのだ。いや、未知の領域なのだ。得意なアニメ・特撮・アイドルはそういう席の話題にはのぼらない。かといって、周りの喧噪をよそに一人静かに杯をかたむけることもできない。以前に書いたように下戸なのだ。だから早く塾に行きたい亜美の気持ちがわかる。(『M14の追憶』2006年2月2日

「亜美の気持ち」というのは、もちろんAct.5の「いま塾に行けばまだ……」のシーンのことね。ははは。私は酒呑みなので、大家さんのつらさを本当には分からないんだけど、でも最近はブログの記事を書く時間がなくなってきたので、先日、忘年会があったときなんかも「いま家に帰ればまだ(ブログの更新がまにあう)」という言葉が、しみじみ実感できるようになりました。
というわけで、あまり無駄口をたたく余裕も無く本題だ。

1. せっかくのバスケなんだが

まこと「ふざけるな!」

片思いだった先輩に似ているタケル(本当は妖魔)が、実は少女たちの恋心をもてあそぶひどい奴だったことを知ったまことは、怒りの鉄拳をふるう。
ちょうどそのころ、うさぎと亜美とレイは、まことの恋心につけ込んで悪戯をした少年三人組を、バスケで退治している。


 う〜ん。このシークエンスは「やった」とか「ざまみろ」みたいなカタルシスが、あまり無いんですよね。これついては黒猫亭さんの『失はれた週末』で議論されているんだけど、どこがどう違和感があるのか、もう一度ポイントを整理してみたい。
(1)このバスケ三人組は、別に妖魔に取り憑かれているわけでもないし、ダーク・キングダムと関係もない。まあ、言わば民間人だ。それを、タチが悪いからって、こんなふうに戦士の力でやっつけて良いのか?

Act.15で、うさぎが、美奈子の宝石を盗んだ泥棒一味を退治する、というエピソードがある。セーラームーンになれば簡単に宝石を奪い返せるのだけれど、たまたまその場に衛がいて、変身できない。衛も衛で、タキシード仮面になれない。お互いの存在が縛りとなり、ただの泥棒に対しては、変身せずに対処する、という状況が必然的に生まれる。
私の好きなエピソードなんですけど、ここには「民間人の悪い奴は変身せずに退治して、妖魔が出たらセーラームーンにメイクアップ」という原則がはたらいている。これをちゃんと守って欲しいわけですね。
(2)中途半端にリアルな設定。黒猫亭さんが書いているとおり、こいつらって、雰囲気的には、現実に、その辺の通りにいるチンピラ少年を連想させずにはおかない。でも現実の不良少年だったら、ニセのタケルの手紙でデートの約束をしてすっぽかす、なんて手ぬるい復讐では済まないはずだ。たとえば兄貴分の暴力団の力を借りて、まことを手込めにしちゃおうとする、とか、けっこうヤバいことにも発展しかねない。
でもこいつらは、そういう、わりとリアルな不良っぽさを連想させるわりに、うさぎたちの三対三ミニバスケット勝負の申し出を々堂々と受けちゃうような、子供番組らしい真面目な不良としても設定されていて、なんかちょっと可笑しい。
ついでに言っておくと、アニメ版でも、冒頭でうさぎにちょっかいを出す三人のチンピラが出てきたけど、あれは、対する木野まことがスケバン風なのでバランスが保てていた。しかし実写版のまこちゃんはスケバンではなくてスポーツ万能美少女だからね。ていうか安座間さんの自然体演技のおかげで、スポーツ万能にすら見えないし。
(3)はじめに「戦士の力を使っていいのか」と書いたけれど、そもそも、これって戦士の力じゃないだろう、という問題。つまり「ストリートバスケのプレイヤー」という変身の中途半端さ。

宙を舞ううさぎのスーパープレイぶりは、たぶん『少林サッカー』のカレン・モクとセシリア・チャンみたいなイメージなんだろうと思う。でも本来なら、テレティアSを使っての「変身」は、あくまでコスプレの範囲内である。たとえばAct.9で、テレティアを使って怪盗タキシード仮面に扮装したうさぎは、警官たちに追われ、袋小路に追いつめられる。

背景にビールのケースや段ボールが乱雑に置かれて画面がゴミゴミしているけど、別に佐藤健光監督じゃないからね。この回は鈴村監督だ。
……いやその話じゃなくて、この窮地にうさぎちゃんは、あせってしまって「どうしよう」状態。そこへどこからともなく「セーラームーン、変身しろ」と本物のタキシード仮面の声が響く。「あっ、そうか!」と叫んだうさぎは、メイクアップして脱出する、という展開である。つまり、テレティアでタキシード仮面に変身したからといって、それはただのコスプレで、ふだんの月野うさぎ14歳を越える身体能力が獲得できるわけではない。超常能力を身につけたかったら、セーラー戦士に変身しなければいけない、ということだと思う。だからこのAct.6で、バスケットプレイヤーにコスプレしただけで、空を飛ぶようなスーパーダンクシュートが打てる、というのは、本当はおかしいんだよね。
このエピソードって、沢井美優が中学時代にバスケをやっていたことを知ったスタッフが「沢井美優のバスケのシーンを入れる」という前提で、そこから逆算してプロットを考えたんじゃないか。再放送レビューの時に私はそう書いた。たぶん脚本レベルでは、そういう意味で「生身の沢井美優が吹き替えなしで得意のバスケのプレーを見せる」くらいのアクションが想定されていたと思うのだ。それだったら、テレティアの変身の範囲内だ。でも結局、演出側のプランがエスカレートして「少林サッカーみたいなワイヤーアクションだ!」なんてことになっちゃったんじゃないだろうか。
(4)あまり復讐になっていない。まことは冒頭でこの三人組をあっさりぶちのめしている。一対三でバスケで対決しても勝てていたんじゃないだろうか。要するに、うさぎたちが改めて力とかスポーツでこいつらに勝っても、リベンジマッチ的な意味はそんなに生じない。ましてこのとき、まことはタケルに連れられて石柱と石膏像の林立する異空間に連れ去られ、もっと重大なピンチなのである。はっきり言って民間人を相手にバスケなんかやっている場合じゃないと思うんだが。
というわけで、バスケを利用したせっかくの趣向がいまいち活きていないのが、このシーンの残念なところである。とは言え、ここでの反省を踏まえて、Act.29では、物語ときちんとかみ合って「作り物」感のない、躍動感あふれるバレーボール対決が描かれることになるのであるから、まあいいや(えっそういう結論だったのか?)。
「充電中」のダーブロウさんの活き活きしたプレー


で、そろそろ、まことの方に話題を戻します。

2. タケルは悪くない


  
Wikipediaで「メドゥーサ」の項目を見たらこんなのが出てきた、ルーベンス作『メドゥーサの首』だって。怖いね。


さて、まことの活躍によって、なる・香奈美・桃子、それにその他タケルの追っかけの女の子たちは全員、無事に解放されてこっちの世界に戻ってきた。しかしまことは、噴水広場で、ついに正体を現した妖魔に襲われる「お前だけは、お前だけは許さない」。

何なんだこいつ。前に書いたように、これまでのエピソードでは、妖魔は常に女性に取り憑いていたんだが、今回初めて男に憑依した。それに造形は神話っぽいところからモチーフをとってきている。さらに寄生していたタケルに顔が似ている(という設定なんだろうな)。だからちょっとナルシストっぽく見えたりもする。いろんな意味で、これまでになかったタイプの妖魔である。頭髪も蛇、腰にもいっぱい蛇をぶらさげている。

一方、正気を取り戻したタケルは、さっきまで自分に取り憑いていた妖魔の姿を見て、恐怖のあまり絶叫する。その叫び声を聞いた妖魔は,タケルに襲いかかろうとする。そうはさせるか、とアタックをかけるまこと。まだ妖魔のことも、自分がセーラー戦士であることも自覚してもいないのに、すごく勇気があるね。

でも妖魔の身体にぶらさがっている蛇が一匹、しゅるしゅると伸びてきて、まことの首に巻きつく。
窒息して、だんだん意識が遠のいていくなかで、まことは思わず、タケルに救いを求める手を差し伸べる。でもヘタレのタケルは、おびえた叫び声をあげて、腰を抜かしたまま自分だけ逃げ去ってしまう。
ってこれでは、まことを見捨てたタケルがひどい、男の風上にもおけない、と言わんばかりの描き方だが、でも冷静に考えれば、タケルはそんなに悪い奴じゃない。ここまで、追っかけの女の子たちにキャーキャー騒がれていることを鼻にかけているような描写もなかったし、三人組の不良とも無関係らしい。健康優良スポーツ少年である。そして妖魔に身体を乗っとられたという意味では、彼だって被害者の一人だ。
もちろん、まことを見捨てて逃げ出すのは格好わるい。でもAct.3のレイだって、プロペラ妖魔が現れて、うさぎに「レイちゃん、隠れてて!」と言われたら、うなずいてすぐに逃げ出している。

まあ、すぐにうさぎがセーラームーンに変身するのを見て「何なの⁉」と立ち止まってはいるが、でも、この段階まで、レイはうさぎがセーラー戦士だということを知らない。だから、同じ普通の中学生の女の子を見捨てて逃げちゃっているわけで、やっていることはこのAct.6のタケルと変わらないのだ(ただ、レイは霊感で、うさぎが特別な子だと分かっていたのかもしれないけどね)。
だいたい、これまでの慣例に従えば、身体から妖魔が抜け出した人は、ふつうその場でヘナヘナっと倒れて気を失ったままの状態になるはずだ。Act.1のなるちゃんママも、Act.2のアルトゼミナール講師も、Act.4の桜木財閥令嬢も、みんなそうやって人事不省におちいることで、妖魔の片棒を担がされた記憶を払拭し、罪悪感を持たずにいられたのである。ていうか、我々はこれまでずっと、妖魔に憑依された人間も犠牲者と見なしてきたじゃないですか。
ところがこのタケルだけは気絶を許されない。つい直前まで自分の身体に入っていた妖魔と直面させられてしまうのである。それで絶叫してまことを放って逃げ出して、すごいヘタレで卑怯者みたいに描かれる。ちょっと不公平だよなあ。
 というわけで名古屋支部としては、タケルは決して悪くない。ただ物語の伏線として損な役回りをさせられているだけだ、と理解しておきます。
伏線って、何の伏線か。実写版セーラームーン全話をじっくり鑑賞された方ならばただちにお分かりであろう。ここで、まことは、まだ戦士になっていない生身の少女なのに、タケルのために身の危険も顧みず妖魔に立ち向かう。そしてタケルに去られてしまう。「いつも最後は一人だ」。そうやって心に負った深い傷を、彼女はセーラー戦士になることで忘れようとする。だから彼女は、異性に心を許さない。恋をしないことは、戦士であることの代償だ。
そんなまことのかたくなに閉じた心をとかせる男がいるとしたら、条件はただひとつ。このAct.6のこの場面とは真逆に、生身でありながら、まことを守るために妖魔に立ち向かえる勇気を持った奴だけが、まことのハートをゲットできるのだ。
 そういう場面が出てくるのはAct.41で、まだまだ先の話なんだけどさ。


えーと今日はこれから息子と『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』を観に行きます。
本当は沢井さんがちょっとだけ出ている仮面ライダーの方に先に行きたかったんですが、今週後半から海外出張で、年内は息子と映画を観に行けるのは今日ぐらいで、「どっちへ行きたい?」と聞いたら「大怪獣バトル」と答えるんで、こういうことになりました。だから仮面ライダーは来年になると思います。
次週はヨーロッパ出張(笑)でお休みさせていただきます。帰国はたぶん安座間さんのバースデー。今のところ特にアイデアはありませんが、何かバースデー特別企画とか、やりたいなあ。
じゃ、そういうことで。



  【本日のおまけ】

球技が苦手な千恵子さんの緊張感あふれるサーブの瞬間(Act.29)