実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


最新記事〕 〔過去記事〕 〔サイト説明〕 〔管理人

【第94回】DVD第1巻:Act.3の巻(その1)


1. いちげんさんなもので


 今さらご存知でしょうが、mixiというところは、どなたかお馴染みさんの紹介メールがなければ入会できない、という、京都は祇園界隈のお茶屋さんと同じシステムをとっている。
 もちろん私は先斗町で舞妓あそびをしたこともないし、だからこれまでmixiとも縁がなかった。そうしたら先日、ある京都府在住の方からご招待のメールをいただいた。いや浜千咲ではないよ。私はその方に「万丈はん、おおきに」とつぶやきながら初めてmixiに入ろうとしたわけです。が、なんと、入会申請にはPCのアドレスだけではなく、携帯電話のメールアドレスも必ず登録しなきゃならないという。でも私は携帯電話ってものを持っていないんだ。
 て言うと最近はよく「どうして?」と聞かれるのだが、別に携帯を持たないことに理由はいらない。営業とかやっていれば別だろうが、デスクワークだらけの現在の私には必要ない。PCのメールで十分だ。
 調べてみたら、mixi入会に携帯アドレスの登録が必須になったのはこの春からだそうで、入会を申し込むとPCと携帯の双方に折り返しメールが来て、その両方で認証して、ようやくログインできるらしい。だから「それっぽい携帯アドレスを適当に書いておいたらどう?」という、万丈さん ある奇特な方が教えてくださったワルい技も使えない。
 さらに調べてみたら「この制度はあくまでも、フリーメールなどを利用して個人が複数アカウントを取得することを防止するためのものなので、個人を特定できる大手プロバイダの有料アドレスからであれば、携帯アドレスなしでも入会できる」と書かれている記事もあった。そこで私は万丈さんにお願いして、yahooメールのアドレスではなく、自分の加入しているプロバイダのアドレスに、改めて招待状を送ってもらったのである。でも結論から言えば、やっぱり携帯アドレスは必要なのでした。可能性としては(1)私の入っている名古屋のケーブルテレビ&インターネットサービスの「starcat」は大手ではない、(2)「大手プロバイダなら大丈夫」というのはウワサに過ぎず、本当は携帯を持っていない人は今後mixiには入れない、のどちらかだ。とにかくそういうわけでmixiはあきらめた。万丈さん、二度もメールを送らせてしまって、結果的にはこういうことになっちゃいました。「ダメだったらブログのネタにしてみます」と言ったとおり、本当にネタにしてしまいました。
 しかし「携帯アドレスを申請させれば複数アカウントの取得をある程度ふせげる」という理屈もよく分からないなあ。携帯ってサブアカウントとか取りにくいものなんでしょうか。ということは、しかしもういいや。実写版DVDレビュー、Act.3である。

2. 忘れられた別館(もしくは月刊「MY HEART」VS年刊「M14の日記」)


 さて、前回の日記に書いたように「アンチ原作ファン」に事前から睨まれていたという事情もあったし、なにしろ、あのセーラームーンのリメイクということで、実写版は放送開始直後から、ネット上のオタクな人々の間であれこれと話題になった。そして早くも肯定派と批判派の闘いの口火は切って落とされ、幾つかのサイトの掲示板は戦場と化した。そのうちのひとつ「セーラームーンランド」の緊迫した空気については、M14さんのこの記事なんかがけっこうリアルに再現している。繰り返すがこの記事である。二度も重ねてリンクを貼ってみたのは言うまでもない、ひょっとして大家さん、別館の存在をすでに忘れていやしませんか?最後の更新が2006年6月24日。あれからちょうど1年たちました。いや本館の企画とかでも大変そうなので、更新しろと言っているんじゃないんですけど、ただ心の片隅にでも憶えておいてください、そして冬頃までにはもう一度だけやってきて、更新してください。アタシ着てはもらえぬセーター編んで待ってます、そういう、けなげな別館の気持ちを代弁したかっただけです。
 脇道にそれた。私の場合、当初は2ちゃんねるの特撮板なんてのもけっこう覗いていた。なのでわりとよく憶えているのだが、Act.1やAct.2の段階で、早くも肯定派と否定派の対立ムードが高まり、一触即発、どうなることかと固唾をのんでいたら、Act.3の放送でそれがにわかにしぼんでしまった。理由は主として監督にあった。責める側も守る側も「この演出家を真剣にやりあってもしょうがないな」という感じで、ぴりぴりした空気が一気にへなへなとゆるんだのである。このように、高丸監督登場のインパクトは、アニメ派と実写派の闘争さえ一時的な休戦状態に追い込むほど、ラブ&ピースな脱力感を伴うものであった。
 でも、高丸監督がなぜ初めから、あれほどジョークの対象にされたのか、当時も今も、私にはよく分からない。実写版の監督のなかでは唯一、『成田離婚』(1997年)や『ニュースの女』(1998年)のようなゴールデンタイムのドラマや『OLヴィジュアル系』(2000年 )とか『サトラレ』(2002年)みたいな、ちょっと遅い時間帯のナイトドラマなど、特撮ジャンル以外の作品をあれこれ手がけていた人だ。幅広いキャリアを誇るフリー演出家である。名匠、田崎竜太に続く人として、もう少し期待をされても良かったはずなんだが。いや、ひょっとしてそういう一般ドラマを沢山撮っているところが、オタク的にはウザイと思われたのかもしれない。あるいは、実写版以前のそういう作品群が、けっこう脱力系の演出で、すでに有名だったということか。実は私、実写版以前の高丸作品はほとんど観たことがありません。
 まあそういう、キャリア的なことは措くとして、作品の内容自体についても、私は、このAct.3と次回のAct.4って、言われるほど出来が悪いとは思っていない。もちろん、後半のアクションシーンは、どちらも目も当てられないほどの惨状ではあるし、特にAct.4は、ひいき目に観てもかなり辛い。しかし田崎監督が担当したAct.1、Act.2でさえ、戦闘場面はまだ多くの課題を残したままだったのだ。もちろんそのクルクルでヒラヒラなバトルシーンには、それなりの味わいがあるのだが。
 だからアクション場面のヘタレっぷりについては、スタッフの連帯責任ということで、ちょっとお目こぼしいただきたい。そうすると、Act.4はともかく、Act.3は、なんだかんだ言ったって、シリーズの流れのなかで、押さえるべきところはきちんと押さえているではないか、と思うのだ。もちろん脚本の出来がすごくいいので、それにひきずられた部分もあろうが、ドラマ全体の中心をなす火野レイという少女の孤独や感情の流れは、しっかり描けているし、最後のマーズの涙だって、とてもいい。そう思いませんか?
 でもそういう面については、すでにAct.3再放送レビューのときに詳しく書いたので、今は繰り返さない。ここでは、高丸監督のもうひとつの特徴、つまり「素材の天然の魅力を引き出す」という点を取り上げる。これまでも何度か言ってきたように、高丸監督は、その時点で役者がもっているあるがままの魅力を、100%引き出すことができる。それ以上のものを引き出そうとはしないのが欠点とはいえるが、逆に無理やり搾りださないことによって、素材のナチュラルな魅力が過不足なく表現されるのだ。今回はそのへんについてもう少し考えてみたい。

3. 歳月を経てさらに高まるポイント


 特撮番組のヒロインに起用されるのは、だいたいが新人に等しい駆け出しのタレントだ。『ウルトラマンダイナ』の山田まりやのように、すでに人気のあるアイドルが使われる例はそんなに多くない。だから監督は、世間には知られていない本人のイメージよりも、物語の中の役柄のイメージを優先する。一方、ゴールデン・タイムなんかのドラマでは、人気女優が主役に起用されるから、タレントのイメージがまず先にあって、ドラマの中の役柄は、それに合わせて作られていく。実写版『エースをねらえ!』も『アタックNo.1』も、岡ひろみや鮎原こずえのキャラクターより、上戸彩のイメージが先行するのだ。はっきり言って、上戸彩がテニスをやったりバレーをやったりしているようにしか見えないのだが、それは失敗とは見なされない。
 さっき書いたように、高丸監督はゴールデンのドラマで仕事をしていた人だ。だからそういう「タレントのイメージ先行」型の演出が身についている。台本の役柄に合わせて、新人をびしびし鍛える、なんて田崎監督みたいな真似はしたこともない。
 たとえばこのAct.3で言えば、うさぎとレイの初対面シーン。歩きながら亜美との話に熱中するうさぎは、通称「ルナ橋」(赤羽緑道パークブリッジ)で、反対側から来るレイに気づかず、ぶつかってしまう。すぐに「ごめんなさい!」と頭を下げるが、レイは無言のままじっとうさぎを見返す。うさぎ・レイ・亜美の三人が初めて顔を合わせる場面である。
 ここはレイが事実上の初登場をはたすのだから、物語の中のレイのキャラクターをまずヴィジュアル一発で分からせる演出が必要である。レイは「〜だわ」みたいなしゃべりかたをするお嬢様である。通っている学校も、うさぎたちの十番中学よりちょっとセレブだ(という設定が実写版で具体的に語られることはないが、イメージ的にそうだと思う)。北川景子が最近Docomoのコマーシャルでやっているほどのお嬢様ぶりではないけれど、とにかく育ちが良い。そういう深窓の令嬢的な雰囲気に、気の強さと孤独の影が加わって、にわかに近づきがたい霊感少女の神秘のオーラが醸し出されていなければならない。
 だから、田崎監督や舞原監督だったら、たとえばレイの制服についても「もっとお嬢様学校っぽくして。うさぎや亜美のセーラー服と、はっきり違いが分かるような高級な感じに」とか、衣装に注文をつけたかも知れないし、うさぎとぶつかったときのレイのリアクションについては「お前はお嬢様なんだから、そんなレディースがガン飛ばしするような睨みつけ方をするな。もっと気品のある、凛とした感じでキリっとうさぎを見つめるんだ。それから右手!かたく握りすぎだ。どう考えても相手にパンチを出そうとしているようにしか見えない。それから足を開くなぁ!」とか、ビシバシ指導してリハーサルを繰り返すんじゃないかなあ、と思うのです。
 でも高丸監督は、たぶん何もしていない。役づくりをさせず、タレントのカラーをそのまま出すゴールデン方式だ。だからレイは、握りコブシで、足は開きっぱなしで、うさぎを睨みつけている。これは火野レイではない、北川景子だ。高丸監督は、最近で言えば上戸彩とか長澤まさみとか石原さとみとか、そういう人気タレント主演のドラマを撮るのと同じ手法で、当時はほとんど無名の新人だった北川景子を撮っちゃったのである。
 そのおかげでこの場面は、今日「あの北川景子の女優デビュー映像」というかたちで流されたとしても、「へえ、あの北川景子がこんな役をねえ」というような異和感が、まったくない。何しろこれは火野レイ仕様ではなく、デフォルトの北川景子なのだ。さらに何年も経って、北川景子がもっと大女優になったあと、この映像を見た人は「すごい、デビュー作から役に媚びずに景子ちゃんになっている。この頃からもう大女優の片鱗があったんだ」なんて思うかも知れない。そういう意味で、私は、北川景子にとっての火野レイは、たぶん将来、松田優作にとってのジーパン刑事と同じような位置づけになるのだろうと思っている。そしてそれは初登場回が高丸監督だったからこそ可能だったのだ。他の監督だったら、もっと役を作り込んでいただろう。
 という具合に、このDVDレビューでも、私はやはり、高丸監督を誉めたたえる方向で、やれるところまでやってみたい。ただ、変身後のシーンは問題である。「素材のナチュラルな魅力を撮る」ことに長けている高丸監督は、セーラー戦士に特殊加工されてしまった素材となると、もう手が出ないのだ。だから将来お宝映像として公開するときは、マーズ初変身の時の眉毛とか、極力避けて欲しいと願っているのだが、しかしまあ、世間の人は初登場シーンよりも、むしろああいう場面の方に着目してしまうのだよな。

4. カバンの問題、そして「幻の銀水晶」


 さて、1週間ぶりの更新だし、今回はあと2項目くらい書いて終わろうと思っていたのですが、実は本日とつぜん、月曜日までに大量の報告書を出すよう命じられて頭を抱えています。しかしいきなりそんなこと言われても、たぶん今日中に仕上げるのは無理だな(笑)。でも大雑把なアウトラインぐらいは月曜までに作っておかないといけないので、今回は、あと「カバンの問題」だけざっと整理して、残りは次回以降、次の更新はたぶんまた週末ってことで、すみません。
 カバンの問題というのは、ひとつ前の回に戻ってしまうが、Act.2の亜美のカバンのことだ。さっき挙げた、レイとうさぎと亜美の初対面のシーンは、私には亜美のカバンがペタンコ過ぎるように見える。うさぎはともかく、亜美のカバンは、教科書以外にも参考書とかがけっこう入っているはずだから、もっと重さと厚みを感じさせなければいけないのではないか。
 実際、ディティールにもこだわる田崎監督ならそのへんはぬかりない。田崎演出では、軽そうなカバンを肩にかけているうさぎに対して、亜美は、けっこう中味がつまって重そうに見えるカバンを左腕に提げている。これに較べると高丸監督はやはり細部がいい加減である。高丸演出の亜美は、うさぎとまったく同じスタイルで、ペタンコのカバンを右肩にかけちゃっているのだ。
 と思ってもう一度Act.2を観なおしたら、あれれ、私の記憶違いか。つまりね、亜美が橋のところで行き倒れになっているルナを拾う、そこへうさぎがやってきて、初めて会話を交わす、というシーンでは、亜美のカバンはあまり重そうには見えず、うさぎと同じように右肩にかけているのである。ところがその次の、繁華街を歩く二人のシーンから、CDショップの美奈子のポスターの前での別れの場面までは、亜美は、それなりに中味の入っていそうなカバンを左手に提げている。なぜだ?


 いやそれだけの話なんです。う〜ん。書いたはいいが、なぜそうなるのか、考察はぜんぜんできていない。田崎監督のケアレスミスかもね、って、ちょっとこれだけでは愛想が悪いか。じゃあ最後にAct.2とAct.3の、今回はじめて気づいて感動した、小林靖子による細部のセリフの連携プレーについて触れておきます。
 Act.2で、初めてクラウンの秘密の部屋に入ったうさぎは、ルナカラに大喜びだ「愛野美奈子の新曲も入ってる!」。でもルナは真面目に語り始める「ここでなら、秘密の話もできるでしょ。私たちの使命は、目ざめようとしている巨大な悪のかたまりを封じることよ。でもそのためには、プリンセスと幻の銀水晶を探さないと」
 これ、映像で観てみると、はじめの「ここでなら、秘密の話もできるでしょ」といセリフには、うさぎもそれなりにうんうんと頷いているが、だんだんルナのいうことがむずかしいのでどうでもよくなって、最後の「プリンセスと幻の銀水晶を探さないと」というセリフに至っては、ほとんど聞いていなくて、テレティアを使って黒の網タイツに変身してしまう、というプロセスがよく分かる。つまりうさぎは「妖魔を倒すのが戦士のつとめ」であることくらいまでは、この時点で頭の隅っこに記憶してはいたが、プリンセスと銀水晶のことは、上の空でロクに聴いていないのだ。
 そして今回、Act.3冒頭のクイズ大会。

ル ナ「4人のセーラー戦士の使命は?」
うさぎ「はいはいはい!人間のエナジーを奪う妖魔と戦うこと」
ル ナ「ブーッ。それだけじゃダメ、はい亜美ちゃん」
亜 美「プリンセスと幻の銀水晶を探し出して守ること」
ル ナ「正解!」
うさぎ「幻の銀水晶って、何だったっけ?」
ル ナ「もう、うさぎちゃんたらぜんぜん私の話、聞いてないんだから。幻の銀水晶は、ものすごい力を秘めた宝石なの。敵の手に渡ったら、地球がすぐにも滅んでしまうくらいの」

 さっきのAct.2の場面で、うさぎが銀水晶のことを聞き逃していたのと、このAct.3の会話は正確に対応している。きちんと辻褄があっているのに感心させられる。と同時に、すでに自分の使命の最終ターゲットを「幻の銀水晶」に定めている亜美と、「幻の銀水晶って、何だったっけ?」と無邪気なうさぎの対比がとても切ない。シリーズも最終クールに入ると、亜美は「幻の銀水晶」の意味を読み解く役回りに徹することになり、うさぎは、どう対処して良いかも分からないまま「地球がすぐにも滅んでしまうくらいの」銀水晶の力を自分自身に背負わされて、悩み傷つく。そういう二人の運命が、この会話で、すでにほのかに暗示されているような気もするのである。