実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第85回】DVD第1巻:Act.1の巻(おまけ)


子どもが連日39度を越える熱でね。ちょっとバタバタしていて、更新が遅れました。


 ところで先日24日(水)は、仕事帰りに夜9時まで営業している書店に立ち寄って、閉店になるまで、「本日発売」とおぼしき雑誌のたぐいを物色したのだが、見つからなかったよ。たまら氏が関わっておられるという、安座間さんの半面記事のことである。情報誌から始めて、スポーツ誌、ビジネス誌、ともかく普段は見向きもしないものまで、手当たり次第に開いてみたんだけど、それらしきものには巡り会えませんでした。ヒントなさすぎ。名古屋じゃ手に入らないのか?
 まあいいや。記事に携わった御本人は、最近みつけたという沖縄料理の店で、泡盛で祝杯でも上げられたでありましょうか。いや、ここんとこ忙しそうだし、そんなヒマないか。

1. 妖魔(ドゴラ)


 そう言えば、そのたまらさんが、この日記にコメントをくれはじめた頃「今回の妖魔は女性っぽい」などと書かれた。私は「そうか、そういえば妖魔の性別なんて考えてみたこともなかったな」と感心した。それで、再放送が終わったら、そういう考察も含めて、あまり触れることのなかった妖魔の大事典でも作ってみようかなんて思ったんだが、いきなり困ったね。Act.1のCG妖魔って、これ男性か女性か?名前をつけるなら何だ?
 大伴昌司以来(って古すぎるよ)特撮ものの世界には「怪人・怪獣大図鑑」のたぐいが付き物であった。最近の仮面ライダーにだってある。アニメ版セーラームーンの妖魔もみんな名前をもっていた。でも実写版に関してそういうものが公表されたことはあるのだろうか?そもそもすべての妖魔に名前はつけられているのか? 
 『M14の追憶』の台本比較の楽しみのひとつに、小林靖子が妖魔に何という名前をつけているか、というのがある。以前、Act.16では妖魔(金)という傑作があった。いったい何がどう(金)なのか。私が考えに考えた末の解釈は【第49回】の冒頭をご参照ください。最近のAct.43では妖魔(雫)というもあったね。
 それからM14さんはかつて、セーラー戦士と妖魔の全対戦表作成という壮大な試みもやっておられる。あの表のなかで、便宜上すべての妖魔に名前をつけてあったはずだが、どうだったかな。えーとこれだ。Act.1の妖魔は「渡辺典子」か。いきなり身もフタもない。
 セーラームーンネットJのデータベースを見てみたが、ここも「水のような物質でできた3本の巨大な腕、金粉入り」という説明があるだけで、名前がつけられていない。けっこう便利な「だ☆めーづ」の「全怪獣怪人リスト」のこれなんか見ると「手の妖魔」とある。う〜ん。
 で私の結論としては、今回、Act.1の妖魔は、妖魔(ドゴラ)という命名にしておきたい。でも「ドゴラって何だよ」っていう方も、ひょっとしておられるかな。こんなのです。性別はやっぱりわからない。

2. 角川三人娘


 さて前日の日記で「次回は資料編です」などと予告したものの、考えてみたらデータ的に書かなきゃならんようなことはそれほどなかったですね。ゲストの渡辺典子さんについても、みなさんご存知のはずで、あえてデータを上げるのもどうかと思うし。と言いつつ書いてしまうわけだが。
 渡辺典子、1965年7月22日大分県生まれ。1982年4月18日 に行われた角川映画新作オーディションに優勝、その年に公開された映画『伊賀忍法帖』ヒロイン役に、5万7000人の中から選ばれた。これは前年に薬師丸ひろ子人気がピークに達した、その翌年のできごとだ。ちょっと前後の流れを年表にまとめてみる。

1981年12月19日(薬師丸ひろ子)映画『セーラー服と機関銃』公開。主演と主題歌(1stシングル)
1982年04月18日(渡辺・原田) 「角川映画大型新人女優オーディション」(優勝:渡辺典子 特別賞:原田知世)
1982年07月05日(原田知世)  テレビドラマ『セーラー服と機関銃』で女優&歌手としてデビュー
1982年12月08日(渡辺典子)  映画『伊賀忍法帖』劇場公開でヒロインとして女優デビュー
1983年07月16日(薬師丸・原田)映画『時をかける少女』『探偵物語』の2本立て公開
1983年11月03日(渡辺典子)  映画『積み木崩し』公開

 1982年のオーディションは「第二の薬師丸ひろ子を探せ」であった。で、選ばれたのが当時16歳だった渡辺典子、と言いたいのはヤマヤマだが、あの頃をご存知のみなさんには説明不要であろう、このとき、事実上「選ばれた」のは、優勝した渡辺典子ではなく、特別賞の原田知世であった。このオーディションは年末映画『伊賀忍法帖』のヒロイン役を選ぶためのもので、まだ14歳の原田知世はその役柄にはふさわしくなかった。しかし彼女の魅力に参った角川春樹は、最終オーディションの日に突然「特別賞」を設け、原田さんに与えたのである。そして渡辺典子よりも先に、テレビ版『セーラー服と機関銃』で主演&歌手デビューさせる。さらに、翌1983年夏映画は、いわば「『時をかける少女』(同時上映『探偵物語』)」という扱いで、ここで原田は薬師丸を抜いて角川三人娘のトップに立ったのである。一方、地味な渡辺典子は東宝の『積み木崩し』なんかに出ている。彼女の歌手デビューは1984年1月1日のアニメ映画『少年ケニヤ』主題歌であった。やがて1985年には薬師丸ひろ子が、1987年には原田知世と渡辺典子が、角川から独立していく。
 そんなわけで、角川映画三人娘のうち、最も正統派の美女で、演技もまっとうであったが、最もインパクトに欠けていた方、それが渡辺さんだった。齢の取り方も、後の二人のように、ある時期を境にめっきりけ込んだり、いつまでも異様に若かく見えたり、ということもなく、お美しいまま普通に年齢を重ねられている。Act.1放送当時にはもう40手前という感じですが、私だったら今でも口移しでメルヘンあげてもいい。

3. 渡辺典子出演秘話(推定)


 ところでその一方(唐突だが)白倉伸一郎は1965年に東京で生まれ、東大を卒業し、1990年には東映に入社している。なんでも面接で当時の『仮面ライダーBLACK』を公然と批判したそうで、にもかかわらず採用されたのは、そういうホネのあるところを買われたのか、東大卒という肩書きのせいか。ともかく映像事業部に配属されるのである。そして入社の翌年、1991年には、早くもプロデューサーのひとりとして、「仮面ライダー 放送開始20周年記念」のオリジナルビデオ作品『真・仮面ライダー/序章』に参加する。
 この『真・仮面ライダー』は、テレビシリーズとは一線を画し、何かと暗く重い話である。どのくらい暗く重いかというと、主人公を演じているのが『ウルトラマンメビウス』のヒカリこと、セリザワ元隊長だったりするのだ。そして変身の基本コンセプトは、バイオ技術でバッタの遺伝子を注入された主人公が、バッタ男に変わるという『ザ・フライ』のハエ男のようなものだ。さらに恋愛描写に関して言えば、主人公とヒロインのベッドシーンもあった。
 で、スタッフは考えた。ハードで荒涼とした物語なので、せめてエンディングには、包むように温かく優しいテーマ曲を流したい。そういう雰囲気にふさわしい歌手は誰か?
 会議が開かれ、そこで「ハイ」と手を挙げたのが、鼻っ柱の強い新人プロデューサー白倉伸一郎クンだった「渡辺典子がいいと思います」。1965年生まれの彼は角川映画世代、一番のお気に入りは渡辺典子だったのだ。
 こうして白倉の提案が通り、『真・仮面ライダー』のエンディングには、渡辺典子が歌う主題歌「Forever」(作詞:阿木燿子 作曲:宇崎竜童)が流れることになった。が、しかし「序章」と題されたこのオリジナル作品は、不評につき序章のみで終わってしまった。予定していた続編は制作されず、渡辺典子のこの曲を知る人は少ない。
 さてそれから10年の歳月を経た2001年、白倉伸一郎は『仮面ライダークウガ』のプロデューサー補から『仮面ライダーアギト』のチーフプロデューサーとなった。しかもその夏、劇場版『仮面ライダーアギト PROJECT G4』を手がけることになったのである。
 記念すべき劇場版だ。「東映創立50周年記念作品」にして「仮面ライダー放送開始30周年記念作品」である。いつものテレビのレギュラー陣に加え、「御大」藤岡弘、を始め、中村俊介(アギト役の賀集利樹君の事務所の先輩)とかゲストも出演する。で、プロデューサー白倉伸一郎(渡辺典子ファン)はさりげなく提案してみた「渡辺典子も出してみようか?」。20周年記念作品の主題歌を歌ったのが渡辺典子だから、今回ゲスト出演させてはどうか、というリクツだ。結局その提案は通り、渡辺典子は回想シーンか何かで、超能力少女の母親役で姿を見せる。
 そしてそれから2年を経た2003年の春、順調に仮面ライダーシリーズをプロデュースしていた白倉のもとに、あのセーラームーンの実写版という企画が舞い降りてくる。金も準備期間も少ないが、第1話くらいはゴージャスな感じにしたい。ルナはできるだけCGにして、あとはゲストも出したいね。この予算で出演依頼できて、しかも視聴者が「ほう、さすが第1話」と納得するようなゲストと言えば?そこでプロデューサー白倉伸一郎はどんとテーブルを叩いた「渡辺典子しかいない!」
 「うん。そうですね」と深くうなずいたのは、実写版Act.1の監督であり、劇場版『仮面ライダーアギト』の監督でもある田崎竜太だ。1964年生まれで角川映画世代の田崎監督も、実は三人娘の中で渡辺典子が一番のお気に入りだったのだ。アコガレの人が『アギト』で出演してくれて感動した。あの感動をもう一度。「白倉さん!渡辺典子を出しましょう!」というわけで、Act.1のなるちゃんママは渡辺典子が演ずることになったのである。
 こういう話をするたびに書いていることだが、この項、データ以外はすべて私の想像だからね。

4. その他あれこれ


 セーラー戦士アクションのクレジットは、今回と次回Act.2では「小牧祥子、G-Rockets、半澤友美」となっている。今村ゆり子の名前が登場するのはAct.3からだ。小牧祥子さんはかつて劇団四季に在籍して、記録によれば2000年の『ふたりのロッテ』公演ではルイーゼ役をやっている、ってそれじゃ主役じゃん。すごいね。別に顔を隠してスタントやるような人ではないんだ。
 小牧さんは2001年ごろ四季を辞めてから現在まで、演出家(蜷川幸雄に台本を提供される脚本家でもある)横内謙介氏ひきいる劇団「扉座」に加わっているようだ。正式メンバーではないのだけれど、準レギュラー的に客演をされている。詳しくはこちら。いろいろ書いたが、要するにこちらはミュージカル系の方だ。一方おなじみG-Rocketsの半澤友美さんは、6歳から体操を始めて、日本女子体育大学を卒業という、筋金入りというか、体操競技ひとすじの人である。だから、体操競技ふうの冒頭セーラーVのアクションは半澤さんが中心で、ひらひらと舞い踊るような後半セーラームーンのアクションは小牧さんが中心でスタントをしている、と思うのだけど、どうかな?
 それから内輪(スタッフ)のエキストラ出演、略して「ウチトラ」ですが、4th助監督の鳥飼久仁さんが出ていることは、東映公式に書いてあったはずだ。なるを助けに来たうさぎを見て、ルナが「あなたが戦士である理由が、ちょっと分かった気がする」と変身アイテムを渡す、その次のシーンで、建物の中でショーの準備をするモデルとスタッフ、それを窓の外からのぞき込むうさぎ、というシーンがある。こんな、外からまる見えのところにモデルの楽屋があるかよ、という突っ込みは自粛するとして、この時、緑のスタッフジャンパーを着て、窓際に座っているモデルにジュエリーをつけてあげているのが、鳥飼さんだそうだ。
 あと、ジュエリーショーが終わって、一斉に拍手する客席が映されるが、この客席のなかにも、スタッフとかが混じっていそうな気がする。と思ってさらに東映公式を読んでみたけれども、う〜んこれについては特に発見なし。たださっき言った4th助監督の鳥飼久仁のインタビューを改めて読んだら、実写版の制作開始時期についての記述があった。そういえば、実写版の撮影スタートが8月というのは何となく承知していたが、企画の立ち上がりがいつ頃かということまでは、よく考えると私、いままできちんと把握していなかった。
 それによれば、1978年生まれの鳥飼氏は、映像作品の演出の仕事がしたくて、2003年の4月にカバンひとつで福岡から状況して来たんだって。で、電話かけまくっていたら、東映から「やめといたほうがいいと思うけど、ヒマなら来なさい」って言われて、ひとまず制作の仕事が空いていたアバレンジャーにもぐりこんだ。でも「演出がやりたい」って言っていたら、明くる5月になって「新番組の演出部に引っぱってやろうか?」ってことで、セーラームーンの助監督に決まったそうである。
 なんか実写版のフレッシュな空気にふさわしい「青春!」なエピソードではあるが、それはさておき、そうか実写版セーラームーンの企画が立ち上がったのは5月だったのね。で、改めて公式ページを見ていると、セーラー戦士衣装担当(セーラームーンミュージカルの衣装担当でもある)のドルドルドラニの方々のインタビューページには「衣裳試作・第1回(2003.5.27)」「衣裳試作・第2回(2003.6.15)」「衣裳&かつら合わせ(2003.7.26)」という画像が貼り付けてある。このペースから逆算すると、5月の初旬には具体的な制作依頼が出ていなくちゃならないし、ということは、遅くとも4月中には企画そのものがほぼ固まって、5月に入って具体的な準備作業に入った、ということなのだろうな。
 実写版はアニメ『星のカービイ』の後番組である。子どもたちに人気のあったカービイが、なんでまた9月いっぱいという中途半端な時期に放送終了したかというと、カービイの「原作者」桜井政博氏が、所属のゲームソフト制作会社「HAL研究所」を退社してフリーになったためだと言われていた。それが事実だとすると、つまり桜井さんがHAL研究所を退社された時期が、実写版セーラームーンの企画が産声をあげる時期にもなるわけで、それはいったいいつなのかと、ファンはいろいろ調べた。ていうか、私はいろいろ調べた。でも、業界紙などに関する限り、2003年8月に入って「櫻井氏HALを退社」というニュースが走った、ということが分かっただけで、あまり有益な情報は獲られなかった。そしたら今回、はっきりとした資料が出てきたわけである。なあんだ最初からきちんと東映公式を見ておけばよかったのだなあ。ははははは。ちなみに、ご存知の向きも多いと思うが、セーラームーンの制作発表は2003年7月31日。みなさん制作発表の記事と画像、久々に見てあの頃にタイムトリップしてみませんか?ここのはまだ残っていますよ。ただしこの制作発表で沢井美優は「スカートがすごくミニで緊張しますけど、もう見せちゃう!くらいの気持ちで頑張ります」と発言しているはずなのだが、この記事ではカットされている。とても残念である。


 さて、本日は在宅で、ここ数日、熱が出て寝込んでいる下の子を看ながらブログに取り組んでいる。今朝からぐっと熱が下がって元気になってきたのは個人的に嬉しいが、そのぶん「あれが食べたい」だの「この絵本読んで」だの、うるさくなってきて、後半は相手をしながら、かなりとぎれとぎれで書いているので文章もぶつ切れになって読みにくいと思う。すみません。そろそろ晩御飯の支度しなきゃなんないので終わりにしますが、その前に、前回予告したルナCGチェックだ。
 再放送期間中は、途中から、ルナやアルテミスがCGで表現された回と、CGのなかった回とをチェックしてきたが、今回Act.1はもうやたらとCGシーンが多い。一応リストを作ってみたが、しかしこれ、作ってはみたもののどうってこともないし、コメントも思い浮かばないや。

【Aパート】

  • うさぎとの出会い「やっぱり間違いないわ。見つけた!」(CG)
  • ジュエリーショー会場までうさぎをつけてきたところで、妖魔の気配を察知(CG)
  • ジュエリーショー会場で夜も捜索中「何か、いる」天井からドゴラ出現(CG)
  • 夜、うさぎの部屋。寝ようとしていたうさぎと初めての会話(CG+パペット)

【Bパート】

  • ジュエリーショー会場。なるを助けようとして2階から落ちたうさぎの下敷き(CG+パペット)
  • 準備中のモデルを外からうかがい、テレティアで写真を撮って変身!(パペット)
  • 妖魔(ドゴラ)登場。ルナ「うさぎちゃん、今よ!」(CG)

【Cパート】

  • 妖魔と戦うセーラームーンをフォロー(CG)
  • 妖魔を倒して「やったね、セーラームーン」(パペット)
  • ラストシーン「戦いが始まるわ、これから」(CG)

 この1話に限ってみても、後半になるほどパペットシーンが増える、ということが言えるとは思うが、まあそんなところです。それから、初の「待ちなさい」は、言うまでもないと思うがBパート、7時49分。ジュエリーショー会場である。まだ口調も柔らかい感じがするあたりが初々しいですね。
 最後におまけ。アニメ版のラストは、事件が一件落着した翌朝、なるが学校で「ねえ、ゆうべすてきな夢をみたの。セーラームーンっていう正義の味方があらわれてね、怪物をやっつけるの!」と言うと、昨夜なるママのジュエリーショップに来ていた同級生も口々に「私も同じ夢みたわ」『私も」と盛り上がって、ぐったり寝ているうさぎに「ねえうさぎ、聞いてる?」と訊ねると「あたしったら疲れてるんだから、もう少し寝かせてよ」でおしまい、であった。一方、実写版Act.1では、セーラームーンが渡辺典子に取り憑いた妖魔(ドゴラ)を倒すと、なるちゃんは、ママにサンドイッチをもって来た部屋で目ざめて「あれ……夢かな?」とつぶやく。怪事件が起こる前の段階までリセットされているのだ。「実写版ではセーラー戦士の存在は一般市民には伏せられている」という設定は、このように初回から明示されていたのだ、ということに、今回あらためて気づいた。