実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第42回】セーラールナ登場で前半戦もいよいよ大詰め!の巻(Act.27)

1. 今週のガシュン!


 10月25日(水)、深夜2時15分よりAct.27再放送だったんですけどね、Act.8を見逃した第14回以来ひさびさに、またやってしまいました。遅くに帰宅して風呂に入り、仮眠をとるのも中途半端なのでそのまま起きていたつもりだったのが、疲れていたのだろうか、いつの間にか寝てしまっていて。
 今月から実写版の前番組として始まった松本零士原作のアニメ『銀河鉄道物語』がAバートまで終わり、時刻が午前2時を回ったところまでは憶えている。前にうっかり寝てしまった時みたいに酒も入っていないし、もう大丈夫だ、と油断したのがいけなかったのか。しかも前のときはダイニング・テーブルに向かってノートパソコンを開いていて、気がついたらテーブルに突っ伏して爆睡していたので、その反省を踏まえ、今回は椅子だけをテレビの方に向けてきちんとすわってスタンバイしていたのである。
 なのに気づいたら背もたれに深く身体をあずけて馬鹿みたいに眠りこけていた。テレビはついたままで時刻は3時30分。ちなみに実写版の終了時間は2時45分である。
 この時のむなしさというのは、これはもう言葉では伝えられませんね。前に寝過ごした時も「行くよ〜」「行け〜」のAct.8だっただけにだいぶヘコんだが、まだあの頃は、ようやくヴィーナス以外の戦士が揃ったぐらいのところだった。しかし今回は、次回Act.28と前後編でシリーズ前半の締めくくりであり、話数的にはもう残り半分を切っている。
 実写版のオンエアをナマで毎週視聴できる機会なんて、これが最後かも知れない。残りの一週一週を大事に観なければいけない、と思っていたところだけにかなりショック。ショボンである。いやガシュン!か。使い方はこれで正しかったか、と思って『M14の追憶』を見に行ったら、出張中、居眠りで電車を乗り過ごしてしまわれて「ガシュン!」だそうだから、これで正しいようだ。
 【教訓】疲れているとき、前傾姿勢はそのままうつ伏せに寝てしまう危険があるが、逆に椅子に背をあずけてもそのままもたれて寝てしまう危険がある。再放送30分前からは姿勢を正し、背筋を伸ばしてスタンバイすること。

2. とりあえずアヴァン・タイトルを


 仕方ないので初回放送時のビデオを観て、今この日記を書いているわけだが、うーんどうもショックから立ち直れなくて、どう書き出したらいいものか、珍しく文章が浮かんでこない。とりあえずアヴァン・タイトルのうさぎちゃんの口上を聞いてみましょうか。

私、月野うさぎと、亜美ちゃんとレイちゃん、それからまこちゃんが戦士として戦うようになってから、びっくりすることがたくさんありました。でも、いちばん驚いたのが、私たちが守るプリンセスは、セーラーヴィーナスだとばっかり思ってたのに、実は違ってて、本当のプリンセスは私だったんです。遠いむかし、私ってばプリンセスだったんだって。そして、王子エンディミオンは、タキシード仮面こと、地場衛……。私の気持ちは一方通行のまま、日本からいなくなっちゃいました。
 でも、何よりもいちばん大事なのは、敵にさらわれて、悪い心に変えられてしまった亜美ちゃんを取り戻すこと……

 ふむふむ。というわけで、今回のお話は前回のラストからの続きで、どこのビルの屋上かは知らないが、マーキュリーの前に立つ謎の戦士セーラールナ、という場面で幕を開ける。「だれ?」。しかし浜千咲はダークマーキュリーを演ずるのが本当に楽しそうだなあ。とりわけ今回と次回は確信犯の舞原監督がパートナーなので、もうターボかかってメーター上がりっぱなしです。
 そんな喜々とした表情でセーラールナを倒そうとするマーキュリー、しかしその表情がふいに曇り、動きが止まる。それを見て「やっぱり」と納得するルナ。「セーラームーンがプリンセスとして目ざめたとき、幻の銀水晶の光を浴びたでしょ。あの時、あなたにかけられた術が、弱くなったのよ。マーキュリー、あなたはきっと戻って来る」そう言い残してルナは姿を消してしまい、当惑するマーキュリーが後に残される。今回はこの二人、マーキュリーとルナが主人公だ。前半はルナの「私は誰でショー」で、後半はダークマーキュリーとセーラームーンの、二度目にして最後の直接対決である。

3. 「ルナ人間体」というアイデアは劇場版『セーラームーンS』から、かもね


 原作漫画のルナは、うさぎがプリンセスとして覚醒した後、けっこう落ち込んでいた。KCなかよしコミックス『美少女戦士セーラームーン』第2巻より。

 あたし、ルナの使命は「月野うさぎ」を目ざめさせ、育てあげること。いかなるときもそばにいること。あたしの記憶を封印してたのも、セーラーヴィーナスをプリンセスのダミーにしたてあげ、そしてうさぎちゃんを戦士セーラームーンとして育てたことも、すべてプリンセスと、そしてプリンセスのからだにねむる「幻の銀水晶」を守るため。……もうすこし敵をあざむく予定だった。でもうさぎちゃんは思わぬところで覚醒をして……
 はやくあたしが記憶をとりもどして、タキシード仮面がエンディミオンだと気づけば、うさぎちゃんを苦しめずにすんだのに……うさぎちゃんの相棒、失格ね。

 これに較べると、実写版のルナは脳天気ですね。なんで今回から人間の姿をとるようになったかというと、もう少し後に出てくる「これからはアルテミスに言われたとおり、私がびしびし鍛えるから大丈夫よ」というセリフからして、どんどん激しくなる後半の戦いに向けて、戦士たちの指導教官を務めるためであり、それには猫の姿では不十分だから、ということらしい。そのへんのルナの役割が、むしろテレビ本編よりはっきりと打ち出されているのはアルバム『DJムーン2』(2004年5月19日リリース)であるが、それもだいたいこの頃、突貫工事で制作されていたようである。
 でもまあ、ルナもそういう使命のことはタテマエで、本当は人間の姿になれた嬉しさの方が大きいみたいです。さっきのマーキュリーとの冒頭シーンの後、ルナは一人で、うさぎに初めて出会った赤羽緑道パークブリッジ(通学路)をゆっくり歩いている。しかし嬉しさの余り「うそみたい」と途中で走り出し、うっかり猫の姿に戻ってしまう。駆け寄るルナがCGだ!Act.22以来である。ここまでがアヴァン・タイトルで、画面に向かって駆け寄って来たルナの額の三日月がアップになり、オープニングの月に重なって、主題歌が始まる。
 ルナ人間体というアイデアは、もちろんちびうさがベースになっているのだろうが、「ルナは人間になることにずっとあこがれていた」というもうひとつの設定を考えると、どうしても劇場版アニメ第2作『セーラームーンS』、そしてその原作として書き下ろされた『かぐや姫の恋人』を想い出さずにはいられない。
 劇場版アニメ劇場版1作目のときに、自分の出したストーリー原案をボツにされた武内直子が、今度こそ私の考えた話じゃなきゃ絶対ヤダ、という意志を貫き通したのが『劇場版セーラームーンS(かぐや姫の恋人)』である。そんないきさつもあるせいか、アニメ版セーラームーン原理主義者には概して評判が悪く、制作スタッフのなかにもあんまりなことを公言している人がいるんだが(苦笑)私はけっこう興味深い作品だと思っている。武内直子自身が『かぐや姫の恋人』の後書きで書いているように、自分の原作のテイストも盛り込みたい、でもアニメでセーラームーンのファンになった沢山のファンの人たちもいるのだから、アニメの空気を壊したくもない、というあたりの微妙な迷いというか、ブレというか、そのへんにかえって味わいがあるのだ。
 まあしかしそういう話は別の機会にします。この『かぐや姫の恋人』のなかで、ルナは月ロケットの搭乗員、宇宙飛行士の宇宙翔(おおぞらかける)に恋をする。もちろん人間である。このひと名前が「地場衛」と対照をなしているんだが、それもこの際、あまり関係ない。ともかくルナは一度でいいから、人間の女の子としてカケルさんの前に姿を見せたいと願い、そしてクリスマスの日、うさぎはその夢を叶える。銀水晶の力で、ほんのわずかな間だけルナを人間の美少女に変えて、ご対面させてやるのだ。「メリークリスマス、ルナ。私たちからのプレゼントよ」
 ルナは本当は、ずっと人間になりたかったのである。実写版Act.27のアヴァン・タイトルで、すごく嬉しそうなルナ人間体を見るにつけ、私はこの劇場版第2作を想い出す。そういう意味では、ちびうさに加えてこの『かぐや姫の恋人』もセーラールナ誕生のヒントになったのではないかと思うので、書いておきました。
 だから私は実写版でも、人ルナの恋愛がらみのエピソードが1話ぐらいあるのかなと思いましたが、ぜんぜんありませんでしたね。ひかりちゃんが大地君を連れて月野家に遊びに来たら、大地君はうさぎの部屋でバッタリ出会った小池里奈ちゃんに一目惚れ。再びひかりちゃんにライバル出現!そしてアルテミスは!?とかね。そんな話あるわけないか。

4. クラウンにて:まこととレイ、そしてうさぎ


 さて本編が始まると、いつものようにダーク・キングダム、そしてクラウンと、両陣営の動向が描かれる。ダーク・キングダム(愛称「ダキン」)の方ではネフライトがもうドン底状態。セーラームーン攻略に失敗して、プライドだけは人一倍だったいつもの威勢もどこへやら「これが本当のおれだ。ベリル様にも見捨てられ、こんなブザマな…」というところまで落ち込む。マーキュリーにもらったマントを頭からかぶってじっと動かないロングショットが印象的ですね。
 だもんだから、ジェダイトは何もしないのにベリル様の好感度アップ「ネフライトはどうしておる」「さあ。勝手にプリンセスを狙って失敗したせいか、目に付くところにはおりませんん」「愚かな。いずれふさわしい死に場所でも捜してやらねばなるまい」
 この「いずれふさわしい死に場所」という言葉の意味について、以前コメント欄でこっちよ!さんが書かれていましたが、改めて観ていて、やはりこれはAct.36以降のネフライトの境遇を予告しているのではないかなあと思いましたね。プライドだけは人一倍高い、役立たずのネフライトに、ベリルは四天王としてのすべてを奪い、人間界に送り返すという屈辱を与える。無力な人間たちの世界、これがお前にふさわしい死に場所だ。
 一方、クラウンではまこととレイがセーラースタータンバリンを前に話している。

レ イ「これが、アルテミスのプレゼントってわけ?」
まこと「使ったけど、すごい強力だった。私はまだ戦士の力をものにしてないのに、パワーが上がったみたいでさ」
レ イ「前世の記憶が戻ったことが、影響しているのかも知れないわ。それにうさぎ……ううん、プリンセスが一緒だったってことも」
まこと「私たちで、うさぎを守っていかなきゃいけないんだよな」
レ イ「ええ…」

 普通に観ていればどうってことのないシーンなのだが、毎回日記をつけていると、こういうさりげない会話の背後にも、脚本家の配慮が行き渡っていることに気づかされる。レイは、かつて守護戦士だった自分がどんなふうに「プリンセス」に接していたか、具体的なところまでは思い出せない。でも根がまじめなので、これまでとは違ってうさぎをプリンセスとして扱わなきゃいけない、とは考えている。でもどうしたものか。そういうとまどいが「うさぎ」と言いかけて「プリンセス」と訂正する彼女のしゃべり方に示されている。
 一方のまことも「私たちで、うさぎを守っていかなきゃいけない」と言っていて、守護戦士としての使命はよく自覚している。しかし「プリンセス」とは口にしない。なぜか。まことはこれまで、うさぎの地場衛に対する想いをずーっと見守り続けてきていた。そのうさぎが前回、成田まで衛を見送りに行く代わりに、妖魔と戦うことを選んだのである。「行かない。私、プリンセスだし」。まことは、うさぎが「自分はプリンセスだ」という事実をどれほど深く受けとめているかをはっきりと間近に見て、そこに痛々しさを感じている。だからまことはうさぎをプリンセスとして祭り上げたくはない。「うさぎ」を守りたいのだ。
 たぶんレイはまだ、そこまで気づいていない。だからひょっとすると今のレイは「あのうさぎに、どうやってプリンセスとしての自覚をもたせようか」なんて、そんなことまで考えているのかも知れない。だからまこととしては、本当はタンバリンのパワーなんかよりも、あのバトルでうさぎがきっぱりと恋を捨てた、そのプリンセスとしての決断のことを、レイに話してやりたい。しかしそれはできない。うさぎの恋のことは今まで内緒にしていたのだし、もしここで話したとしても、「男からむとキビしい」レイが、それをどう評価するかは微妙だからだ。そんな二人の感情の錯綜が、この短い会話の背後に感じられるのです。で、そこへ息せき切って飛び込んでくるのが当のうさぎだ「ルナから、何かすごい発表があるんだって!」レイとまことに緊張が走る。
 でもうさぎは「ルナは実は猫ではなく犬だった」とか「実は結婚していた」とか、大ボケな「重大発表」予想をして二人を脱力させる。相変わらずの馬鹿っぷり、と見せかけて、しかしその後、ひとりで帰宅するうさぎの、大人びた愁いの表情から察するに、これは半分は地だが半分は演技ではないか。つまり「プリンセスだからって、みんな今までと違う態度はとらないで」という気持ちから、あえていつもの無邪気なうさぎちゃんを装っているのだ。
 だから次に、三人分だけ用意されたセーラースタータンバリンを見たうさぎが「いいなあ。私だけないなんて不公平だよね」とグチを言い、レイが「プリンセスは別よ」と答える場面で、救われたのはレイの方だと思う。この会話によって「まだまだ無邪気なプリンセス、だから特別にお姫様あつかいをする必要もなし」というふうに「プリンセスであることが分かったうさぎにどう対処するか」というレイの当面の問題が解決されるのである。しかもそれに続いて、亜美のタンバリンを取り上げて「これ、早く亜美ちゃんに渡したいなあ」とつぶやき、この一言で「そうね」「取り戻そうよ」とみんなの気持ちをさっとひとつにまとめあげてしまうのである。とにかくうさぎの成長ぶりはきわだっている。こういうのを進境著しいと言うのだろう。
 でここからは、小池里奈ちゃんの顔見せというか、ルナ人間体の「私は誰でショー」である。まずは再び赤羽緑道パークブリッジでうさぎにポイッと紙玉を投げつけ「ダメねえ。今のが敵の攻撃なら、やられてるわよ」。Act.1でうさぎに拾われて置かれたのとまったく同じ場所にいるのが偉いですね。でも正体を告げようとするところに、犬を連れて散歩している人がやって来て、慌てて逃げ出す。次は玩具店でエリカちゃんと一緒のレイ。神社の子供会でみんなで遊ぶゲームを買うために出かけてきた彼女の前に現れるも、転がりだしたボールを追いかけて行ってしまう。そして最後は晩ご飯の支度をしているまことのキッチンに現れて「座敷童子」騒動。まあとにかく舞原監督、こういうのは楽しそうである。
 だいたい普通は、バレバレの話でもいちおう途中までは「この謎の少女は誰でしょう」的な演出で引っ張るのがセオリーだろう。たとえばAct.20で、うさぎたちの公園デートを追跡するまことを、バレバレなのに「この人は誰でしょう」と途中までサスペンス風に演出した高丸監督だったら、そうしたんじゃないだろうか。それが今回はアヴァン・タイトルでいきなり猫ルナに戻る場面を見せて正体を割ってしまう。どうせ分かっているんだから、この方がすっきりしていいや、と私は思います。

5. マーキュリーとクンツァイトに関するひとつの仮説


 一方、今回のもう一方の主役である亜美は、時々フラッシュバックで甦る、仲間との楽しかった日々の記憶に苦しみ続けている。
 ダーキュリーは初登場のAct.21から較べてさらに声が低くなっている。それが後半、音域の高い沢井美優の声といっそうくっきりしたコントラストをなしている。それから最初のころの「逃げてもムダよ」「う・さ・ぎ・ちゃん」というような、かつてのマーキュリーを思わせるセリフは徐々に影を潜め、代わりに「私の獲物よ」なんて、亜美ちゃんだったら言わないような言葉づかいになっている。つまりダーク化してからも少しずつ進化、というか変化しているのである。ではそれはどういう方向で進んでいるか。今回の剣を構える仕草などを見ると、どうも「クンツァイトの模倣」ということらしいのだ。ダーキュリーは次第にクンツァイト化している。
 そしてクンツァイトもクンツァイトで、亜美への態度が微妙に変化しているように見える。以前に書いたように、脚本家の設定によれば、「セーラー戦士、やはり一人欲しいな」とつぶやいたクンツァイトは、Act.16でのマーキュリーの戦いぶりを判断基準に「手に入れるならお前がいい」と思ったんだそうです(Act.20)。最初は純粋に戦力として亜美に目をつけたわけだ。別に感情的にどうこうという感じはなかった。ところがそのうち「まったく、お前というやつは」(Act.25)なんて、なんだか愛情さえ感じさせるようなことを言うようになり、今回なんか「お前は面白い、当分、手放したくはないな」なんて手を伸ばすというすごくうらやましいなかなか興味深いシーンもある。はねのけられちゃうんだけどね。
 つまり、クンツァイトとマーキュリーは徐々になんらかのかたちで心理的にシンクロしているのだ。それは何か。
 だんだん手が痛くなって余裕がなくなってきたので一気に結論にいきますが、それは「同性愛」なのではないかと思う。クンツァイトはなぜ執拗にエンディミオンを憎むのか。以降、しばしば挿入される前世の描写のなかで、クンツァイトは、マスターに仕えること、そしてマスターと剣を交えることに何よりも喜びを感じているように見える。そこにホモセクシャルな感情の流れをかいま見てしまう私はやおいでしょうか。もちろん愛と言ってもプラトニックなものだし、あるいはクンツァイト自身そんなふうには思わず、臣下としての主君に対する忠誠心とだけ自覚していたのかも知れない。しかし結果的に、彼はひそかにマスターに一途な愛を捧げていたと思うのである。だがそのマスターは月のプリンセスと恋に落ち、腹心である四天王を捨て、そして星を破滅に導いた。だから彼は誰よりもマスターの裏切りを憎む。可愛さ余って憎さ百倍というやつですね。
 一方、亜美のうさぎに対する気持ち、これもはっきり言ってしまえば、一種のプラトニックな同性愛だ。そしてそれゆえに、亜美は嫉妬や様々な感情に苦しめられてきた。そのネガティブな心理が増幅したところにダーキュリーというキャラクターは成立している。
 クンツァイトはマーキュリーを手に入れた後に、彼女の心に自分と同じようなマスター(プリンセス)へのプラトニックな愛情を見たのだ。そうかお前もそうだったのか。しかしお前のその気持ちは決して報われない。そればかりか、今まで傷つけられた以上にお前を苦しめるに違いない。お前のプリンセスは私のマスターと恋に落ちる。そして私たちを深く傷つけ、破滅させ、すべてを滅ぼす。その運命は避けることができない。必ずやって来る。そのとき憎んでももう遅い。だからお前は今、お前が愛するその相手に向かって、憎悪の刃を向けなければいけない。クンツァイトはそうマーキュリーの心に吹き込み、そしてマーキュリーは次第にクンツァイト化して、戦士の誰よりもセーラームーンを狙うようになっていった。と思うんですけどね。


 で、それに答えて「亜美ちゃん、苦しいんだ。亜美ちゃんがいちばん」と亜美の気持ちを思いながらダーキュリーとの最終決戦にいどむセーラームーン。そして「マーキュリー、惑うな!」というクンツァイトの叫び、というクライマックスの話に行きたかったんですが、今日はもうそろそろ限界です。それに今朝、病院へ行って「だいぶ良くなったと思っているだろうけど、まだまだ無理しちゃだめだよ」とも言われたところですから。そういうわけで最後はかけ足の尻切れトンボになってすみません。
 最後にもうひとつだけ。今回再放送を見逃して、ビデオを観て良かったことをひとつ。初回放送では、本編が終わり、いつもと違って主題歌もかからない次回予告が入った後、美奈子による「セーラームーンキャンペーン」のお知らせがあったのだ。そしてその美奈子はセーラー服姿なのです。戦士のコスチュームじゃないですよ。学校の制服だ。
 思えば美奈子がドラマの中でセーラー服(制服)を着たことは、たしかこのAct.27まではなかったはずだ。美奈子だけ制服姿を見せないままで前半終了ではちょっと淋しい、というスタッフの粋なはからいなんだと思う。
 ついでに来週の実写版オンエアはちょっと変則的で、水曜深夜2時20分からの放送、しかもその日の夜に放送されるバレーボール中継が長引いた場合は、さらに最大30分まで放送開始時間が遅れます。
 じゃそういうことで、中途半端になってホントにすみませんが、また来週ってことで。
 

(放送データ「Act.27」2004年4月17日初放送 脚本:小林靖子/監督:舞原賢三/撮影:松村文雄)
(猫CGデータ)アヴァン・タイトル。人間体から猫に戻るルナ