実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第103回】今年も『眠れる森の美女』を観た

1. 前日

 現在、私は関東某所の実家に帰省中である。明日は「横浜に行きます!」なので、本当はその前日である今日中に、Act.3DVDレビューの最終回を書きたかったのだ。が、いろいろと大変でブログどころではなかったのである。どのくらい大変だったかというと、小学館『てれびくん』2007年9月号ふろく「電王 超変形!3大ライナー」と「ゲキレンジャー ぐるぐる激走ゲキファイヤー」と、小学館のおりがみぶっく10『ウルトラマンとかいじゅうたち』から、ゼットンとテレスドンとゴルドンとジラースを、ぜんぶ作って、それから『てれびくん』ふろくのスーパーヒーロートランプや 「電王クライマックスすごろく」や「恐竜キング&ゲキレンジャー2大ヒーロー水ぬりえ」をやりつつ、一方で上の子供の夏休みの宿題なんかを見ているうちに、一日が終わっちゃったんです。お盆休みって、けっこう余暇がない。

 というプライベートな話を、次回更新時に全文削除する予定で、一時しのぎにアップしておいたのだが、StreamKatoさんが「記事は削除してもいいけど、コメントは残してね」とおっしゃる。すでにコメント欄が『眠れる森の美女』神奈川公演に向けてそわそわと盛り上がっている以上、そういうドキュメント的要素を残しておけということだろう。ようがす。親記事だけ書き加えて、コメント欄はそのまま残しておきましょう。『てれびくん』ふろくネタはいつも主婦層に好評だし。というわけで、またしてもAct.3レビュー完結はおあずけ。まあ待っている人も多くないだろうからいいや。今日の日記はやはりこの話題しかないだろう。

2. 開演前

 愛知県一色町公演の興奮もさめやらぬ(推定)翌日2007年8月13日(月)。劇団東少ミュージカル公演『眠れる森の美女』が神奈川県立青少年会館にやって来た。作夏は岐阜県多治見公演に娘を連れていった私だが、今回は妻子ともども自分の実家に置き去りにしての鑑賞だ。何かだんだん深みにはまっていく感じ。
 ロケーションは横浜駅から地下鉄や市営バスを利用して15分もあれば到着しちゃう、みなとみらいにほど近い都会だ。神奈川県と言えば沢井さんの出身地なので、会場の周囲にはさぞや「沢井美優」の昇りが立ち並んでいるかと思いきや、意外に静か。開場時間の午後1時半に10分ほど遅れて到着して当日券を買ったら、13列目の「糸車寄り」の席が取れた。真ん中より前。客席数は812席。大丈夫だろうか、と最初は心配だったが、客席は次第に埋まっていって、結局 6〜7割は入ったろうか。参院選の全国投票率よりは高かったはずだ。
 私は座席について、まずはここのところお世話になりっぱなしの万丈さんにひとことお礼を言おうと、その姿を探したのだけれど、探す必要などなかった。最前列の中央、団体の子どもたちに左右を囲まれ、そこだけおじさんたちの集団が特殊なオーラを発散しているブロックのなかでも、ひときわ目立つトロピカルなシャツを着て、しかも立ち上がり、謎の伝道師さんと何やら話しながら、後方の客席を眺めていたのだ。見るからに普通ではない。私は思わず目を合わせないように顔を伏せ、座席に身を沈めかけたのだが、そこで見つかってしまったので、仕方なく最前列まで挨拶に行った。
 万丈さんは前日、秋葉原で弓原七海さん出演のイベントに参加されたそうである。で、アキバの小僧どもの人混みに埋没するもんかと、あえて目立つシャツを選ばれたらしいのだが、その効果はたぶん、必要以上にあったと思う。逮捕されなくて何よりである。またまたCD-ROMのもらい物をしてしまった。万丈さんありがとうございました。
 自分の席に戻ると、同じ列の端にカシオペアさんがやって来た。隣席の子供に「はい、こんにちは」と、にこやかに挨拶しながら座るさまは、すごくまっとうで愛想が良く、ダーツをやっている最中もカメラを離さない特殊な人間とはとても思えない。一方、同じ列のずーっと反対側には、これもHIBIKI-ENで拝見したことのある方が、何か瞑想の修行でもしているかのように、じっと腕組みをして前方を黙視している。後で聞いたらこの方がメタボ・イエローさんだそうです。ともかく、同じ色の帽子をかぶった保育園もしくは幼稚園の団体客と、親子連れの客が中心で、一見、普通の夏休みの児童演劇の会場なのだが、何かが違う。「ウォーリーをさがせ」とか「七つの間違い」のように、よく見れば明らかに異質な人種が紛れ込んでいるのだ。いや私も含めてなんだけど。
 StreamKatoさんにもお会いできた。客席にいらっしゃったときは人間らしく見えたのだが、後で芝居がハネてロビーに出たときには、両手にサブノート型のデバイスを装着していて、その液晶には見覚えのあるぽんたさんのキャラメルコーンや私のブログや小松さんのブログがひっきりなしに映し出されて、常時、何かをスキャンしていた。やはりこの方はロボットだった。その後、会場の外で喫煙している姿も目撃したが、あれはたぶん、8マンの冷却剤みたいなものだと思う。断じて人間ではない。とにかく色々な方を観察すればするほど面白くて、私は舞台が始まる前から、すでに「来た甲斐はあった」と感動して、何だか胸焼けがして、いや胸がいっぱいになってしまった。

3. 上演開始

 

 セーラームーンミュージカルなんかだと、夏公演の演目の「改訂版」を冬公演でやる、というようなパターンがあって、この場合は演出の変更のみならず、台本レベルでかなりの書き換えがある。つまり改訂版とはオリジナル版の再構築であり、演出が練り直されて面白くなっている部分もある反面、枝葉の描写に凝りすぎたり、新しい要素を盛り込みすぎて、本来のストーリーやテーマが見えにくくなる、という弊害もある。一長一短だ。
 でも今回の『眠れる森の美女』の場合は、演出の細部にマイナーチェンジが加えられてはいたようだが、基本的な部分で大きな変更はなかったと思う。昨年の舞台をベースにあちこちをシェイプアップした、全体的によく引き締まった舞台であった。だから物語そのものに関する感想は、昨年の公演について書いたこととあまり変わらない。
 一方、役者の演技は、昨年仕込んだ芝居をそのまま熟成させましたという感じになっていて、ひと晩寝かせたカレーのように旨みを増している。特に主演扱いの三人は、いずれも昨年より安定感が増している。そして誰よりも、ひいき目抜きで沢井美優の仕上がりがダントツに素晴らしかった。どこか一部分が突出して良くなったというのではない。もちろん、歌も踊りも演技も昨年より進歩しているし、そのこと自体も偉い。ただ、ばらばらに見れば、歌は1ポイント、踊りは2ポイント、演技は3ポイントほどのレベルアップというところが、全体のアンサンブルの良さで、総合的な印象としてぜんぶ5ポイントずつ上がったような感じになるところが凄いのだ。こういうのを心・技・体のバランスと呼ぶのであろう。糸車を隠し持っていたことを王から厳しく責められたとき、料理番の娘が全身で体現する抵抗の意志や感情の奔流なんか、息を呑むような美しさだった。
 もっとも、沢井党の方々は「美優ちゃん地元の公演だけあって、今日は気迫が違う」というようなことを異口同音で言っていた。だからこの日は特に出来が良かったのかもしれない、しかしそれも、連日の公演で磨きをかけていなければ、出すことのできない輝きではないかと思う。これはちょっとこちらの予想を越えた驚きと喜びであった。

4. 舞台の上の沢井美優


 それからもうひとつ、持続力ということがある。『M14の追憶』のコメント欄で boncharaさんという方が、沢井さんについて「台詞をやり取りしている役者の後ろで背景人物になっている時にも、一切集中力が途切れず、しっかり舞台を作っている」と述べていらっしゃる。まさにその通りなのだが、こういう持続する集中力というのも、努力と試行錯誤のすえに得られたものなんでしょうね。
 『Act.ZERO』の特典映像のなかで、「高丸雅隆監督の印象は?」という質問に、沢井美優は「高丸さんは、マルチな感じ、撮り方が」と答えている。マルチ撮影というのは、ワンシーンをあっちからこっちから、複数のカメラで一気にいろんな角度から撮影しておいて、スイッチしながら編集するというやり方だ。田崎監督や舞原監督たちの撮り方については特別なコメントはないから、つまりマルチ撮影がことさら沢井美優の印象に残ったということなのだろう。それから、昨年の『眠れる森の美女』の稽古中のインタビューでは、映像作品と舞台の違いについて次のように語っている。

やっぱりあの、見られる側が一辺しかないっていうか、客席側に向ける部分と向けない部分というところを意識するっていうのがありますね。カメラに撮られた時に、それも一辺なんですけど、カメラは、また裏に回ったりもするじゃないですか。だけどそれがないっていうのが…。お客さんは動かないんで、それを意識した動きっていうのが、やっぱ違うなって思います。(高口真寤の「あの人に逢いたい」)

 芝居をしているときもそうでないときも、常に「沢井美優」を演じている彼女は、自分がどっちから観られているかということを、いつも意識せずにはいられない。だから、どのカメラに向かって演技をしていいのか分からないマルチ撮影のことは気になるし、舞台では、最初から最後まで、客の視線がひたすら片一方から持続的に来るという環境に戸惑ってしまう。沢井さんはそういう女優なのだ。写真の仕事は続けるが、DVDの仕事は止めると言ったのも、おそらくそのへんの問題と関係があるんじゃないだろうか。グラビアだったら一瞬一瞬を「演じる」ことになるけれども、イメージDVDって、役を作り込んで、カメラに向かって「見せる」んじゃなくて、むしろだらだらと、プライベートっぽい映像や素顔を「撮られてしまう」という作りになるからね。そういう意味ではイメージDVDの仕事は小松彩夏向けだ。女優・沢井美優にとってはあまり好ましい仕事ではなかったんじゃないかな。
 そういえば小松さんは、青山円形劇場という特殊な舞台に立つ。円形劇場だよ。客席が360度ぐるりにあって、全方位から視線が集まるマルチアングルの極みともいえる環境だ。どうなんだろう。たとえば沢井さんにそういう仕事が振られたら、視線と演技をめぐる問題について、ものすごく悩んで考えるだろう。でも小松さんは、たぶんそういうことは何も考えないまま、舞台に上がる。その結果、むしろ無欲の勝利で大成功を収めることも、考えられなくはないのだ。ただ今のところ私は、安眠のためにも小松さんの舞台については極力考えないようにしている。
 話が逸れてすみません。つまり、そういう経験を重ねながら、沢井美優は、たとえ自分が背景の大道具同然にただ立っているだけの場面であっても、そこが舞台の上である以上「見られている」「見せる」存在なのだという緊張感を持続するすべを身につけていったのではないかなあと思う。

5. 溝呂木君よ、大志を抱け!


 それに較べると、溝呂木君の王子は、去年より良くはなったが、まだもうひとつというところである。歌も、時おりちょっとヒヤッとする。もっとも、この役は「王女」や「料理番の娘」よりも格段に難しいので、そういう意味では敢闘賞だ。
 『白雪姫』『シンデレラ』『眠れる森の美女』といった、ディズニーのアニメで有名になったプリンセス・ストーリーでは、いずれもお姫様は運命のままに継母や悪い妖精に苦しめられ、特に自分から努力することなく良い妖精に助けられ、最後は王子と結ばれる。王子なんて、ほとんど「めでたしめでたし」を演出するための道具であって、個性もへったくれもない。そういう、近代的な自我意識という観点から見ればまるで空っぽなおとぎ話のプリンセスとプリンスに、豊かな内面性を与えたところがこの芝居の眼目である。
 で、姫の方の心理の流れは、料理番の娘というオリジナル・キャラクターを対置させることでしっかり描かれる。というか、第二幕の主題がそもそも「姫の改心」なわけですね。しかし王子はそもそも出番が少ないし、しかもじっとしている時間が長い。そしてそのわりに、姫の心情を理解しつつも厳しい言葉を投げつけ、姫に改心のきっかけを与えるという、非常に重要な役割が振られている。ものすごくコストパフォーマンスの高い役だ。
 それだけでも難しそうなのに、さらにこの人の最初の登場シーンは、眠りについた王女の夢の中なのだ。私は「王子は姫の無意識の一部が人格化した存在だ」というdante-1さんのご意見(ここ)に魅かれるものを感じる。じゃあ最後に目ざめた姫の前に現れる王子は、夢の中の王子にそっくりな現実の人物なのか、それとも妖精の力で、夢の中の人物が実体化したものなのか、なんてところまで、観ている側はきっちり整合性をつけなくてもいいと思うが、でも王子役を演じている溝呂木君には「この王子って一体何者か?」ということを、あれこれ掘り下げて考えていただきたいと思う。そんなことを考えたからと言って、すぐに表面的な演技に変化が出るというものではないけれど、でもそういう、観客からは見えない部分での試行錯誤の積み重ねは、そのうちに役者としての風格の違いとなって確実に現れる。溝呂木君は、テレビの仕事とかをしていても、舞台出身の人はとにかく引き出しが多い、自分もそんなふうになりたい、と語っていた。ぜひ残りの舞台を頑張っていただきたいものである。

6. 松下萌子ノリノリ


 あとは若者役が高口真寤さんでなくてちょっと残念とか(万丈さんの話によると、別の舞台で一時的に抜けているんだそうである)、昨年のレビューでも触れた緑の妖精(矢嶋美紗希)は相変わらず優雅で、今回は第二幕に出てくる蝶々役のバレエもなかなか良かった(特に頭の小さい方の人。たぶん去年と同じキャストなんだろうけど、なぜか今回は印象に残った)とか、細かいことを言い出すと色々あるが、まあそういうことは措いといて、最後に松下萌子について触れておこう。
 昨年の公演では、これもレビューに書いたように、私は松下さんのアイドル唱法にすごく不思議な感じがして、正直なところ、今ではその印象だけが強烈に残っている。だから間違っているかもしれないが、でも歌は昨年よりかなり良くなっているのではないだろうか。
 ところで昨年の三越公演が始まった時点で、松下さんは若者役の高口さんから「自分の役で好きなセリフは?」と訊かれて、次のようなすごいことを言っている。

好きなセリフ?そうですねえ、命令するセリフはけっこうね。あんまりこう、普段生活していて、すごい大きな声を出すって、ないじゃないですか。だからこう「早くしなさい!」とか、そういう命令口調のセリフ、大きな声を出すセリフは、なんか、言ってて気持ちいいですね。スカッとする。あはははは。「そこのクマさんたち、さあ行きなさい!」とか、わりと気持ちいい。最初はしんどかったんですけど、最近、気持ちいい。(高口真寤の「あの人に逢いたい」)

 そして、姫の役をかなり自分のものにして余裕の出てきた今年は、このことば通り、そのわがままなお姫様ぶりにターボがかかって、明らかに楽しみながら演じている。命令セリフを言う松下萌子はチョーいい感じでノリノリだ。その結果、孤独だったり、本当の愛情に飢えていたり、それなりに複雑なはずのお姫様のキャラクターが、かなりシンプルに整理されてしまったけれど、まあしかし、それでいいのだ。
 というのも、演出の源紀(げんき)氏は、劇団東少の創始者の父、相羽源次郎氏からこの芝居を受け継いだとき(2001年の細川ふみえ版)、この夢のシーンをだいぶオリジナル台本から書きかえたと言っているからだ。私は、最初に登場する松下萌子の姫が、わりと孤独で淋しい女の子だったりするのに、夢のシーンでそういう設定がもうひとつ伏線として活きてこないのは、この書きかえに原因があると思っている。夢のシーンを前提に考えると、その前の王女も、もっとシンプルなワガママさんでいいのだ。そして命令セリフが好きな松下萌子は、はからずもそういう方向で、王女のキャラクターを軌道修正したのである。なんてな。

7. 舞台終了後


 舞台が終わってカーテンコール。ここで私は観てはいけないものを観てしまった。中央最前列で「あの人たち」が全身全霊を込めて拍手しているのだが、そのうち二人ほどが、身を乗り出して、しかも両手を高く上げて拍手しているために、狂乱するシルエットが後ろの席からは丸見えというか、舞台効果の一部になってしまっているのだ。ひとりはオーロラさんだった。もう一人は、中休みの時にソフトクリームを食べていた人だ。とんかつさんである。私はとにかくこの二人に目を奪われてしまい、そうだ沢井さんだ!と思ったときには緞帳が降りていた。なんだよ、最後を見逃しちゃったじゃないか。
 そのとんかつさん、恒例の出口でのキャストお出迎えが終わると、すぐに「でわでわ」と去って行かれた。実は仕事の中抜けで来ていたので、また仕事に戻られたのだという。すごい。
 さあそういうわけで、舞台終了が午後4時ごろ。それから2時間近くの間、私は小松党のStreamKatoさんと一緒に、噂に聞いていた沢井党の「出待ち」をこの目で目撃するという、またとないチャンスを得た。
  本当だったら「出待ち」だけでなく「入り待ち」も見学しておくべきなのだが、とてもとても。なにしろ万丈さんなんか、午後2時の公演のために、4時間前の午前10時にはこの会場に来られていたそうである。しかもその時にはすでに「他のみんなはもうだいたい揃っていましたよ。とんでもないやつらだ」というのだ。いやあなたも充分とんでもないです。
 どこで「出待ち」をするかという事前調査はすでに済んでいて、今回はみんな、お客さんが出入りしたのと同じ、会場の玄関から帰るはずだという。そこで警備員の視線を浴びながら、今回の舞台の反省会である。キャストの一人の衣裳がほつれていたので、前回の公演後にちゃんと注意したはずなのに、直っていないじゃないかとグチったり、今回の大臣のアドリブギャグは、お子様向けとしてはお下劣すぎなかったか?いやあれは我々向けだからあれでいいんだ、とか議論しあったり、その他こまかい段取りの間違いなどをひとつひとつチェックしていた。そしてふと会話が途切れ(何でおれたちこんなことやってるんだ)という空気がただようと、誰からともなく「まあ、我々は劇団関係者だから」と言って、ふふふと笑い合うのである。
 『M14の追憶』がこの方々を「まるで劇団関係者」と言いたくなる気持ちはよく分かるのだが、しかしこの発言は明らかに、彼らにある種の自信を与えてしまったと思う。大家さん、みんなアレを読んで、その気になっちゃってますからね。

8. 沢井党の素敵な面々


 そういう会話の間も、こまめに携帯のチェックを忘れない人々が「萌子ちゃん、いま楽屋からブログをアップしたぞー」とか、「とんかつのヤツ、もうコメント一番乗りしてる。仕事中のはずなのに」などと情報交換(?)をしたり、さらには「今日は○○役の△△さんは友だちとこの辺で食事をして帰るらしい」という、いったいアンタどこでそんな話を聞いたのかというような話題でそれなりに盛り上がったりしながら、しかし全体的には物静かに、黙々と役者さんたちが出てくるのを待っているのだ。
 やがてキャストが姿を現す。地方公演だと、みんな一緒に出てきて、バスに乗って宿まで、ということもあるのだろうが、今回は横浜なので、各自バラバラに出てくる。誰か出てくるたびに、写真を撮るとかそんなことは一切せず、みんな一斉に立ち上がり、玄関前に整列して「お疲れ様でした。今日は最高でした」と声をかけて見送りをするのだ。とにかく凄いが、このあたりはM14さんが書かれている通りなので省略。
 沢井さんが出てきたのは三番目くらい。かわいい。今回は出迎えの車が外で待っている。
 沢井さんはこういうとき、ずーっと車の中で後ろを向いて、いつまでもファンにに手を振り続けてくれるそうだ。だから沢井党も、車が見えなくなるまでずーっと手を振り続けて見送るのが決まりになっているんですって。
 しかし今回は「ここは美優ちゃんの地元だし、あまり騒いで周囲の目を引くのもかえって迷惑だろう」というオーロラさんの大人の提案により、出て行くときに整列して見送るだけにとどめ、玄関から外へは出て行かないことになった。すごい気づかいだなあ、と私は感心していたのだが、沢井さんが走り出した車の窓を大きく開けて、身を乗り出すようにしてこっちに手を振ってくれたとき、引き止めるSTARHEALERさんを振り切って「美優ちゃ〜ん」と外に飛び出したのは当のオーロラさんだった。両手を振り回し、車の後を追い駆けてゆくその後ろ姿を観ながら「だからあの人は、いつも言ってることとやってることがぜんぜん違うんですよ」と謎の伝道師さんがつぶやいた。
 その後きれいなきれいな松下萌子さんや、王様や大臣や妖精のみなさんや、ともかく全員をきっちり見送った後で、出待ちはお開きとなった。会場玄関わきの守衛室では、役者が全員出たら会場を施錠することになっていたらしく、警備員の方々が「もうこれで全員かな」などと話し合っている。そのかたわらを「ええ、私たちが最後で、あとはもう居ませんから、もう閉めていただいてけっこうです。お疲れ様でした」と爽やかな笑顔で通り過ぎていく沢井党の面々。やはりこれはM14さんが書かれたように、関係者と呼ぶしかないのかも知れない。
 いや、関係者以上である。出待ちの間、どなたかが「このあいだ小池さんが、君たちふだん何やって食ってんの?って心配してくれた」とか言っていた。すでに役者さんたちから、感謝の気持ちを通り越して「そんなことばかりやってて大丈夫なのか?」と生活の心配までされているのである、この人たちは。


 とにかく、これほど濃い時間を過ごしたことはちょっとない、というぐらいの貴重な経験であった。これから一緒に晩飯に行くという皆さんに別れを告げて、私は心地よい疲労とともに横浜に向かう電車に乗り、帰路についたのである。沢井党のみなさん、いろいろとありがとうございました。またよろしくお願いします。


 P.S. StreamKatoさんは、前日、目黒で『BABEL』を鑑賞して、翌日も目黒で『BABEL』を鑑賞する予定だと言われていた。沢井党のみなさんが半ば感心し、半ばあきれながら「舞台は毎回毎回違うけど、映画は同じ映像の繰り返しじゃないですか」「だいいちこまっちゃんのCM、一瞬しか画面に映んないんでしょ」などと口々に問いかけると、StreamKatoさんは静かに微笑み「いや、繰り返し観ているうちに心の眼が開いて、今まで見えなかったものが見えてくるんです」と答えていた。もはや並みの人間を越える「心の眼」までゲットした人工知能、それがStreamKatoである。