実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第80回】「ひどいよ。もう、我慢しなくていいって言ったじゃん」の巻(Act.48)


 だんだんタイトルを考える余裕もなくなってきたよ。
 アヴァン・タイトル、美奈子は逝ってしまった。眠れない夜、うさぎは浴衣姿で月を見あげて「衛、こういうときは、どうやって笑うわけ?」と切なく問いかける。沢井美優の和服姿って、これしか見たことない。私が、写真集やイメージDVDをあまり熱心にチェックしていないだけで、ほかにもあるのかも知れないが。とにかく、可愛いですね。でも時間にしてわずか数秒。もっと見たいです。それも願わくば、来年の成人式の振り袖姿を、あっちこっちの雑誌や新聞で見たい。つまり今年の1月、マーズカラーも艶やかだったあの方みたいに、大勢の記者に囲まれて取材してもらいたいわけだ。そのために我々はより一層の努力をしなければならない。
 もうごちゃごちゃ言うより行動だ。実践だ。というわけで、ボックスコーポレーションにファンメールを送ってみました(それが行動か?)。しかし万丈さんからいただいたご指導を思い返していたら、緊張してしまって、とにかく女優の仕事を増やしてくださいとか、そんなことしか書けなかったよ。面目ない。
 さて実写版再放送も、いよいよ大詰め、ラスト2話の連続放送である。

1. 今回限りのオープニングまで


 2007年3月28日(水)深夜、午前2時35分、Act.48再放送。
 あまり詳しく触れることはできなかったが、前回、Act.47で、衛は、ダーク・キングダムの「メタリアの間」にやってきて、メタリアのなかに飛び込む。衛の命は、体内に埋め込まれた石にほとんど吸い込まれ、部屋の壁にかけられた風景画の中に封じ込められていて、もはや風前のともし火、抜けガラ同然である。しかし実はそこまでチャンスをうかがっていたのだ。そうやって空っぽになった自分の身体に、メタリアを取り込んでしまおうというのが、衛の作戦だった。

ベ  リ  ル「馬鹿なことを、そんなことをすれば、お前がメタリアに乗っ取られるぞ」
エンディミオン「お前と一緒にするな。俺は地球の王子だ。月のプリンセスに出来て、俺にできないはずがない。メタリアは必ず押さえ込む」
ベ  リ  ル「やめよエンディミオン!」
エンディミオン「星はぜったい滅ぼさない。お前の好きにもさせない」

 こうして衛は、ベリルからメタリアの力を奪い去り、うさぎの前に帰還する。そして、あまりにも不意な美奈子の死にあってさえ、思い切り泣くことを必死に耐えていたうさぎを、抱きしめる「馬鹿、泣け、俺が一緒にいるときは我慢しなくていい」。
 埠頭で会話する2人。さっきのうさぎは、いかにも「夏休みが終わって、新学期の朝、登校している途中」に見えたのだが、そのまま、さぼっちゃったのかな?いやいや、学校が終わるのを、衛が待っていてくれて、それから行ったに違いない。
 衛がメタリアを体内に封じ込めていると聞いて、その身を案ずるうさぎ。でも衛はそんな不安を吹き飛ばしてやろうと、つとめて明るく振る舞う「うさぎ、お前はもう、何も我慢しなくていいぞ。幻の銀水晶をどんなに使ったって大丈夫ってことだ。メタリアは、おれが抑えてるから」。そうは言ってもやっぱり心配なうさぎちゃん。

 衛 「なんだよ。信用してないのか?」
うさぎ「そうじゃないけど、じゃあ、もう星は滅びないの?」
 衛 「ああ。クイン・ベリルにも、もう星を支配する力はない」
うさぎ「そうか……よかった!じゃあ衛も、もう敵のところに戻らなくていいんだね!」
 衛 「ああ、明日から好きなだけ会えるから」

 うさぎに笑顔が戻る。しかし前にも書いたが、ゾイサイトと美奈子の行動というのは、ことごとく対応するね。ふたりとも最初は、うさぎと衛の恋を邪魔しようとした。そして最後には、その恋を成就させるために、命を失った。いや、もちろん美奈子の死はうさぎの恋とは関係ない。でもAct.47の語りの順序は、まるで、美奈子が命を失い、それと入れ替えに衛が生命力を取り戻したような印象を与える。Act.44でゾイサイトが、マスターのためにプリンセスの命を守り、息絶えたように、美奈子は前回、プリンセスのために地球の王子の命を守って、代わりに自分の命を犠牲にした、そう思えてしまうのだ。
 ま、同意していただかなくてもいいや。私としては、衛を生き延びさせ、ここでうさぎと再会させ、うさぎにホッと笑顔を取り戻させたのは、亡き美奈子であった、美奈子からの、最後のうさぎへのプレゼントであった、そう勝手に理解する。ここで主題歌が鳴って、オープニング。1回限りの特別版オープニングである。
 特にセーラームーンがいい。ヴィーナスは、個別キャスト紹介の画像だけ特別に新しいバージョンになっているが、その代わり死んじゃったので、ぐるぐるまわるお立ち台からは降ろされて、ルナに代わられてしまった。別に美奈子がいてもいいのに。
 この回の主題歌の音源はCD化されていないのではないだろうか?いつものやつ、つまりワンコーラス目の「♪アイビームが決め技♪」のフレーズをセーラームーンが小枝(当時)とハモるバージョンは、アルバム『美少女戦士セーラームーン全曲集』に「キラリ☆セーラードリーム!(オリジナルTVサイズ)」というタイトルで収められているが、この2番のサビの部分を歌ったバージョンは、未CD化ではないかな。こういった未発売のCDを、未公開映像のDVDと限定版セットで出せば、それなりに高くても確実に買うマニアがいると思うのだが(もちろん私もそうだ)考えてはくれないだろうか。もちろんDVDの方には、プレゼント告知入りの予告編ショートバージョンや、NGシーンや、未使用シーンなどの映像を収める。それから、たとえばダークマーキュリーは、雑誌などに公開されたスナップ写真では弓とハープをもっていたはずで、これをどう使う予定だったのか、テスト映像のようなものはないのか。ハープと言えば、実写版では出てこなかった技「マーキュリー・アクア・ラプソディー」が連想されるし、プリンセス・ムーンのデザインとの関係を考えるうえでも、ぜひ見たい。

2. 「50話問題」補遺


 さて、主題歌が終わると、珍しくAパートとの間にCMが入る。で、バイクの後ろにうさぎを乗せて疾走する衛。「もしまた、星が滅ぼそうとする奴が現れたら、お前が倒すんだからな」と言う衛に、うさぎは「幻の銀水晶を使えるなら、大丈夫!」と答えて、衛の身体に回した腕を、ぎゅっと抱きしめる。
 で、皆さんもおそらく感じられたのではないかと思うのだが、ここからの展開が、ちょっとあわただしい。先日の日記(第77回)の最後の方で、私は2006年9月11日のオープンテニス中継による放送休止が、かなりぎりぎりになって決まったのではないか、つまり土壇場で全50話のはずが49話になったので、プロットの修正が十分に間に合わず、それで物語的に、いまいち説明不足に終わった部分が出てきたのではないか、と述べた。そしたらコメント欄でなかなか面白い東映公式の英文Q&Aとか教えていただいたわけだが、それはともかく、私がそんなふうに考えたいちばん大きなきっかけは、このAct.48の急転直下の展開だ。
 今回の物語は、さっきの「衛が戻ってきた!」という話をプロローグとして、後はおおむね次のように進む。

(1)ダーク・キングダムの森で、クンツァイトとエンディミオンの最終決戦
(2)戦いを見せるため、黒木ミオがうさぎをダーク・キングダムに連れ去る
(3)うさぎを取り戻そうと、戦士たちが集結し、ダーク・キングダムに飛ぶ
(4)ベリルの命令で衛を襲うジェダイト、身代わりとして死ぬクンツァイト
(5)クンツァイトの死によって、メタリアエンディミオンと化してしまう衛
(6)メタリアエンディミオンと戦士たちの戦い、セーラームーン最後の決断

 で、これらのエピソードで、明らかに前フリが足りないと思えるのは(1)(3)(4)である。順に見てみよう。

3. 唐突すぎる「巌流島の決闘」


 まず、衛=エンディミオンとクンツァイトの対決である。今までの確執からして、いずれ二人が決着をつける時が来るのは分かっていたこととは言え、最後の一対一の戦いにいたる具体的な経緯が、まったく説明されないのは、やはりどうかと思う。
 Act.44のラスト、なにやら怪しげな祭壇の前で自らを剣で貫き、ベリルの呪縛を解いたクンツァイト。その傷はかなり深く、簡単には治らなかったようで、前回Act.47でも、衛がメタリアを取り込んた瞬間、ダーク・キングダムじゅうにメタリアの咆吼がとどろくと、森のなかのクンツァイトが、それを聞きながら、まだ苦しげに脇腹の傷を押さえている、というカットがある。
 実を言うと、なぜベリルの呪縛を解くためには切腹しなきゃならないのか、という点も私にはまだよく分からないんだけど、ひょっとしたら、Act.36のネフライトを見て思いついたのかな、とも思う。Act.36では、ネフライトがベリルに操られて無理やり自害させられた。でもしっかり人間になって生き延びていた。前に書いたように、私はこれ、ベリルがわざと殺さなかったのだと思い続けていた。つまり、無力な人間として生まれ変わらせることで、プライドの高いネフライトに、誇り高い四天王として死ぬよりも一層の屈辱を与えてやろうという、ベリルならではのサディスティックな仕打ちだと理解していたわけです。実際ネフリン「みじめだ」と嘆いていたしね。
 でもそうじゃなくて、以前こっちよ!さんが指摘しておられたように、Act.27でベリルが「いずれふさわしい死に場所でも捜してやらねばなるまい」と言ったのは、Act.36のことだったのかも知れない。つまりベリルとしてはここでネフライトを殺したつもりだったのだ。ところが四天王の生命力というのは、ベリルが考える以上に強くて、ネフライトは彼女の思惑を越えて生き延びてしまった。
 で、Act.40の、放送ではカットされたシーン7(第68回参照)の会話を見ると、クンツァイトはネフライトが生き延びたことを知っている。ここで彼はベリルの呪縛を解く方法に気づいたのかも知れない。ネフライトは切腹しても死なずに、ベリルから解放された。ただし無力な人間として。しかしあいつよりタフで、復讐への執念をもった私なら、同じやり方で、四天王としての力をもったまま、ベリルの呪縛を解くことができるかも知れない。そのチャンスをAct.44までうかがっていた、そういうことになるのかな。
 というわけで、確かにクンツァイトはシンには戻らず、クンツァイトのまま自由を得ることができたのだが、しかしともかく相当な深手だったらしく、まだダーク・キングダムの森から脱出することもできず、痛む脇腹を抱えて、じっと雌伏の状態であった。それがAct.48だ。
 さてこういう流れで見てみると、今回の対決になる前に、もうひとつ、衛とクンツァイトの会話がなくちゃならんのではないか、と思う。こんなシーンだ(もちろん推定)。前回、メタリアを取り込んだ衛は、ダーク・キングダムを出て行く。しかし途中、森の中でぐったりと脇腹を押さえるクンツァイトと出会う。クンツァイトは衛を見かけるや、復讐への執念だけを支えに、剣を構え、立ち向かおうとするが、まだ傷は癒えておらず、衰弱してふらふらである。そんな様子を見たエンディミオンが言う「いまは無理だ。もう少し経って、お前が戦えるようになったら、俺は必ず戻ってくる。それから復讐するのでも、遅くはないだろう?」「相変わらず甘いな、マスター」クンツァイトの顔が歪んでいるのは、ただ傷の痛みだけであろうか?なんてね。
 そういういきさつを想像すれば、今回のクンツァイトが、森の中で、木の根元に腰かけて目を閉じている感じが、理解できるのだ。これはもう明らかに巌流島の佐々木小次郎というか、相手が来るのを静かに待っているという雰囲気である。そして衛がやって来て、エンディミオンの姿になったところで、すっくと立ち上がって剣を抜き、鞘を捨てる。いよいよ、すべての決着をつけてやる、という緊縛した空気だ。

4. 男だぜ、マスター!


 ちょっと脇道にそれる。この戦いのすごいところは、クンツァイトに対する衛の思いやりの深さだ。衛=エンディミオンは、この戦いでは初めから、クンツァイトに負けるつもりでいる。メタリアを封じ込めたまま、メタリアを道連れに自分が犠牲になって、星を破滅から救おうという理屈だ。
 もっとも衛は、ベリルに向かっては「メタリアは必ず押さえ込む」と啖呵を切ったし、この場でも、衛の様子の異変から事態を察知したクンツァイトが「今のは、まさかメタリアを!マスター、封じ込めたメタリアともども、死ぬつもりか?」と問うと「そこまで覚悟をしたわけじゃない。ただ、最悪の場合はそれもありだ」と答えている。自分なりにメタリアを押さえ込む勝算はあるような口ぶりだが、でもまあ、やっぱり最後まで封じておく自信はなかったようだね。
 もし自分が逆にメタリアに取り込まれて、メタリア化してしまったら、それを倒せるのは、幻の銀水晶しかない。セーラームーンしかいない。そういう最悪の事態を想定して、うさぎには「もしまた、星が滅ぼそうとする奴が現れたら、お前が倒すんだからな」とは言っておいた。でも、最愛のうさぎをそういうつらい目にあわせたくはないし、そうなる前に決着をつけておきたい。そこでクンツァイトだ。Act.44で、衛はゾイサイトと話している。

 マスター「クンツァイトが出て行ったな」
ゾイサイト「ベリルの呪縛を、逃れるつもりです」
 マスター「俺への復讐のためか?」
ゾイサイト「そういうものを全て、クンツァイトが背負ったのかもしれません」

 背負わせてしまった責任は自分にある(クンツァイト、お前を変えたのは俺だ。前世で星を救えなかった俺が…)。だから、その贖罪のためにも、俺はクンツァイトの手にかかって死ぬべきだ。
 もちろん、すべての復讐はむなしい。たとえ念願どおり、かつてのマスターを倒したところで、結局クンツァイトの胸には虚無しか残らない。あるいは、本当にこれでよかったのかという後悔の念があるだけだろう。だが、衛を倒せば、クンツァイトは復讐をはたすと同時に、彼をそのような復讐者に仕立て上げてしまった元凶、メタリアを葬り、星を破滅から救うことになるのだ。そしてそれはマスターである衛=エンディミオンの「星はぜったい滅ぼさない」という願いを、ついに実現させることでもある。そう考えれば、あるいはクンツァイトの心にも、一握りの救いが訪れる日が来るかも知れない。いや救いになるかどうかは分からないが、俺がお前にしてやれる、これが精一杯のことだ。衛はそう考えているわけですね。そんな想いがクンツァイトの心を揺さぶり、最後の最後で「我らの主は目の前にいる」という、ずっと心の底に隠していた一言をつぶやかせる。

5. ネフライト、失われたラストシーン


 さて、この衛とクンツァイトの戦いを見せて、うさぎを苦しめようと、黒木ミオがうさぎを拉致してダーク・キングダムに連れ去ってしまう。その知らせをルナとアルテミス(これが最後の出番)から聞いたレイ・亜美・まことは集結し、うさぎを取り戻し、前世からの運命に決着をつける覚悟をかため、ダーク・キングダムに飛ぶ。ここの部分も、もう少し描写が足りない感じがする。つまり、三人がいよいよ自分たちからダーク・キングダムに乗り込んで、あとは最終回まで一気にいくのだから、その前に三者三様、この戦いにかける決意の表情をクローズアップして欲しかった、と思うんです。
 ただこれは、好みの問題もある。たとえばレイについては、私も、別にこれ以上の描写はいらないと思います。アヴァン・タイトルで、手紙の中から美奈子がレイに語りかける「私たちが前世の運命をもって生まれてきたのは事実よ、それを乗り越えたとき、本当の自分になれると思う。私が、私になれたように」それに応えて、レイは言う「私、決めたわ。前世の使命のために戦う。使命を果たして、前世を終わらすために」。ここ数回にわたって続いた美奈子との確執と友情が、レイが戦いの意味にめざめる強力な動機となっているのだから、描写としてはこの程度でもかまわないだろう。
 それからまことも、いちおうAct.46の「一人じゃなかった」と、Act.47の、年間パスポートにつけたカメのお守りで、古幡との物語はひとまず終わっているので、それほど長いエピソードはいらないとは思う。でもやっぱりなんかちょっと欲しいな。いざ戦いの場に、けわしい表情でクラウンを出て行こうとするまことを、カウンターの古幡が思わず「まこちゃん」と呼び止める。まことが振り向くと、ただならぬ気配を察した古幡は、万感の思いをこめて「またどうぞ」。まことは思わずほっと笑顔を浮かべて「うん。またみんなで来るから。絶対」とかね。
 しかし何と言っても亜美だ。亜美については、やはりネフライトとのエピソードの決着が欲しかった。これは私だけではなく、大抵の人がそう思っているだろう。もっとも、それがどういう形になるかは、私もよくは分からない。でもともかくネフライトは、中途半端に戻りかけた力をアテにせず、人間としてこれからの人生を歩んでいこうと心に決め、そういう踏ん切りをつけてくれた「まずいもの」へのお礼を亜美に渡す。それを受けて亜美も、ネフライトのような人々の、普通の平和な生活を守るために、最後をしっかり戦い抜こう、という決意をあらたにする。
 ネフライトは、亜美がダーク・キングダムに行こうとしていることを気づいているが、あえて口には出さない。そして、去っていく亜美の背中に向かって静かに目を閉じ、手をかざし、自分に残っているわずかなエネルギーを、亜美に注ぎこむ。最後の力、それが少しでも彼女を守ってくれるように、という願いと祈りの気持ちを込めて。こうしてネフライトは力を出しつくし、自ら進んでただの人間となり、亜美の帰還を待つのだ。

6. ヘタレ男をみくびるな


 というのは私の思いつきなので、あまり気にしないでください。あとひとつ、これも非常に物足りなかったのがジェダイトだ。最終回まで観て、我々はようやくこのヘタレが、第1話に登場し、そして最終回にも登場した唯一の四天王という、けっこうな重要人物であったことに気づかされ、しかも何というか、最後の最後に、実においしい役どころをさらって行くのを見せつけられてかなり驚いた。
 で、それほどのキャラクターであるにも関わらず、今回は、ベリルからエンディミオンを殺すようにと命じられて、言われるがままにやって来て、しかも間違ってクンツァイトを刺す。そして動揺を隠せないへっぴり腰。これはもう、刑事もので言ったら、出番はほんのちょっとなのに、最後に、ほとんど通りすがりにレギュラーの人気刑事を刺して殉職させてしまう大役を振られた、チンピラ脇役の芝居である。ある意味セーラー戦士たち以上に増尾君の芝居を温かく見守ってきた私も、これにはさすがに頭を抱えてしまった。何とかならないものか。
 いや、このシーン自体はそのままでもいいのだが、相手はまがりなりにも前世にマスターだった男である。そういう相手に、Act.42では「命を吸い取る石」を埋め込んだのがジェダイトだ。その時も、ゾイサイトが「ジェダイト、思い出せ」とピアノを弾いたせいではあるが、前世の、マスターと共にいた楽しい日々の記憶がフラッシュバックして、一度は苦しんだ。そしてそのゾイサイトを失ったとき、Act.45、Aパート冒頭では、散ってしまったゾイサイトの最後のメッセージを聞き、思わずピアノの間を訪れ、その死を悼むかのように鍵盤を叩いた。そこへ衛がやって来たのだった。

 マスター「ジェダイト、お前も、ゾイサイトの最後の声を聞いたのか」
ジェダイト「でも俺は……」
 マスター「分かってる。ネフライトも記憶は戻っていないし、クンツァイトは、ベリルの手から離れるために……つらいのは、お前たちの方だな」

 そう言いつつ、また胸に埋め込まれた石が疼き出し、激しく苦悶する衛。その石を埋め込んだのはほかならぬジェダイトだ。苦しげな表情で、思わずその場を立ち去ったジェダイト。ベリルに忠誠を誓い続けることを心に決めてもなお、ジェダイトの中には、様々な想いが渦巻いている。なによりも、自分を怨まないばかりか、激痛に耐え「つらいのは、お前たちの方だな」と哀れみのことばすらかけるマスターへの複雑な心境。
 そういう意味では、ベリルにエンディミオン暗殺を命じられてから、今回の行動にいたるまでのあいだに、せめて放送で1週間分、ジェダイトの苦悩を描く余裕が欲しかった。ベリルの究極の命令に、悩みに悩んだあげく、ジェダイトを決断に踏み切らせるのは、もちろんベリルの面影だ。それもかつてのような威厳ある女主人としてのそれではない。エンディミオンの愛を得ることもできず、世界を征服するためのメタリアの力も奪われ、もはや何もかも失って「女王」でもなんでもなくなった、みじめと言ってもいい、ひとりの女の寂しい後ろ姿だ。それを見てジェダイトは、せめて自分だけでも彼女に添い遂げよう、たとえどんな願いでも聞いてやろう、という思いを新たにする。そんな感じ。
 それからついでにもうひとつ、この、ジェダイトがエンディミオンに斬りつけ、クンツァイトがそれをかばって犠牲になる、という構図に、何となく前世の「誰かがプリンセスに斬りつけ、エンディミオンがそれをかばって犠牲になる」という回想シーンを思い出してしまって、ひょっとして前世でエンディミオンを倒したのもジェダイトかな、と思ってしまったのは私だけだろうか?いやこれ、どなたかがコメント欄で指摘されていたような気もするんだけど。
 前世においても、いちばん考えの浅いジェダイトが、誰かにたぶらかされて、地球のためによかれと思ってプリンセスに斬りつけ、結局マスターを倒してしまったんだとしたら、意外とこの男のヘタレっぷりは、現世においても前世においても、星を破滅に導くおおきなきっかけをつくった、スケールの大きいものということになる。ていうかかなりのA級戦犯だ。

6. 原作原理主義への回帰


 というわけで、要するに私は、全米オープンゴルフで潰れた2004月9月11日に、次のようなプロットの「幻のAct.48」が放送予定だった、という想像を楽しんでいるのだ。

<アヴァン>美奈子の死を悲しむうさぎ「衛、こんな時はどうやって笑えばいいの?」
<Aパート>ダーク・キングダムの森、決闘を約束するエンディミオンとクンツァイト
<Bパート>衛の帰還、亜美とネフライト、そしてベリルの命令に苦悩するジェダイト
<Cパート>うさぎとのひとときを終え、森に戻るエンディミオン、そして最後の対決

 で、クンツァイトがマスターをかばってジェダイトの刃に倒れるあたりで終了。次週、Act.49は、実際のAct.48の後半、メタリアエンディミオン編にまるまるあてられる。クンツァイトの死を目の前にした衛は、そのショックもあって、メタリアに身体を乗っ取られてしまう。最凶の戦士、メタリアエンディミオンの誕生だ。
 というわけで、いつものことながら、いい加減だらだらと馬鹿なことばかり書いて長いので、最後に原作との対応関係のことに触れて終わりにします。初回放送でこのAct.48を観たときの最大の驚愕は、クンツァイトの死をきっかけに、みるみる原作に回帰していくストーリー展開だった。この日記の第59回で詳しく紹介したように、実写版の話は、特に中盤以降は原作漫画ともアニメともまったく異なる展開を見せる。最後に一致するのはAct.25のあたり。自分を守るためにクンツァイトの刃に倒れたタキシード仮面の姿を見て、セーラームーンが「エンディミオン!」と叫び、みるみるプリンセスの姿になるという、あのへんまでだった。
 原作漫画では、あのときタキシード仮面=衛が息を吹き返したのは、うさぎの体内にある幻の銀水晶の一部が、うさぎの涙とともに衛の体内へと吸収されたから、と説明されている。そしてメタリアは、その衛に吸収された銀水晶のパワーを取り込んで、衛をメタリアエンディミオンに変えてしまうのである。彼を倒せるのはセーラームーンしかいなくて、うさぎは最愛の人を、自らの手で葬り去らねばならない、過酷な運命を強いられる。これが原作のダーク・キングダム編のクライマックスにあたる。
 中盤以降、実写版の世界は、制作発表時の白倉プロデューサーによる「原作原理主義」という発言が冗談に思えるようなオリジナルのストーリー展開だった。それがラスト2話というところで、こうまで見事に原作の軌道に戻ってくるとは、ちょっと予想できなかった。しかも振り返って見ると、話数不足による消化不良というか、話を強引に進めた印象はややあるけれど、衛が「命を吸い込む石」を埋め込まれた時点で、原作に回帰するための布石は打たれている。いやマジで驚いたよ。
 ただ原作の流れに戻ってきた時点で、美奈子の立場はなくなってしまう。そういう意味では、前回で美奈子を退場させたのは正解だった。これは、以前こっちよ!さんが指摘されていたのだが、今回あらためて、確かにそうだと納得した。
 原作の展開で、メタリア化した衛を前に「かれはもうべつの人格として生まれかわっている。クイン・メタリアとおなじなのよ!」」というつらい、しかし動かし難い現状をセーラームーンに告げ、うさぎには手を出させまいと、率先して衛を攻撃するのはヴィーナスである。原作のヴィーナスは、セーラーVのころから、影ながらうさぎを見守って、セーラームーンの戦いをバックアップしてきた。同い年なのだけれど、ほかの戦士たちよりもお姉さん的な雰囲気をもっている。そんなヴィーナスだからこそ、最後の戦いで、そのリーダーとしての役割を存分に発揮するのである。
 しかし実写版では、断腸の思いで「もう彼は、元に戻らない」とつらい宣告をするリーダーはマーズの役目(この芝居、北川景子がとにかく見事)、「見たでしょ。幻の銀水晶も効かないの。星を滅ぼさないためには、もう……」と、すでにヒーリングは通用しない状況であることを説明するのはマーキュリー、「うさぎは戦うな。私たち三人でやるから」と攻撃宣言するのはジュピターだ。これまで一緒に戦い続けてきた三人だからこそ言えるセリフであり、このトリオに、同じ時間を共有していないヴィーナスを割り込ませるのは、ちょっと難しい。
 あるいはラスト。セーラームーンが剣を手に、メタリアエンディミオンに向かっていく場面で、ジュピターは「やめろ!」と言う。まことは、うさぎに、最愛の人を自らの手にかける悲劇を演じさせたくない。とにかくその一心で、後先のことは考えていない。マーズは何も言えない。とめることもできない。衛がこうなってしまった以上、それを倒せるのはプリンセスしかいないことを、レイは知っているからだ。だからうさぎのつらさを思って、ただ目を閉じるしかできない。
 しかしマーキュリーは制止しようとする。それはジュピターのような感情論ではない。マーズよりも一手、先を読んでいるのだ。「うさぎちゃん、駄目!今のうさぎちゃんには耐えられないよ、壊れちゃうよ!」たとえこの場は、セーラームーンがエンディミオンを倒して決着がついたとしても、今のうさぎの精神は、その負荷に耐えられない。うさぎは「壊れちゃう」だろう。そしてそうなれば、うさぎのもつ銀水晶の力は、確実に星を滅ぼす。そこまで事態を正確に読んだうえでの「駄目!」なのだ。
 ただ、亜美が言うことによって、この「駄目!」は、やはりまことと同じ、うさぎにつらい思いをさせたくないという、心からの悲痛な叫びとしても響く。ところが同じセリフを美奈子が言うと、ちょっとそうはならない。どうしても、うさぎの気持ちに寄り添うような感じが出ずに、冷静な現状分析というか、客観的な雰囲気になってしまう。えーと私は小松彩夏の演技力のことを言っているのではないよ。これま実写版が作り上げてきた、ヴィーナスのイメージの話をしているのだ。
 美奈子の死については、もともと小林靖子は消極的で、武内直子と白倉プロデューサーの説得にしぶしぶ従ったという話がある。ネット上に出回ったウワサなので真偽のほどは定かではないが、私としては、この話はありうる気がする。とにかく前回の脚本は「美奈子の死」という悲劇をネタに、安易に視聴者のお涙を頂戴するようなマネだけはしたくない、というストイックな倫理観につらぬかれていた。それで私もつい、対照的に怠惰なケータイ作家を引き合いに出してしまったわけだが、その背景には、とにかく美奈子が好きで、殺したくなかった、という小林靖子のストレートな気持ちがあったのかも知れない。しかしいずれにせよ、変な言い方だが、美奈子はいない方がよかった。この最後の戦いの場は、そのおかげでうまく収まっているのだと思う。


 今回はセーラーマーズがついにバーニングマンダラを出す。嬉しいなあ。しかし効き目はない。ジュピターサンダーボルトも、マーキュリーアクアブリザードもだめ、もうセーラームーン以外、衛を倒せる者はいないのだ。こうして、原作どおりの結末がやって来る。

(原作)「この人はもう別人なの!?この人をたおすしかない!?殺すの!?道はえらべないの!?こうするしかないの!?これが、生まれかわってきたあたしたちの運命なの!?まもちゃん…」
(実写版)「どうして?ひどいよ。もう、我慢しなくていいって言ったじゃん。明日から好きなだけ会えるって、いったじゃない。衛、私たち、最初から……」

 衛を貫くセーラームーンの剣。ホワイトアウト

「引き続き美少女戦士セーラームーンをお送りします」

 というわけで、以下次回。どうも今回の日記、全体的にいつにも増してだらだらモードですみません。再放送が終わって気が抜けたというより、職場上の私の立場が激変しまして、そのあたりのユーウツに事情があるのです。いきなり仙台まで行ってしまったikidomari_f(読み方「イキドマリ・フラッシュ」)さんを思えば、たいした異動ではないんですがね、仕事に関しては、私はめっぽう打たれ弱いから(笑)。そういうわけで、Final Actのレビューは、たぶん次の週末まで持ち越しです。


【今週の猫CG】【今週の待ちなさい】なし
【今週の進悟】「黒木ミオ」


(放送データ「Act.48」2004年9月18日初放送 脚本:小林靖子/監督:鈴村展弘/撮影:松村文雄)