実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第123回】大胆にも「視聴率」の謎に迫るの巻

渦 (新潮文庫)

渦 (新潮文庫)

 

(前日の日記より続く)というわけで、みなさん昨晩の『モップガール』最終回はご覧になりましたか(静岡支部は除く)。北川さん、得意の豪快な泣きっぷりで、きっちり締めて下さいましたね。あとお父さんに電話するシーンは、まるで火野レイが、ようやく自分からパパに和解の電話をいれたかのように見えてしまって泣けました。なんて感じたのは、私だけ?いやもちろん相手は本田博太郎なんだけどさ。
ただ終わり方については、私はちょっと。もちろんみなさんおっしゃるように、続編への引きがあるのは、ファンとして嬉しい。しかし、だいぶ前にも書いたように、ここはひとまず伏線を回収し、基本的な謎をすべて明らかにしておくべきであったと思う。つまりそうすることで、謎を残したまま打ち切りに終わった本家『トゥルー・コーリング』との差別化をはかり「ウチは違いますよ、ちゃんと完結してますから」と言ってやりたかったのだ。残念である。でもまあいいや。最初は気が気じゃなくて何が何だかわからなかった北川景子のコメディ演技も、後半は余裕をもって見守れるようになった。
加えて特筆すべきは視聴率だ。おおむね10%前後であった。まあ同じ金曜ナイトドラマ枠では、今年の初めに、15%台から20%台という破格の記録を叩き出した『特命係長・只野仁』の続編が放送されたし、今期では、やや遅れて始まった土曜夜の『SP』が、同じ時間帯で15%前後をキープしているので、やや見劣りがするようにも思われる。しかし同じ枠の前作『スシ王子』が、ジャ●ーズ事務所のタレントを投入しながら、5%台から8%台以上に伸びなかった事実を思えば、大健闘である。そして何より偉いのは、箸にも棒にもかからない視聴率をネタにされ、さんざんからかわれていた我々実写版セーラームーンファンの溜飲を下げてくれたことだ。さすがはアニキだ。

 

だが私はもう『モップガール』については大家さんにお任せである。最終回の視聴率もまもなくネットに出回るであろうし、そうなれば翌週あたり、全体の総括というか、『モップガール』まとめレポのようなものが上がってくると思う(推定)。で、今回はその前提として、先月初めの『M14の追憶』「視聴率ってなによ」という記事に対するアンサーと申しますか、私なりの調査結果を用意した。要するに「そもそも視聴率って何なのよ」「そもそもこのブログは視聴率をどう考えているのよ」ということだ。これは私も、一度ははっきり書いておきたいと思っていたことだ。というわけで、以下『モップガール』や『セーラームーン』の話題はほとんど出ません。

あ、ついでに書いておくと、『モップガール』の作品論としては、『黒猫亭日乗』が近々長いレビューを公開しそうな気がする(推定)。

1. 渦


松本清張の長編推理小説『渦』(1977年初版)の主人公は、小さな劇団の主宰者だ。ある時、視聴率低下を理由に左遷されたプロデューサーの話を聞き「テレビの視聴率って本当に信用できるのだろうか?」という興味をいだく。それでマスコミ関係のツテをたどっていろいろ調べていくのである。

「東京都と近県を入れて関東地区というんですが、その関東地区の世帯数が現在約九百万世帯だそうです」
「九百万世帯?……そんなにあるのかね。こっちの推定の約二倍じゃないか、さすがだね」
「考えてみると、近県の団地の屋上なんかアンテナの密林になっていますあらね。やっぱり九百万世帯あるわけですね」
「そうすると、サンプル数がその〇.一パーセントとして九千かね。委託の家庭数が?」
「それが、そんなには配置されていないそうです」
「じゃ〇.〇五パーセント?」
「パーセンテージではわかりにくいです。とにかく関西地区はのけて、関東地区だけに限って言うと、サンプルの委託個数は五百個くらいらしいです。係の男がそう言っていました」
「なに、五百個? よく聞こえなかったが、何個と言った?」
「約五百個です」
「たったの五百個? 九百万世帯の視聴率の調査に、モニターとなるサンプル器械がたったの五百個か、君、そりゃ、ほんとうか?」
啓助はびっくりした。
「ぼくもそのテレビ・ラジオ関係の男から関東地域のテレビ世帯数と委託のサンプル世帯数とを聞いて、びっくりしました。九百万世帯に委託の標本家庭五百世帯ですからねえ」
伍東の声も、まったく意外ですという感情をナマにあらわしていた。
「そうすると、その比率はどのくらいになる?」
啓助は数字の少なさに肝を消してきいた。
「パーセンテージですか。そうですねえ、ええと……」
思案するほど微細であった。
「約〇.〇〇五パーセントになりますかねえ」
「〇.〇〇五パーセント?それ、ほんとうかね」 

驚いた主人公は、その情報源であるテレビ欄担当の新聞記者を紹介してもらって、直接いろいろと話を聞く。

「われわれシロウトにはテレビをもつ九百万世帯にたったの五百台のサンプルで、正確な視聴率がつかめるだろうかという疑問なんですがねぇ」
「それはツボをおさえているから正確ということになっています。各放送局にもスポンサーにも信用されていますから。もっとも、あなたのおっしゃるような疑問はだれでも一応は持つようですがね」

(中略)
「さっき、あなたはサンプル標本世帯がわずか五百でも調査のツボをおさえているといいましたね、あれはどういうこと?」
「ぼくが聞いた話では」
鈴木幸三は、血色のいい顔で啓助に話し出した。
「……視聴率世帯をアトランダムに抽出して標本家庭を委託するのですが、それはだいたい東京都内を中心に渦文状……渦まき状ですね、その渦まきの線の中にぽつぽつと点のように置いてあるのだそうです。」
「ははあ」
鈴木は口では啓助がすぐには合点できないと思ったか、ポケットから取材のメモ帳を出し、その紙の裏に鉛筆で渦巻きを書いて点をあちこちに入れた。
「ははあ、渦巻き蚊取り線香みたいだな」
啓助は眺めて言った。
「まったく渦巻き蚊取り線香と思えばよいです。その線香の中にサンプル家庭がはめこんであるわけですね。もちろん、この渦巻きの中心点は、そのつどずらして位置が違えるようにしてあるのでしょう」

小説のタイトル『渦』はここから採られている。
しかし500世帯、0.005%でも、実際に調査されていればまだいいが、本当に視聴率って調査されているのだろうか? だいたい「自分の家がモニターになったことがある」なんていう人に出会ったことがないではないか。さらにそういう疑いをもった主人公は、仲間と視聴率調査会社のビルを見張る。
で、出入りする人々の中から、調査員らしきターゲットを見つけて尾行して、確かに実際にデータを集めていることを確認するのだが、今度はそのターゲットが行方不明になるという事件が起こる。
失踪の直前、ターゲットは、マスコミから「批評の神様」とあがめられている評論家と接触している。どうして神様かというと、彼が新聞のテレビ欄で誉めたドラマは、どれも必ず高視聴率を取るからである。そういう人物と、視聴率会社の調査員が接触して、その直後に行方知れずになるっていうのは怪しい。主人公たちは私的な調査をさらに続行する。
 最初の謎のばらまき方なんか、なかなか面白そうな話なのだが、実は松本清張の作品としては、それほど出来の良い部類には属さない。もっと面白い作品がいくらでもあるからね。
だいたい松本清張といえば、世間的には映像化されている長編小説のイメージが強いのだろうが、しかしその本来の資質は、大長編よりも短編あるいは中編に向いていたように思う。物語のキレの良さや、推理小説としてのトリックの発想が、短編・中編的なのだ。
もちろん、うんと長い話を書かせても、起伏のあるストーリーにミステリ的プロットを組み合わせて、巧みな語り口で読者を引っ張っていく。が、それでもやっぱり私は、この人はマラソンランナーのスタミナをそなえつつも、本領は短距離走にあるという気がする。だから長編では時おり、ストーリー性とミステリ的趣向の配分が合わないで、失敗してしまう。いま取り上げている『渦』がまさにそれで、視聴率という問題をめぐってテレビ業界の暗部を描く物語部分と、失踪事件の謎を追う推理小説的な興味が、最後までうまく合流しないのである。作者が多忙を極めていた1976年に日経新聞に連載された小説というから、構想を細部までまとめきらないうちに書き始めてしまったのかも知れない。まあそれでも、力業で最後までぐいぐい読ませてしまうあたりが、さすが昭和の大ベストセラー作家ではある。

2. ビデオリサーチ社調べ


いやいや、私は松本清張をレビューするために本日の記事を書いているわけではなかった。
とにかくこの記述によれば、1970年代半ば(昭和50年前後)の関東地区のテレビ所有世帯は900万世帯であり、小説の中の視聴率調査会社「TVスタディ」社は、その0.05パーセント、500世帯の家庭をサンプルに視聴率を調査しているわけだ。
現実世界ではどうか。1970年代の日本では、アメリカの老舗ニールセン社と、電通や民放各局が出資したビデオリサーチ社という2社が視聴率を調査していて、テレビや雑誌にも「ニールセン調べ」「ビデオリサーチ調べ」というふたつの調査結果が載っていた。でもニールセン社(エーシーニールセン・コーポレーション)は、2000年に日本の視聴率調査事業から撤退していて、公式ホームページにも、当時のテレビ視聴率調査に関することはまったく載っていない。一方、国内の視聴率調査を一手に引き受けることになったビデオリサーチ社は、おそらく視聴者の疑念を払拭するためであろう、視聴率調査の実態・方法・歴史に関して、そうとう詳しいところまで情報を公開している。そこで以下このブログの考察は、ビデオリサーチ社ホームページの記事にもとづいて進んでいくが、ただし先方は、かなり厳格な調子で「直リン禁止」と言っているので、リンクは一切張っていない。元データに興味のある向きは、それぞれ自己責任で同社の公式HPをご訪問ください。
さて、そのビデオリサーチ社が関東地区の視聴率調査を開始したのは1962年12月からで、当初の調査エリアは東京23区、サンプル数は246世帯だったという。しかし2年後の1964年には、調査エリアが現行の1都6県(と熱海市・伊東市)に拡大されて、サンプル数は430世帯となった。このころの調査形式はオフライン方式で、調査員が記録テープを回収していたようだ。
この「記録テープ」というのは何かというと、松本清張の小説に書いてあるところによれば「委託世帯のテレビセットに測定装置の器械を接着させる。測定装置はチャンネルの移動を機械的にとらえて少しずつ巻きとられるロールペーパーの上に自動的にパンチしてゆく。測定器械には水晶時計が内蔵されていて、これで時刻が記録されるようになっています」ということだ。つまり昔のコンピューターのような、穴の開いたテープの形式で記録が打ち込まれて、それが自動的にトイレット・ペーパーのように巻き取られて保管されている。その巻紙を週に一度、調査員が回収しに来ていたようである。
しかし1977年にはオンラインメーターによる調査が開始され、視聴データは電話回線を通じて本社に届くようになった。そういう意味では『渦』(1976年執筆・1977年出版)に書かれているような、いちいち調査員がサンプル世帯を回ってロールペーパーを回収するようなやり方は、ちょうど小説が世に出たころには、オンライン式に切り替わっていたわけだ。しかし、このオンライン化の段階で、調査サンプル数は300世帯となる。小説の中で設定された500世帯という数字よりもさらに少ない。
それからおよそ20年たった1996年、ビデオリサーチ社はピープルメータ(PM)というシステムを導入した(関東・関西・名古屋地区)。これは世帯視聴率を記録すると同時に、家族のそれぞれが、自分が観たい番組を観るときに専用のボタンを押すことによって、個人視聴率も同時に調査できるようになっている機械だそうです(それまで個人視聴率は、日記に書き込んでもらって回収していた)。同時に関東地区のサンプル数は、300世帯から倍の600世帯に拡大された。以来、今日に至るまで基本的な調査方法に変更はなくて、現在も関東地区視聴率は、600世帯を対象に、PMシステムによって調査されているということだ。
その、サンプル世帯の抽出の仕方は、対象となるエリアの全世帯に通し番号を振って、乱数表を使って選んだ数字から等間隔で600世帯を選ぶという「ランダムサンプリング」ということだが、ややこしくてよく分からなかった。ともかく現在は、先の小説のように、渦巻き状に地図をプロットしていくやり方とは違うようだ。そして毎月25世帯ずつサンプルを入れ替えていく。したがって、24ヶ月(2年間)で600すべてのモニター世帯が入れ替わるというローテーションだ。
まあ細かいことはこのくらいにしよう。1977年に出版された小説『渦』では、関東地区のテレビ所有世帯は900万で、小説の中の「TVスタディ」社はその0.05パーセント、500世帯の家庭をサンプルに視聴率を調査していたが、現実のビデオリサーチ社は、1970年代後半にはまだ300世帯しか調査していなかった。つまり実際には全世帯の0.003%から採られた数字であった。
それからおよそ30年たった現在はどうなっているかというと、関東地区のテレビ所有世帯は17,136,000、ざっくり1700万世帯である(2007年10月調べ)。つまり30年でほぼ2倍近くの増。
はてな、と私は首をかしげたね。1970年代後半にもなれば、もうだいたいの一般家庭にテレビが普及していて、数字的には頭打ち状態だったはずだ。それが、その後30年でテレビ所有世帯そのものが倍近くも増えているっていうのは、どういうことか?
と思ったが、よく考えたら、テレビ所有世帯が増えたのではなくて、関東地区の世帯数そのものが激増したということなのである。国勢調査によると、平成12年(2000年)の首都圏の世帯数は1,608万だったのが、5年後の平成17年(2005年)には1,723万となっている。つまり関東では、この5年間で115万、毎年20万ずつ世帯数が増えているのだ。ちなみに平成17年現在で日本の総世帯数は4,678万。つまり日本の総世帯数の35%が首都の通勤圏に集中していることになる。一方で日本の人口そのものは減り続けて、全国レベルで少子化対策が叫ばれているのだから、その偏り具合はとんでもないことなのではないかと、名古屋の住民ながら心配に思う。
それはともかく、何の話をしていたんだったかな?視聴率だ。えーとですね、そういうわけでビデオリサーチ社は、1977年には900万世帯から300サンプルを抽出して関東地区の視聴率調査を行っていたが、2007年には1700万世帯から600サンプルを抽出しているわけで、結局どちらも全体に対するサンプル数の比率は0.003%ということになる。
さて問題は、いったいこれが、どれくらい全体を正確におしはかる数字と見なせるのか、ということだ。統計学の詳しいことは分からないが、ビデオリサーチ社のホームページには「標本誤差」についての説明があって、それによれば「標本数600の場合、信頼度95%(100回中95回はこの幅に収まる)で考えると、データで視聴率が10%で、考慮すべき標本誤差は±2.4%です」とのことだ。
分かりますか?私も最初よく分からなかったんですが、要するに「サンプル数600の場合、視聴率10%という数字にはプラスマイナス2.4の誤差が95%の確率で見込まれる」ということだ。同様に視聴率20%ならばプラスマイナス3.3の誤差が見込まれる。もっとはっきり言えば

統計上の誤差を考慮に入れれば、関東地区で視聴率10%と言う場合、その「ほんとうの」視聴率は、だいたい7.6%から12.4%の間である。同様に「視聴率20%」は、実質「16.7%から23.3%の間」である。

という意味だ。つまりモップガールの第3話が11.8%まで上がったとか、第9話が9.2%台に落ちたとか言ったところで、ぜ〜んぶ誤差の範囲内なので、実際には第9話の方が第3話より視聴率が高かったということだって十分ありうる話なんですね。

3. 本ブログのポリシー


第1回】に書いたとおり、この日記はそもそも、昨年東海地区のみで実写版セーラームーンの再放送が決まったとき『M14 の追憶』から発令された「中部地方の大きいお友達は、我らの約束の地のために生で視聴して再放送の視聴率を上げるのだ!」という呼びかけに応えて始まった。結局、名古屋ローカル、しかもウィークデイど真ん中の深夜放送なので、視聴率がどうだったかなんてさっぱり分からなかったが、とにかく私なりの努力はしたつもりだ。
でも、マジメに働いているビデオリサーチ社の方が、これを読まれて気を悪くされたら申し訳ありませんが、結局、視聴率データなんて、本当の意味での人気をはかるバロメーターにはなりえない、けっこういい加減なものなのである。いったい私はなんのために1年間、努力してきたのか。M14 さんにだまされた。むなしい。今年いっぱいをもって、このブログは閉鎖します。さようなら、良いお年を。




嘘である。ここまで詳しく調べたのは今回が初めてだが、松本清張の小説は、もうだいぶ以前に読んでいたし「視聴率なんてそんなもんだろう」ということは、このサイトを始めた時点で、あらかた承知の上だった。だいたい『M14の追憶』だって冗談サイトである(そこまで言うか?)。つまり我々が視聴率がらみで騒いでいることのすべては、基本的にはジョークです。
まあコメント欄から察する限り、このブログは良識ある読者のみなさまに恵まれているようなので、こんなことまであえてはっきりと書く必要はないかのも知れない。でも念のために一度きちんと言っておく。私に限らず、このセーラームーンリングのブログの方々が実写版の視聴率を取りざたするのは、一種のネタであって、本当は視聴率のことを大して真に受けていないからこそ、平気で話題にできるわけです。
したがいまして、視聴率との正しいつきあい方は、お気に入りの番組の視聴率が低かったら「そんなの関係ねぇ!」と蹴飛ばし、高かったら「やはり作品の質が数字に結びついた!」と喜ぶ、それでいいと思う。これはある程度、映画の興行成績にも当てはまります。
以上を踏まえて、あらためまして今シーズン『モップガール』の健闘に拍手を送りたいと思います。ぱちぱちぱちぱち。でも第9話が過去最低の9.2%だったので、最終回の数字がどうなるか、とても気になりますね(おいっ)。