実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第55回】小松党の皆さんに演技再評価の奮起をうながすの巻(Act.35)

 
 いいなあ、安座間美優とおじさんたち十数名の交流イベント。そんな大事な会が開かれていたというのに、私はといえば、非常に複雑な事情があって、某所でAct.12のうさぎちゃんのようなヒゲをつけて赤い服を着て、いわゆるサンタクロースの格好であった。しかも自分の子供が相手ではバレるかも知れないので、他人んちの子供ばかり相手にして(実話)。それから今日は、某巨大玩具店で自分の子どもたちのために玩具を買ったりとか色々あって、晩は妻と長女が、クリスマスの定番のひとつとも言えるバレエ「くるみ割り人形」の公演を観に行った。私は下の息子と留守番をしながら「くぅるみ割りぃい、お人形ぉお、あやつる人がいぃないのぉ」とか歌っていたわけだが、これを読んでる人でこの歌の出典が分かる人が何人いることか。一人いることは確実だが。
 まあ仕方ないや。Act.35である。前回のコメント欄の最後に書いたように、これで今年の再放送は終わることになるので、本編レビューとしては一年の締めくくりだ。うーん、それにしてはちょっと地味な回になったかな。ともかく、衛との絆を確認できたうさぎの、ほんのつかの間の幸福は、今回Act.35と次回Act.36で終わる。以降は本当に可哀相なことばかりである。そういえば先日『ぼうたろうの日記』のコメント欄に「『千咲ちゃんねる』のエピソード紹介が前半で終わっているのは、やはり亜美ちゃんの物語が基本的に前半で終わっているからなんだろうか」なんて今さらなことを書いたら「それもあるけど、後半のうさぎちゃんが見るに忍びなかったから」というようなご返事をいただいた。意外でもあり「分かる分かる」という感じでもあった。
 しかし、確かにここから先の「うさぎちゃん」を観るのはつらいのだが、そんな悲劇的なヒロインを演ずる沢井美優は実に素晴らしい。女優開眼、と言ってもいいくらい。なので観ないわけにはいかない。これはむずかしい問題だ。亜美の時も「ダーキュリーを演ずる浜千咲は素晴らしかった」と絶賛する声と「亜美ちゃんがダーク化したことが悲しくて観るのも辛い」という人とで、意見が二つに割れたが、沢井党の場合は、後半プリンセス・ムーン篇はどのような評価なのであろうか。「うさぎちゃんが可哀相で見てられない」派が多いのか、「後半の沢井美優の演技は必見!」派が多いのか。どっちなのかなあ。万丈。
 それから愛野美奈子。残り半年の命を宣告された幸薄のキャバ嬢、もとい美少女アイドルが今回のエピソードのメインを張るので、可哀相な感じにさらにターボがかかる。まだおおきな悲劇は目に見えるかたちでは訪れていない。けれどもその予感は着実にすぐそこまで迫っている。美奈子だけが、それが近いことをはっきりと予感している。そして自分の命を顧みず、ただ星の運命とプリンセスの幸せだけを想っているのである。そういう意味で、最初の放送よりも再放送の方が、切なさやはかなさをよりひしひしと感じさせてくれる回であった。

1. 観覧車が見える


 ともかくそういうわけで、2006年12月30日(水)深夜2時15分、Act.35再放送。鈴村展弘監督だ。Act.9とAct.10、Act.15とAct.16に続いて三巡目、5本目の登場である。仮面ライダーの方が忙しかったのか、けっこう少ない。しかもこれまでのところ、うさぎと衛の気持ちがぐっと近づく Act.15「宝石泥棒をやっつけろの巻」を除けば、亜美がレイをフォローして代理の巫女になるAct.9「ニセタキシード仮面がいっぱいの巻」、家出したうさぎがレイのところに転がり込むAct.10「かぐや姫の少女エリカの巻」、レイが亜美を説教するAct.16「私の美脚で目をさましなさいの巻」と、なぜかどれもレイがらみの話である。とくに美奈子となると、Act.15の最初と最後に出てくるくらいで、きちんと組むのはほとんどはじめてなのではなかろうか。
 で、今回のお話であるが、まずは前回のラスト、バイクに乗る地場衛の前にふらふらと黒木ミオが倒れるところから始まる。なんとかエンディミオンとお近づきになりたいベリルの計略である。衛はミオを助けて病院へ運ぶが、その病院には美奈子もいた。病室で点滴を受ける美奈子とアルテミスの会話。

白 猫「美奈子、いつまでもこんな応急処置だけでは無理だ。先生も状態は良くないって言ってたろ」
美奈子「最初に決めたじゃない。無駄な時間は使わないって」
白 猫「でも……」
美奈子「私たちには前世から受け継いだ使命があるんでしょ。そのために生きているんだから、前世を繰り返さないために……」

 アルテミスは、姿を見せず声だけで初登場したAct.11では「美奈子、これからが本当に大変だよ。君は戦わなければならない。そして絶対に負けてはいけないんだ」と、前世からの使命の自覚を美奈子にうながしていた。それがAct.20になると、ホテルのベッドに寝込んでいる美奈子のためにタオルを絞ってやりながら「美奈子、ここでしばらく休もう。これ以上は君に負担がかかりすぎる」と身体を気づかう発言をするようになる。そしてこの時は「マーズだけでも目ざめてくれるといいんだけど」「その片鱗はある」と、いわば美奈子に何かがあったときのためのサブリーダーとして期待をかけていたレイに、やがて使命のために命を投げ打とうとする美奈子を思いとどまらせる役割を託すようになる。この Act.35の会話は、そんなふうにアルテミスが「使命よりは美奈子自身が大事」というスタンスをはっきりと取るようになる、ターニングポイントとなる回である。
 一方、美奈子はそろそろ芸能活動を締めくくる腹を固めているはずだ。この後うさぎとまことがライブのチケットを買いに行く場面では「愛野美奈子緊急ライブ」という看板が立てられているから、これはツアーではなく単発の企画であり、その看板の急ごしらえな感じや、あるいはこっちよ!さんもご指摘のように、今回の最後に出てくるライブシーンの冒頭、いきなりバックダンサーがオープニング曲「Romance」の振り付けを間違えている点(笑)などから、ものすごく準備期間が短かったであろうことが推測させられる。要するに、自らの体調が予想以上に思わしくないことを自覚した美奈子は、ここで歌手活動の集大成と言えるステージを一回やって、それからセルフ・プロデュースによるアルバムを一枚つくって、アイドル「愛野美奈子」としての自分にけじめをつけてから、残りの生命をセーラーヴィーナスに捧げようと決意したのだと思う(美奈子が楽曲プロデュースにも深く関わっていたという指摘はikidomariさんの指摘による)。
 Act.35のこのシーンで、美奈子のベッドサイドの小テーブルには五線譜とペンが置かれている。点滴を打ちながらも曲想を練っているのである。おそらく3rdアルバム『I’ll Be Here』に収められる曲であろう。でもこの時に考えていたのはどんな曲なのでしょうね。『さよなら〜Sweet days』だったら淋しすぎるけど、その可能性もなくはない。というのは、この後、美奈子は病院を出て行く途中で衛の姿を見かけて後を追い、ゾイサイトと対面する、という展開になりますよね。その後の、夜の屋上でのゾイサイトとの対話シーン、背景をよく観ると観覧車が映っているんです!これは今回の再放送で最大の発見だった。この時の観覧車のネオンの輝きが、Act.12を連想させて『さよなら〜Sweet days』の2番の歌詞が浮かんだんじゃないか、なんて思ったら、何か涙が出てきてしまいました。

2. あなたはゾイサイト派?それともクンツァイト派?(また性懲りもなく)


 「間違ってる。やっぱり二人を止めなきゃ」プリンセスと地球の王子の恋はやはり不吉だ。私が食い止めなければいけない、と決意を新たにした美奈子は、点滴を終えて帰宅しようとした矢先、病院の廊下で、当の地場衛が帰ろうとする姿を見かけ、思わず後を追う「待って!」。しかし衛はそれに気づかず、バイクで去っていく。そこに姿を現すのがゾイサイトだ。
 「セーラー戦士までマスターを狙うとは、厄介だ」ゾイサイトはベリルが何かマスターに仕掛けていることに気づいて、マスターの周囲に気をつけていたら、いきなりセーラー戦士が出てきたのでちょっとびっくりしている。しかも相手は、かつて一発で倒された苦い経験のあるヴィーナスである。
 しかし、ゾイサイトがあの時より健康状態が良いせいなのか、あるいはヴィーナスの健康状態が悪すぎるせいなのか、今回の戦いはむしろゾイサイトが状況をリードして、あっさりヴィーナスを羽交い締めにしてしまう。うらやましい。
 うらやましいと言えばあれだ。以前この日記(第44回)で、もしあなたがなれるとしたら、うさぎちゃんの部屋に毎晩泊まれるうえ、クラウンでみんなとの会話が楽しめるルナか、アイドル愛野美奈子のプライベートを独り占めできるアルテミスか、どっちが良いですかというくだらない質問をしたことがあった。あのとき、質問をした私自身は、自分で迷ってどっちがいいかはっきりとは書かなかったが、今回の、美奈子が病院の廊下で衛を見かけてから地下の駐車場まで追いかけるまでのシーンを見ていたら、これはやっぱり、私もアルテミスを選ぶなあと思いました。だって今回の美奈子はずーっとアルテミスを小脇に抱えるような格好で、だからアルテミスの頭が美奈子の胸に密着している。しかも衛を走って追いかけるから、何度も何度も、押しつけられるような感じで胸が当たると思うのである。これとAct.28で安座間美優の胸元にも入れてもらえることを加味すれば、やはりルナよりもアルテミスがお得だ。いやもちろん、うさぎちゃんが毎晩ルナを布団のなかでだっこして寝るというのであれば、もう一度考え直すが。万丈。
 ついでにもうひとつ思いついたんだが、もしみなさんが、ヴィーナスを羽交い締めにできる今回のゾイサイトと、Act.27で「お前は面白い。当分、手放したくはないな」なんてダーキュリーの肩に手を伸ばしてはねのけられちゃうクンツァイトとどっちかを選べるとしたら、どっちにします?常識的に考えればだんぜん羽交い締めを選ぶ人が多いと思われるが、あのりか様の華奢な身体に手を伸ばしてピシッとはねのけられちゃう、というあたりの展開に言いしれぬアコガレを感じる人もけっこういるのではないかと思う。あともうひとつの選択肢としては、ジェダイトになってベリル様の菱形を見つめていたいというのもあるか。これもけっこういるかもな。
 ロクでもない話をして済みません。話を戻す。ヴィーナスの攻撃を封じてきっちり羽交い締めに決めたゾイサイト。ここからだ。

ゾイサイト「いつかのようには行かない。我が主(あるじ)に近づくな」
ヴィーナス「主?」
アルテミス「お前も、前世を思い出しているのか?」
ゾイサイト「だったら?」
ヴィーナス「その主に伝えて。プリンセスに近づかないでって」
ゾイサイト「なぜ」
ヴィーナス「知ってるでしょう。星が滅ぶわ」
   (ようやく羽交い締めを解き、武器を収めるゾイサイト)
ゾイサイト「思いは同じというわけか。ヴィーナス、同じ守護する者として話がある」

 こうして、四天王のひとりゾイサイトと美奈子=セーラーヴィーナスが手を組むという、異色の展開になる。ゾイサイトはヴィーナスにガラスのオルゴールを提供する。このオルゴールを奏でれば、ヴィーナスはプリンセスからエンディミオンの記憶を消去することができる。一方、ゾイサイトはベリルの支配下にあるため、ベリルがミオを利用して衛に接近する計画を邪魔することができない。だからそのためにヴィーナスの力を借りたい、というのである。
 クンツァイトはかつて、マーキュリーの実力を認めてダーク化した。そして今回ゾイサイトは、ヴィーナスを強力な戦士と認めたからこそ手を組もうとしたのだろう。それはそうだ。なにしろかつてかれ自身をビームの一閃でしとめたのだから。その実力は、文字通り身をもって知っているというわけだ。これがネフライトだったら、かつて自分をあっさりと倒した敵と手を組むなど、プライドが邪魔して出来なかっただろう。でもゾイサイトは違う。そんなヴィーナスだからこそ、ベリルの企みからマスターを守ってくれるかも知れないという期待をかけたのである。とにかくマスター第一なのだ。そういう心意気に、ヴィーナスも応える気になったに違いない。実に美しい忠誠心である。
 四天王とセーラー戦士の関係は、これまで原作でもアニメでも、なかなか活かされる機会がなかったと思う。以前も書いたが、原作漫画では、戦士のリーダーであり守護隊長であるヴィーナスが、前世では四天王のリーダーであるクンツァイトにひそかにあこがれていた、という設定があった。また連載中の表紙イラストには、ヴィーナスがクンツァイトに、マーズがジェダイトに、マーキュリーがゾイサイトに、ジュピターがネフライトに、それぞれ背後から肩を抱かれて並んでいる図があったから、武内直子の構想の中には、当初そういう対応関係が想定されていたのだと思う。しかし結局、原作自身、その設定を表に出すということをしなかった。ただ、かつて発売されたスーパーファミコン版のセーラームーンRPGでは、上記セーラー戦士と四天王のカップリングが、一種の裏設定として活用されていたようです。私はやったことがないので詳しくは知らないんですが。
 実写版の場合、ゾイサイトが今回のような形でヴィーナスと多少かかわり、ご存知のようにネフライトが後半マーキュリーに絡む。組み合わせは違うし、きちんとしたカップルが成立するわけではないが、やはり原作の本来の構想を活かし、四天王と戦士たちの間にある程度の対応関係を設けようとした試みとして評価されるべきだと思う。ただくどいようだが、ネフライト(ネフ吉)とマーキュリー(亜美)の関係がもうひとつ狙いが分からないままに終わったのは非常に残念だ。

3. まこちゃん、つなぎ間違い


 さて続いてクラウンのシーンだ。今回のエピソードで唯一、木野まことがクローズアップされる場面である。なにしろ安座間さんの20歳の誕生日が近いので、私としてはこの場面で、なにかこう、彼女を盛り上げる材料を見つけなければならないと目を皿のようにして見ていた。そうしたら困ったことに鈴村監督の大ボケに気づいてしまった。ここは完全に、監督がシーンのつながりを勘違いしていると思う。
 クラウンでまったりしている亜美・レイ・まことの三人、プラス人ルナ。それぞれ宿題をやったり読書をしたり。亜美ちゃんはめちゃくちゃブリッコ(死語)な衣装である。この人はちょっと目を離すとこれだ。それから ikidomariさんのご指摘どおりレイは前世占いの本を読んでいる。レイはこれまでもクラウンで、占いとかの本をいろいろ読んでいて、そのタイトルも確認できる場合がけっこうあったと思う。リストにしてみると面白いかも。ちなみに原作のレイが、漫画では子供のころ永井豪の『デビルマン』を読んでいるというのは有名な話だ。あとアニメでは『カルピス名作劇場』。
 それはともかく、うさぎはいない。翌日に愛野美奈子緊急ライブのチケット発売があるというので夕方のうちにパジャマに着替えてさっさと寝てしまったのである。クラウンでそのことをぼやいているルナ。

人ルナ「まったくうさぎちゃんたら、何時だと思ってんのよ。早く寝ちゃって」
レ イ「え、うさぎもう寝たの?」
人ルナ「明日、愛野美奈子のライブチケット買いに行くのよ」
まこと「あっ!」

 ここでまことは、美奈子緊急ライブのことを思い出してハッとして、参考書か何か、荷物をバタバタ片づけて「それじゃ」と、さっさと帰る。ここがすでにおかしい。ルナが言っているように、この時点でチケットの発売日は「明日」なのだ。何をそんなに急ぐ。うさぎみたいに早寝するつもりなのか。
 で、美奈子とゾイサイトの会話の続きを挟んで、次のシーンがチケットセンターだ。台本に「日替わり」と指定されているように、ここからは日付が替わって翌日のシーンとなる。おそらくうさぎは、早寝したにもかかわらず、爆睡して早起きできなかったのだろう、チケットセンターに駆けつけたときには、もう売り切れ。ダダをこねても何も出てこない。ここまではいい。
 問題は次だ。がっかりして去って行くうさぎの後に、やはりチケットを求めてやって来るまことの姿。これが衣装もカバンも、前日とまったく同じなのだ。というかこれ、どう考えても、さっきのシーンで慌ただしくクラウンを飛びだしたまことが、そのままチケットセンターに駆けつけたとしか思えない演出になっている。さっき引用したルナのセリフを伏せてしまえば、だれもがそう思うだろう。みなさんもビデオでご確認ください。これ、基本的なミスなのではないかと思う。
 『M14の追憶』の台本比較をご覧になった方はすでにご承知のとおり、このまことのシーンはオリジナル脚本にはない。(うさぎがチケット売り場のお姉さん相手にダダをこねるシーンも脚本にはない)だからおそらく鈴村監督が思いついて加えたのだ。で、ポカをやってしまったわけだが、安座間美優のシーンを追加してくれたのはありがたいので、まあ久しぶりのセーラームーンだったせいと、それから『キラリ☆スーパーライブ』のことで頭がいっぱいで、ちょっとうっかりミスをしてしまったのだろうと、好意的に解釈しておくことにする。

4. 小松彩夏の演技をめぐって


 先ほど言った『M14の追憶』の台本比較(Act.35篇)は2005年6月23日から2005年6月29日まで7回に渡っている。で、これを改めて読みながら、私は小松彩夏の演技に対する世間の評価について、改めて疑問を投げかけてみたくなった。私自身、これまで小松彩夏についてだいぶチャチャを入れてきた。「追ってはナメ」とかアンドロイド演技とか。しかし、まずはそういう自分の性根を叩き直そう、と今回は思ったのである。
 きれいな女優はきれいだという理由だけで演技を正当に評価されない。原節子とか吉永小百合とかオードリー・ヘプバーンとか。あ、ちょっとおおきく出すぎたかな。ともかく、セーラー戦士たちはその意味で、スタートラインから不利な状況にあるのだ。そんな美少女揃いのセーラー戦士たちの間にあってもとりわけ美少女で、だからみんながいちばん正当な評価を怠ってきたのが小松彩夏だと思う。
 そもそも今回久しぶりにAct.35を鑑賞して、何よりも胸にしみたのは美奈子である。この人は本当にプリンセスだけを想って行動してきている。物語の展開上の必要から、狙いどおりの効果を生まないことの方が多かったけどね。でもタキシード仮面とセーラームーンを近づけまいとしたのだって、要するにうさぎを悲しませたくなかったからなのだ。すべてがプリンセスのためで、そのいちばん大切なことの前には、アイドルとしての絶大な人気も、自分の命も、投げ打つ覚悟ができている。そのけなげさがせつせつと胸を打つのである。こんなに人を泣かせる女優が「演技が下手」なはずはない。
 という前提のもとに『M14の追憶』に紹介された台本を読んでみよう。たとえば、シーン23「チケットセンター」。さっき書いたように美奈子のライブチケットは売り切れ。「うそぉ…せっかく二人でライブが見られると思ったのに…」と落ち込んで帰り道につくうさぎの前に一台の車が止まる。オリジナル台本はこうなっている(もうここから先は、M14さんが身銭を切って落札した台本を勝手に利用しているだけなんですけど…)。

   ウインドウが下がり、美奈子が顔を出す。
美奈子「うさぎちゃん」
うさぎ「!美奈子ちゃん?!」
美奈子「し−」
   美奈子、周囲を見てドアを開ける。
美奈子「乗って」

 お分かりですか?うさぎのセリフには「!」とか「?」とかがついている。美奈子のセリフには何もそういう指定がない。
 続くシーン24「走る車の中」というのを見てみよう。

うさぎ「うそみたい。美奈子ちゃんから声かけてくれるなんて。これで話すの四度目だし」
    後部座席にいる美奈子と興奮のうさぎ
美奈子「引っ張り込んじゃってごめんね。気づかれそうだったから」
うさぎ「全然全然、美奈子ちゃんの車に乗れるなんて、もう………!あー、ちょっと落ち着かないと」
    窓に張りついて深呼吸する
    美奈子の傍らにガラスのオルゴールがある。

 うさぎの「これで話すの四度目だし」は、台本では「三度目だし」になっている。ミスに気づいて映像化段階で脚本を訂正したということだが、でも、これまでうさぎと美奈子の間に直接的な会話があったのは、セーラーV時代のAct.7(「追ってはナメ」)はまあ例外として、(1)Act.11で病院に潜入してサインを貰ったとき、(2)Act.12でそのサイン帳を取り戻しに行って、いろいろあって最後には観覧車でショートケーキを食べたとき、(3)Act.30で、シークレットライブの後に黒木ミオと三人で話したとき、(4)Act.32で、テレビ局でユウトの付き人をしていて呼び止められたとき、の4回だから、本当はさらにプラスワンで「五度目だし」が正解である。でもユウトの時は衛に会いにロンドンに行きたいばかりで美奈子のことなんか眼中になかった感じだから、うさぎの記憶には残っていないのかも知れない。
 いやそれはどうでもいいんだ。台本のうさぎのパートには「興奮のうさぎ」「窓に張りついて深呼吸する」と、かなりテンション高めの、わかりやすいリアクションが書かれている。実際の映像には「窓ガラスにおでこをぶつける」とか「リクライニングのレバーをひっぱってシートを倒してしまう」とか、アドリブ的な動作がこれに加わるが、たとえその場でそういう演技をしろという指示が出たとしても、基本的には同じ感情の流れから出てくる表現だから、そんなにむずかしい課題ではなかったはずだ。
 一方、美奈子はどうか。実際の映像では、美奈子はかなり化粧が濃い。じゃなくて、うさぎの無邪気な姿にほほえみ、それから沈んだ顔でオルゴールに視線を移し、プリンセスの記憶を奪うという気の進まない仕事を「それが星の破滅を防ぐ方法だから」と自分に言い聞かせようとしているのであるが、そういう美奈子の感情表現についての指定は、台本には一切ない。ないどころか「美奈子の傍らにガラスのオルゴールがある」という一行だけなのである。オルゴールの様子が書かれているだけなのだ。
 いいですかみなさん。東北新幹線の盛岡−東京間は、確か2時間半はかかる。その間、小松彩夏は、こういうシナリオを読みながら、オルゴールのかたわらにいる自分がどんな演技をすべきか考えていたのである。「興奮して」という具体的な感情表現の指示もなければ、セリフの中に「!」とか「?」といったヒントもない、そういう台本である。それを読んだ上での、あの演技だ。
 『M14の追憶』で読むことの出来る台本のなかから、もうひとつ具体例を挙げてみよう。これは放送ではカットされたシーンだが、入院していた美奈子が、ライブの準備のためにこっそり着替えて病院を抜け出す場面。台本では、美奈子が、アルテミスに向かって「ムダな時間使わないって言ったのに、矛盾してるか」と自嘲気味に言うことになっているが、このセリフには「わざとおかしそうに笑って」というト書きがつけられているのである。「おかしそうに笑って」ではなく、そこに「わざと」というニュアンスを付け加えてセリフを言えというのだ。これまた「興奮のうさぎ」などとは比較にならないくらいむずかしい。そしてその結果が、あの美奈子のアンドロイドな微笑なのである(いやこのシーンそのものは実際には存在しないわけだが)。
 一言でいえば、台本は美奈子に、極力ストレートな感情表現を抑えたセリフ回しを要求している。たとえばレイの場合で言うと、まずAct.34で、初登場したパパに向かって、思い切り激情をぶつける。それから Act.35のクラウンで「私のは、ただぶつけているだけ」という、モノローグに近い亜美へのセリフがあって、最後の墓地のシーンで、もっと感情を抑えてパパと対話するという、演技的にはより高度なシーンが出てくる。段階を踏んでいるのだ。しかし美奈子には、最初から後者が求められているのである。
 この際だからもうひとつ付け加えておく。「プリンセスセレニティ」。Act.25でプリンセス姿に変わったセーラームーンを観てヴィーナスがつぶやくセリフだ。これもけっこうむずかしいのだ。問題は「プリンセス」の最後の「セス」と、続く「セレニティ」の頭の「セレ」、なんて言うとなんだかよく分からないかも知れないが「プリンセスセレニティ」と口に出してつぶやいてみて欲しい。「セスセレ」というS音の音節が三つ続いてその後R音が来るというのが、セリフとしてくっきり発音するのがけっこうむずかしいのである。実際、小松彩夏の場合「プリンセス・セレニティ」とかなりあいだを区切って発音していて、ちょっと間延びがしすぎかな、という気がしないでもない。しかしともかく「プリンセスセレニティ」というむずかしい単語の発音に挑戦させられているのは、この場面ではヴィーナス一人である。さらに言えば「アルテミス」も「ルナ」に較べれば発音がむずかしい。最後の「ス」をしっかり発音するのがけっこう大変なのである。「アルテミィス」と直前の「ミ」を長母音ふうに伸ばすのは、たんに東北なまりの問題だけではないと私は考える。
 何だかだんだん細かいところまで話がいってしまったが、とにかく台本レベルで美奈子、というか小松彩夏に課せられたハードルは、他の四人に対するよりも高い、というのが私の印象である。もちろん、最初のころの小松さんは、確かになんというか、大変なものであった。しかしAct.12でのうさぎと美奈子の会話と、今回の二人の会話を比較すると、その進歩たるやめざましいものがある。そのへんはやっぱり、小松ファンのみなさんが、もっともっと率先して誉めたたえるべきだと思うのだ。


 えーと、あとラストのバトルからヴィーナスがチケットを渡すまで、という流れがあるのだが、今日も12時を回ってしまったので(なんか最近は時間切れで終わりというパターンが多いなあ)そろそろこのくらいにしときます。せっかく休日で、長文の記事でもゆっくり読んでいただける時間がおありの方もいらっしゃったでしょうに、更新がこんなに遅くなってしまい、ほんとうに申し訳ありません。
 バトルについては「初期M14」の一編「 進化する戦闘シーン(後編)」をご覧いただければ付け加えることはない。初めてこれを読んだときの驚きは相当なものであった。当時はまだ自分がブログを始めるなどとは思ってもいなかったが「いい齢した大のオトナがこんなことをしても良いんだ」という衝撃が、いまにして思えば私がこういうことを始める遠因となっている。
 それから最近の「 検証・実写版台本リターンズ−act35戦闘シーン−」もちょっと驚きでした。同じ鈴村監督によるAct.15の最後のバトルシーンなんかがけっこう好きだったこともあって、今回のバトルも演出家の功績が大きいと思っていたのだが、台本がこれほどきっちりとアクションシーンを書き込んでいたとは。
 そして、最後にヴィーナスがセーラームーンにチケットを渡したことの意味は二つあると思う。ひとつは、プリンセスと前世の使命のために「愛野美奈子」を捨てようとしているヴィーナスに対して、他ならぬプリンセスが「愛野美奈子」の存在意義を認めてくれたことへの驚きと感謝。美奈子の歌がどれほど自分の心の支えになったか、それを伝えてくれたプリンセスへの返礼として、愛野美奈子の、おそらくは最後になるであろうライブのチケットを渡した、ということなんだと思う。それからもうひとつには、これはたんにチケットを渡したというよりも「私がセーラーヴィーナスだ」という告白をしたという意味合いがある。少なくともこの時点で、四天王も、他の戦士たちも、そしてタキシード仮面も「愛野美奈子」がセーラーヴィーナスであることは先刻ご承知だ。ただうさぎ=セーラームーンだけが知らなかった。そのうさぎに対して、美奈子が自ら、自分がヴィーナスだということをここで間接的に告げるところに、何か重要な意味があるように思う。ただこっちの方は、私にはもうひとつその先がまだよく分からないのだ。
 まあ「愛野美奈子の蹉跌」を読んで思ったことだが、美奈子の問題というのは、実写版の最後にして最大の謎である。たぶんこれが解決してしまうと、こういうブログはもう続ける必要はなくなってしまうのかも知れないですね。ということで、また最後がかけ足になりましたが、今日はここまで。


 安座間美優さん、自然体の魅力がとても美しく開花して、もう何も言うことはない。お誕生日おめでとうございます。



【今週の猫CG】【今週の待ちなさい】なし


(放送データ「Act.35」2004年6月12日初放送 脚本:小林靖子/監督:鈴村展弘/撮影:小林元)