実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第77回】完成したパズル/ピースの足らないパズルの巻(Act.46)


≪ニュース速報≫ikidomariさんが新天地でブログを始めたぞ。(ここ)。

1. しつこく第3案


 前々回に続き<沢井美優需要拡張プロジェクト>の第3案を出す。これでけっこう「何とかしなければ」と真剣なのだ。
 以前、Nakoさんがコメント欄に「やっぱ美優ちゃんは、夏休みの子供向けの昼ドラ(キッズウォー系)の主役クラス(元気いっぱい天真爛漫美少女系)」なんかが似合っている、と書かれていた。私もそう思う。客観的に言っても、子ども相手の役なら「明るく健全な美少女」という特性をアピールしやすいし(本当はそればかりでもないのだが、とりあえず)、視聴者が母親と子供たちなら、かなり盤石な支持層の開拓にもつながる。ただ、現在の沢井さんには「キッズウォー系」の「主役クラス」は無理だ。今さら子役をやるわけにはいかないし、かといって母親役はまだまだ。そうすると、主役のキッズたち(男子)があこがれるマドンナ的な近所の花屋のお姉さん、ってところか。しかしこれは「たまに出てくる脇役」だ。
 先生役があるじゃん、と思われる方がいるかも知れないが、実年齢を知っているせいか、沢井さんに小学校の先生(4年制大学卒)は、イメージ的にまだ少し早いような気がする。では「教育実習生」ではどうか。これならいけるかも。でも教育実習なんて2週間くらいだし、主役どころか、ワンシーズン通してのレギュラー確保さえ無理だ。
 というわけであれこれ考えたが、結論は「短大を卒業したての新米の幼稚園(もしくは保育園)の先生役」というところだ。『ごくせん』とか、ああいうヤツの幼児版で、子どもたちと共に成長する先生のドラマである。ただし短大出たばかりでまったく経験のない新卒が、いきなりクラス担任をまかされるという展開も、どうかと思う。とすると(1)見習いのようなかたちで年少の副担任もしくは補佐役に就職。各クラスの先生の中には、先輩としてやさしく指導してくれる人も意地悪な人もいて、子供を預ける母親たちも色々。失敗もする。でもそのたびに、子どもたちに励まされ、持ち前の明るさで困難を切り抜けて、次第に認められていく。最終回には主任の先生から「来年度からは担任をやってもらいます」。(2)たまたま産休の先生がいて、急遽、年度限りの代用教員として採用される。同僚の先生の中には、先輩として(以下略)最終回は卒園式「私もこれでこの園を卒業だ(涙)」でも急転直下、主任の先生から「来年度からもここで働いてもらいます」。どちらのバージョンでも、いつも明るく子供に人気のある沢井美優をなぜかねたんで、色々と罠をしかける女園長(杉本彩)、そんな彼女をひそかにかばい、成長ぶりを影から見守る謎の理事長(田崎竜太、最終回のみ出演)が登場するってことで、どうかな。
 いや「どうかな」って、だいたいこんなことやってるより、事務所にメールした方がよほど実効性があるわけだ。で、どんなふうにメールしたらいいかよく分からないので、万丈さんに指南を受けたんですが、難しいのは「真面目な節度あるファンをアピール」というあたり。節度あるファンはこんな日記を書いたりしないのだ。

2. 見事な終結:美奈子とまこと篇


 2007年3月21日(水)、午前2時15分、Act.46再放送開始。とてもそうは見ていただけないだろうが、実は仕事が追い込み期で、じっくりブログを書いている時間など、そんなにないのである。なので今回はコンパクトにまとめる(予定)。
 今回の日記を短くまとめる理由は、そればかりではない。第一に、ボックスコーポレーションへ書くファンメールが長すぎて、担当の人を怒らせたりしないよう、今からレッスンだ。第二に、つい最近『M14の追憶』で、このAct.46の台本比較が行われたばかりなので、みなさんの記憶にも新しいでしょうし、私から付け加えることもそんなにないのだ。そして第三に、今回のエピソードは、主人公たちの心境を推しはかったり考察したりする隙などほとんどないほど、台詞の完成度が高い。観ればそのままで、レビューなんか必要ないくらいなのだ。
 というわけで今回のお話、前半は、主に4つの舞台が交互に切り替わりながら進んでいく。

(1)<火川神社>母親が意識不明となった子供たちの世話をするアルテミス
(2)<うさぎの部屋>前回の戦いで傷ついたルナと、看病するうさぎの対話
(3)<ホテルの一室>前回の戦いで自爆死しかけたまことと、美奈子の対話
(4)<ダーク・キングダム>衛の決意、ミオに連れて来られたレイとの対話

 物語の中心となるのは、言うまでもなく後半の2つだ。(3)前回、自爆したまことは、からくも命をとりとめた「危なかったわ。妖魔が最後の瞬間にあなたを放り投げたの。だから助かったのよ」。そして美奈子のホテルの部屋のソファで寝かされている「病院が、妖魔にやられてる人でいっぱいだから、このホテルも使ってるの」。ここで交わされるまこととの対話が、美奈子のこころを揺さぶるのである。2つのシーンにまたがる会話をちょっとツギハギしますが、こんな感じ。

美奈子「どうしてあんなことしたの!あんな、自分の命を…」
まこと「前世の使命のため。あれぐらいやってもいいと思ったんだ。ヴィーナスが、残りの命を賭けていることを知ったら…」
美奈子「あたしの命とは違うわ」
まこと「命は命、同じだよ。あたしたちは、前世の使命を果たすために生まれたんだから。私が昔から一人きりなのも、きっとこういうときに悲しむ人を作らないためなんだ。そういうふうに前世から決まってるんだ」
美奈子「だからって、あなた死んでもいいの?」
まこと「死んでも、また生まれ変わればいい。私たちが前世をもったみたいに。この次もあるよ。だから今の私がいなくなっても問題ない。ジュピターは消えないから」
美奈子「……」
まこと「何?」
美奈子「マーズの気持ちが分かった。確かにイライラするわ。前世なんて嫌いになりそう」
まこと「えっ?」
美奈子「元基君って誰?」
まこと「なにそれ!」
美奈子「うわごとで言ってたわよ」
まこと「ウソだ!」
美奈子「ホント。一人なんかじゃないじゃない。今を見るべきかもね」

 いや本当に、こうしてセリフを採録してしまうと、もう解説の要もない。二人の心理はここにきっちりと説明されきっている。美奈子は、まことが、ほかならぬ美奈子の「たとえ命を捨ててでも前世の使命を守る」ということばを文字通り実行して自爆を遂げたことにショックを受け、今を生きることの大切さを教えられる。さらにアルテミスが現れて、火川神社に美奈子を連れて行く。そこではTDLのイッツアスモールワールドの人形のように首を振りながら美奈子の歌を歌うコウタとナナがいる。だんだん歌と首振りのリズムがずれていく。まあいいや。そしてアルテミス。「あの子たち、母親を妖魔にやられてしまって、ずっと泣いてたんだ。だから、何か好きなことしようって言ったら、美奈子の歌がいいって。愛野美奈子は、君が思っているほど弱い存在じゃない。僕は、愛野美奈子が好きだよ。君だって、本当はそうだから歌い続けてきたんじゃないのか?生きて欲しいんだ」
 そしてまことは、意識不明だった間、うわごとで古幡の名を呼んでいたことを美奈子から知らされ、これが後半のまこと自身の独白へとつながっていく。前回せっかく買った亀のお守りを落として壊してしまい、もう一度買いに行って、妖魔にエナジーを吸い取られて倒れてしまった古幡。駆けつけたまことに、そのお守りを渡して、意識が尽きてしまう。まことは、自分が変身した姿を目撃した後も気持ちを変えないばかりか、そんなふうに戦う自分を気遣い、見守ってくれていた古幡の想いを知り、ようやく真実にいたる「違う、戦士の力がめざめたのは、一人じゃなかったから……」元基君がいつも心の中にいたからだったんだ。

3. 見事な終結:火野レイ篇


 一方ダーク・キングダムでは、衛がなにやら企てている(完全に命がなくなるまでに、メタリアを潰せればいいが……俺に勝算があるとすれば……)。そこへ、黒木ミオが火野レイを連れてやって来る「驚いた?なんか最近つまんないから、お客さん連れて来ちゃった。本当はうさぎちゃんが良かったんだけど、それはまずいでしょ?この子けっこう力もってるから、ここまで飛びやすかったし」
 そしてレイはミオなどほとんど無視して、衛を説得しようとするのだ。

 衛 「うさぎはどうしてる?」
レ イ「あなたに言われたとおり、笑ってる。笑おうとしてる。うさぎのためにも、ここから出ましょう」
 衛 「いや、俺はここにいる」
レ イ「こんな前世のお化け屋敷、いつまでもいる必要ないわ」
ミ オ「前世のお化け屋敷ってひどくない?自分だってそうなのに」
レ イ「私は違うわ。前世なんか、無視することに決めたの」
 衛 「前世は無視して消えるものじゃない。俺たちは、確かに前世を背負っている」
レ イ「あなたも前世にとらわれてるってわけ」
 衛 「俺は背負った前世に決着をつける。前世にとらわれてるからじゃない、今を生きていくためだ。うさぎを頼む」

 前回レイは、手術を受けようとしない美奈子に腹を立てて「前世なんて無視すればいいのよ」と言ったのだが、それを聞いた亜美から、おずおずとではあるが「無視は、できないんじゃないかな。私たちも」と反論される。確かにそうなのだ。そしてこの衛との会話を通して、レイは、今を生きるためにこそ、前世を無視するのではなく、それに立ち向かってくための、心のきっかけをつかむ。こうして、「今を受け止めていない美奈子」「前世を受け止めていないレイ」そして「今から前世に逃げこもうとしているまこと」の3人の物語が、ひとつの流れに合流する。
 美奈子とレイの確執は、Act.36で美奈子がレイに自分の病気のことを告白した時から続いていたわけだが、その伏線はマーズれい子初登場のAct.23から張られていた。さらに言えばAct.17の「なっかりだわ」で、2人の相容れない対立はすでに始まっていた。一方まことは、Act.31で戦士の力にめざめて「一人でいいんだ」とつぶやき、Act.41では古幡の前で変身して、まだ残る未練を断ち切ろうとした。そんなふうに、これまで様々に語られていた三者三様の思いが、まるでパズルの完成を見るかのように収まるべきところにぴたりと収まり、ひとつの結末に収束していく展開は、何度観てもほれぼれしますね。
 こうして後半、戦士たちは妖魔との戦いの場に集結する。特に亜美ちゃんにとっては忘れられない場所のはずである、あの横浜金沢ハイテクセンターだ。今を生きる決意を胸に秘めた美奈子は、ついに戦士の力にめざめ、セーラーヴィーナスに変身する。そしてセーラームーンも参戦して、ひさびさに5人そろってムーンライト・アトラクティブ・アタック!

4. 一方、頭の痛いのがプリンセス問題


 解説の要もないとか言っているわりにグダグダあらすじを書いてしまいましたが、そんなふうに今回のエピソードは、一方では美奈子を中心とする戦士たちの物語の終着点であり、こちらの観点から見た場合、これまで張られた伏線のすべてが、見事に回収されてゆくプロセスが実に心地よい。しかし他方、うさぎをめぐる物語として見た場合、このAct.46は、これまでプリンセス・ムーンやメタリアに関してばらまかれた謎を整理して、最終回への方向づけを行う、いわば最後の伏線張りの回ともなっている。実はこちらの面については、M14さんの台本比較を読むまで、つまりごく最近まで、私はあまり強く意識したことがなかった。 
 さきほど書いたように、今回のお話は、前半が「ホテルでの美奈子とまことの会話」と「ダーク・キングダムでのレイと衛の会話」を中心に進み、次に「火川神社で子どもたちの歌を聞いて改心する美奈子」と「古幡からお守りをもらって、一人じゃなかったことに気づくまこと」という二つの場面がきた後、最後の戦いの場へと流れ込んでいく。
 これをメインのストーリーとすると、サブストーリーとして、幻の銀水晶およびプリンセス・ムーンの謎が、わずかづつではあるが解きほぐされていくというプロセスがある。こちらの話は、亜美となるを主な人物として、これまで見てきた美奈子とまこととレイの物語に較べれば、遙かに言葉すくなく、ひそやかに語られている。次のようなお話だ。

(放送ではカットされたシーン14:病院にまだ意識不明のなるを見舞う亜美)
亜 美「みんなを元に戻すには……、やっぱり幻の銀水晶しかないんじゃないのかな……」
これに続いて、Act.42、クレーンに乗ったプリンセス・ムーンがマーキュリーの傷を癒し、枯れた花々を甦らせた場面の回想が入る。

(シーン34?35?:戦いの終わり)
ムーンライトアトラクティブアタックで妖魔を倒し、喜び合う4人。ちょっと外れて淋しそうな微笑を浮かべるセーラームーン。そこにハープの音が重なり、街で倒れていた人々は意識を取り戻し、なるは病室で目をさます。場面が戦いの場に戻ると、プリンセス・ムーンがハープを奏でている。

(シーン35:病院の前)
な る「うさぎが助けてくれたんでしょ。信用していたとおり」
うさぎ「ありがとう」
な る「私が言うセリフだよ」

(シーン36:道を歩く4人)
笑顔の4人、うさぎはいない。亜美だけがひとり振り返って「うさぎちゃん……」

 放送版を観る限り、なるが元気になって退院し、病院の前でうさぎと再会するシーンは、メイン・ストーリーのエピローグに過ぎない。ところがカットされたシーン14を前提すると、意味が変わってくる。
 シーン14で、亜美は、なるたちを元に戻すには「やっぱり幻の銀水晶しかないんじゃないのかな」と推理する。亜美がそう考える根拠は、Act.42のラストでプリンセス・ムーンが自分たちの傷を治したという事実だ。そして実際、彼女の言うとおり、今回の最後に、なるはプリンセスのハープの音とともに意識を取り戻す。つまり仮説の証明だ。なるが快復する姿は、前半の亜美のセリフの正しさを裏づける証拠として描かれているのである。
 そして退院したなるは「うさぎが助けてくれたんでしょ」と礼を言い、次回Act.47では、亜美も「ずっと気になってたんだけど、この間、大阪さんたちを元に戻したことあったよね。あれ、プリンセスじゃなくて、うさぎちゃんなんじゃないか、って気がして」と言っている。なるも亜美も、今回ハープを奏でてみんなを元に戻したのはプリンセスではない、うさぎその人だ、と考えている。
 しかしうさぎ本人は、なるを元に戻したのが本当に自分であるということに、いまひとつ実感がもてない。それは自分の身体を乗っ取ったプリンセスがやったこと、っていうかね。でもだからこそ、ひたすら純粋に自分を信用してくれているなるちゃんの気持ちが嬉しい。「ありがとう」と礼を言い、微妙な笑顔を浮かべるのは、だいたいそんな感じなのではないだろうか。 
 今回のラストシーンを観る限り、レイとまこと、そして美奈子は、このあたりの複雑な問題を、突き詰めては考えていない。ひとりそのことが気になる亜美だけが、振り返って「うさぎちゃん」とつぶやいている。
 ではセーラームーンは今回はなぜ、どのような事情で、プリンセス・ムーンに変身したのか。これがまあ、このAct.46をめぐる疑問の中でも最大の難問なわけだ。

5. で結局、プリンセスとは何なのか?


 うさぎはどんな時にプリンセス・ムーンになるのか?最初のAct.36は、ベリルに衛を奪われそうになった時、Act.41は、敵の激しい攻撃に「このままではやられちゃう」とつぶやいた時、Act.42はこれら二つの合わせ技で、衛を失い、しかも妖魔の激しい攻撃を受けた時に、プリンセス・ムーンに変身していた。そして敵に対しては五芒星アタックだ。
 一方、Act.37では、眠っている状態で、うさぎはプリンセスとなって失踪した。Act.43でも、やはり眠っている間に変身した。ただAct.43の場合、その前にうさぎが、衛を奪ったベリルへの怒りや憎しみの感情を爆発させる、というシーンが描かれている。心のなかにそういう激しい感情を抱いたまま睡眠状態に入ると、プリンセス・ムーンに人格を奪われてしまう、という解釈で良いのだろうか。
 睡眠状態でプリンセス・ムーンに変身したうさぎは、ハープを弾いている。そのハープの効果は、Act.37の場合は、泥妖魔の大量出現と何か関係があるようであり、またAct.43ではメタリアを勢いづけてもいる。しかしAct.42の最後ではマーキュリーを癒し、草花を甦らせている。これは負傷したマーキュリーを治し、戦線復帰させるためだ(『M14の追憶』2007年3月15日)。
 さあ、だんだんややこしくなってきたぞ。しかしとりあえずここまでで、プリンセス・ムーンの登場パターンは2種類に大別できる。

(A)激しい爆発などで、うさぎの身に深刻な危機が迫ると、身を守るために(あるいは幻の銀水晶を守るために)自動的に変身する。この場合、変身したプリンセス・ムーンは、自分を狙う敵を、五芒星攻撃で倒そうとする。また味方戦力に負傷者が出ると、それを治療するときもある。

(B)うさぎの心に、普段とは違うストレスがかかると、激情に我を忘れた瞬間や、眠っていて意識が活動を停止している時を狙って、プリンセス・ムーンの人格がうさぎの身体を乗っ取る。

 (A)の場合は、これはもう、いやおうなしである。(B)の場合は、うさぎの心に、プリンセスとシンクロする感情が起こる、というのがポイントではないかと思う。前世のプリンセスはなぜ星を滅ぼしたか。まずは「怒りと憎しみ」だ。地球と月の戦争をしかけたベリル、その計略に乗って平和を乱し、殺し合いをした人々、そしてエンディミオンの命を奪った者(誰?)、そういった諸々の存在への憎悪が破壊衝動を生み、プリンセスはこの星のすべてをデリートしてしまったのだ。そしてもうひとつの感情は「孤独と哀しみ」。セーラー戦士たちですら、ただの護衛の家来に過ぎず、仲間とか友だちとか呼べる人など周りに一人もいなかった前世のプリンセスにとって、その孤独な心を愛で満たしてくれる存在はエンディミオンしかいなかった。だから彼が消えた世界には、何の価値も見いだせなくなってしまった。「エンディミオンがいない星は、いらない」「淋しいんだね」(Act.42)。
 「怒りと憎しみ」そして「孤独と哀しみ」この二つの感情が一定の振幅を越えると、うさぎの意識の深層に眠るプリンセスの人格と共鳴し合い、プリンセスを呼びさます。とりあえず、そう考えておきましょう。で、Act.43は、そのうちの「怒りと憎しみ」についてのエピソードだった。衛の体内に「命を吸い取る石」を埋め込んだベリルへの怒りと憎しみ、その強い感情が、潜在意識にひそむ前世のプリンセスを甦らせた、そしてプリンセスはハープを弾き、メタリアに力を与え、人々を衰弱させた。ともかくうさぎの感情の乱れとプリンセス化、そしてメタリアの活動の関係が、かなり分かりやすく描かれていた。
 で、このAct.46は、残るもうひとつの感情、つまり「孤独と哀しみ」について説明するための回ではないだろうか。今回、うさぎが怒りや憎しみの感情に心を昂らせたり、あるいは我を忘れそうになって必死にこらえたりする、というような場面はない。それらは一応、Act.43で克服されたのだ。このエピソードをとおしてうさぎが必死に戦っているのは、敵に対する憎悪のような激しい感情ではなく、仲間が離れていくことへの静かな淋しさ、孤独の感情である。今回、うさぎが仲間の戦士たちから孤立していく過程を示す場面を、順を追って並べてみよう。例によって、放送ではカットされたシーンも『M14の追憶』から補完してあります。

(アヴァン・タイトル:クラウンでひとりのうさぎ)
うさぎ「(輝いたペンダントを見て)今のって……まこちゃん!」

(シーン15:うさぎの部屋でルナとうさぎの対話)
うさぎ「なんか最近、みんなと、ちょっと離れちゃっているような感じがするんだけど、避けられてる?」
ル ナ「みんなで決めたのよ。なるべく、うさぎちゃんを戦わせないようにしようって」

(カットされたシーン19:クラウンでひとりのうさぎ)
うさぎ「みんな私に気遣ってくれてるんだ……。すごい、嬉しい……、嬉しいんだけど……、何だろ……」

(シーン35?:戦いの終わり)
ムーンライトアトラクティブアタックで妖魔を倒し、喜び合う4人。ちょっと外れて淋しそうな微笑を浮かべるセーラームーン。

 アヴァン・タイトルでは、クラウンに来てみたものの「みんな、いないなあ」という感じなのが、次第に、みんなから遠ざけられている雰囲気に気づく。しかしそれがみんなの善意によるものであることを知って、みんなに感謝しよう、と努力する。本当は寂しいのに「うさぎちゃん、笑顔、笑顔」というルナの指示に懸命に従おうとするのである。
 こんなふうに、いままで共に戦っていた「仲間」たちとの間が疎遠になって、そのことが、うさぎとセーラー戦士たちの関係を、前世のセレニティと護衛戦士たちと同じ、王女と家来の冷たい主従関係に近づけていく。それはうさぎの哀しみと孤独を徐々に増幅させていく。その次第に募る孤独感ゆえに、うさぎの心はプリンセスに同調していって、最後にはプリンセス・ムーンの登場を促す。今回の変身にいたるプロセスを、私はそう考えている。
 ただ、これまでと違うのは、決して激しい感情に我を忘れたわけでもなければ、眠っているわけでもない、という点だ。今回強調されたのは、孤独と哀しみに沈み、うちひしがれたうさぎではない。それでも必死に笑顔を作り、戦いの場にセーラームーンに変身して現れ、あくまで前向きで、困難を克服していこうという姿勢を失わない、強いうさぎだ。だから、胸の奥の深い孤独感ゆえにプリンセスの人格と共振しながらも、冷静な意識のまま、うさぎは、というかセーラームーンは、プリンセスに自分の身体を明け渡し、プリンセス・ムーンに変身したのではないか、と思う。
 Act.43の最後で、衛は海岸でうさぎに言った「今日メタリアの力を強めていたのは、プリンセスじゃない、お前だ」。結局すべてはお前次第だ。プリンセス・ムーンになるということは、お前が途方もなく膨大なエネルギーを自分の手に握るということだ。それを平和利用に使うか、大量殺戮兵器として用いるかは、プリンセスの人格が決めるわけではない、お前だ。お前がネガティブな感情をもっていれば、プリンセスはその気持ちとシンクロして、破滅をもたらす。お前の感情を離れて、プリンセス・ムーンが勝手に行動することはない。だから「今日メタリアの力を強めていたのは、プリンセスじゃない、お前だ」そういうことだろう。
 プリンセス・ムーンはただの人間凶器ではない。Act.42でハープを奏で、マーキュリーの傷を治したように、銀水晶の力を正の方向へ導く能力をもっている。それをうさぎは知っている。だからここでは、その力を人々を癒す方向に用いようとした。それが上手くいったのは、今回のうさぎが、孤独によく耐えたからだ。
 けれども、そうだとすれば、うさぎの背負う運命はいっそう過酷だ。たんにプリンセス・ムーンに人格を明け渡さないようにすれば良いのではない。今回のように、メタリアの汚染を浄化するために、うさぎが進んでプリンセス・ムーンになって、銀水晶の力を開放しなければならない場合だってあるのだ。
 しかもプリンセス・ムーンとなったうさぎが破壊に傾くのか癒しに傾くか、それはひとえに、うさぎの心に、強い意志を持続できるかどうかにかかっている。プリンセス・ムーンが悪魔になるのも天使になるのもうさぎ次第、何もかもうさぎに責任がある、ということだ。しかし地場衛は生命力を奪われ、衰弱しつつある。それがうさぎの心に与える影響を考えると、状況かなりまずい方向に進んでいるのだ。

6. オリジナル全50話仮説とは何か?


 という解釈で良いのかどうか、私もだんだん分かんなくなってきた。疑問を感じる人もおられるだろうが、もう疲れて私はボロボロだ。とりあえず今日はこのくらいで勘弁してください。
 あと幾つか取り残した問題もあるけど、ひとつだけ触れておきたい。初放送の時は、Act.47とAct.48の間の9月11日の放送は、全米オープンテニス中継で中止になっている。これがいつ決まったか、つまり全49話ということに最終決定したのはいつか、という問題がある。私は、これ、かなりドタン場になって出てきた問題なんじゃないかと思っている。
 また機会を改めて詳しく検討したいが、もともと実写版は、諸般の事情で秋で終了という異例の事態となった『星のカービィ』の後番組として、急遽はじまった企画である。たとえば同じ時間帯に放送していた『ウルトラマンマックス』なんかも、その前の『ウルトラマンネクサス』(実写版の後番組)の打ち切り決定後に大慌てで立ち上げられた企画だ。そしたらこのマックス、最後の最後に1週分余りが出ちゃって、最終回は明らかに急ごしらえということが分かる総集編になってしまっていた。要するに、この土曜朝というのは、意外とぎりぎりのところで、放送が1週分増えたり減ったりする制作者泣かせの時間帯だったんじゃないか(しかし視聴率が視聴率なので強いことが言えない)と想像しているのだ。
 で、そういう事情が実写版の最終ターンで起こったのではないか、というのが私の推測だ。つまり最終回までのプロット(全50話)が全部できあがって、小林靖子もほぼ執筆を終え、Act.43あたりまで撮影が進んだあたりで、全米オープンテニスによる1話削減、という大問題が生じた。そこから突貫工事で「全49話」で収まるように加工されたのが、我々の観ている、ネフライト問題やプリンセス問題がいささか消化不良に終わった放送バージョンである、という仮説なわけです。もちろんいつもどおり関係者の証言とかそういう裏付けはまったくない。ぜーんぶ状況証拠のみに基づく私の推理だ(いばるなよ)。そのへんも考えつつ、じっくりと最後の数話を観ていきたい、と思っていたのだが、いきなりの週2話放送でそれどころじゃなくなってしまった事情はみなさんご存知のとおり。ま、こういうことは、また将来の課題とします。


 その他、最終登板となった高丸演出、前回と今回のみが撮影監督が2人いることの特色(たとえば美奈子が最後に変身するまでの屋内バトルが 上赤カメラマンで、横転しながら外へ出てからが、松村さん、とか)積み残した話題が色々あるが、これが限界だ。高丸監督、すまん。で結局けっこう長くなった。
 

【今週の猫CG】なし。
【今週の待ちなさい】Cパート、美奈子、7時51分。


(放送データ「Act.46」2004年8月28日初放送 脚本:小林靖子/監督:高丸雅隆/撮影:上赤寿一・松村文雄)