実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第419回】孤高のアイドル愛野美奈子の巻

1. 40からが全盛期


2013年4月11日からフジテレビの木曜劇場(午後10時〜11時)で放送されている『ラスト・シンデレラ』ってドラマ、このたび、その第5話(5月9日放送)に小松彩夏さまがご出演されていると聞き、はじめて観ました。初見なので、詳細は知らないんですけど、けっこう面白かった。


男も作らず仕事ひとすじ、気がつけば40歳目前の美容師(篠原涼子)。


一夜限りの情事の相手には事欠かないが心は孤独なスポーツ・インストラクター(飯島直子)


夫とは長らくセックスレスで姑との関係も思わしくない専業主婦(大塚寧々)。


というようなアラフォー女性たちの恋愛模様を、そこそこきわどい描写も交えて描く大人向けのラブコメみたいな話だ。まあ篠原涼子にしても飯島直子にしても大塚寧々にしても、いい歳なのにめちゃくちゃきれいだね。失礼な言い方だけど。
こういうなかにポンと小松彩夏が出て来ると、どうも立ち位置がよく分からなくなってくる。いちおう、登場シーンからして、胸元のアップから始まるんだから(このメンバーのなかでは)若いセクシー要員ということなんだろう。



でも実は小松彩夏がいなくても、飯島直子で胸元セクシーは十分足りるくらい供給されているということもあってさ。



福岡から、姉の篠原涼子をたよりに上京してきた弟のサトシ(大林健二fromモンスターエンジン)。キャバクラ嬢の彼女(小松彩夏)との結婚を反対され、彼女を連れて東京まで駆け落ちしてきた。そう豪語するわりに、お姉さんのところに転がり込んだまま、居候を決め込む。あげく職探しがうまく行かないと、東京では田舎っぽい格好のせいでどこにも雇ってもらえないから、服を買う金を貸してくれと、お姉さんにたかる。



で、篠原涼子が「いい加減にしなさい」と説教しかけると、それより先に小松彩夏のビンタが飛ぶのである。



理恵「サトシくん甘すぎるよ。どこまでお姉さんに甘えたら気がすむの。最初からお姉さんのこと頼って、何から何までお世話になって。あげくの果てには、おカネ貸してって?これのどこが駆け落ち?いい齢して自分の選んできた人生を親のせいにしているような人に、一生自立なんかできっこないから……場所だけ変えたって、何にも変わんないから……」


これが実に小松彩夏らしいセリフ回しで、個人的には「こまっちゃん良い仕事をしたなぁ」と、かなりツボだったんだけど、客観的にはどんなもんだったんでしょうか。
ともかく、アラフォーの女性たちがこれだけ魅力的なんだから、小松彩夏はグラビアアイドルを続けてもあと10年くらいはもつのではないか。

2. 前回のおさらい


前回は、斎籐社長のメモの内容を確認して、ついでにドラマ内で確認できる美奈子の音楽活動(CDリリース暦)をチェックした。まとめるとこうなる。ちなみに、2003年前半の活動(つまり『ACT ZERO』と本編Act.1との間)の情報が不足しているんだが、全体のペースを考えると、春に1枚シングルを出している、と想定した方が自然な気がするので、仮に入れておいた。



2002年12月 1stアルバム『IMITATION』(12月18日)
2003年04月 シングル発売(推定)
2003年08月 シングル『C’est la vie 〜私の中の恋する部分』
2003年09月 2ndアルバム『VENUS』(9月24日)
2003年12月 シングル『肩越しに金星』
2004年04月 シングル『Romance』
2004年08月 シングル『Kiss2 Bang2』
2004年09月 3rdアルバム『I’ll Be Here』(9月22日)


こうして年表にすると、音楽活動は順調そのものに見える。毎年シングルを3枚にアルバムを1枚。実にまっとうなペースである。ところが、にもかかわらずドラマのなかではアルバム制作に関する怪情報が何度も飛び交う。
最初のインフォメーションがAct.11の斎籐社長のメモ。2003年12月上旬のロンドンでの仕事の内容が「ニュー・アルバム・レコーディング」と書いてある。つまりこの時点で美奈子は3rdアルバムの制作に入っていたのだ。しかもロンドンで。
常識的に考えれば、このニューアルバムは、2004年の春までには発売されるはずだった。
ところが年が改まってこれとは異なる情報が飛び込む。Act.17(2004年1月31日放送)、衛に陽菜という婚約者がいることを知って、家庭科の時間に作ったクッキーも渡せず、凹みまくって町を歩くうさぎ。



交差点で、ふと「美奈子」ということばが聞こえてきて、街頭ビジョン「週刊芸能ニュース」を見上げる。



「続いては人気アイドル愛野美奈子さん失踪に関する続報です。最近仕事のキャンセルが続き、心配されていた愛野美奈子さんですが、次のアルバム制作に向けて充電中との、直筆メッセージが出されました。また、マスコミに送られたファックスの中でも、アルバムに合わせて新曲も発表することを…」


一方こっそり身を隠したホテルの一室で、アルテミスと美奈子も別のニュースを見ている。



「…心配されていた愛野美奈子さんですが、現在、次のアルバムに向けて充電中であることが分かりました。現在の居場所については極秘だそうですが、一時期、病気説が流れていただけに、ファンのみなさんも……」


いずれの報道も内容は同じで「次のアルバム制作に向けて充電中」ということになっている。ロンドンで録音した新作はどうなったのか。何らかの事情で「お蔵入り」になったとしか考えられない。その理由については後ほど考察する。



続いてAct.21(2004年2月28日)。ここでは美奈子がホテルで「新曲の構想メモ、明日にはファックスするって、社長に伝えておいて」と電話している場面が映る。したがってこの段階で美奈子はすでに「充電期間」を終えて、次のアルバムのための曲作りを始めている。作詞のみならず作曲も本人が手掛けている、という点にも注目しておくべきだろう。
次はAct.28(2004年4月24日)「亜美ちゃん、お帰り」の回。



うさぎと亜美をダーク・キングダムから奪回する方法のヒントを貰おうと、「FMナンバーテン」公開収録にゲスト出演中の愛野美奈子を訪ねるレイとまこと。



このときのDJは、Act.4で仮装パーティー会場に居たDJと同じ露木亮介。



DJ露木「さっそくですが今回のアルバムの仕上がりは、どんな感じ?」
美奈子「今回は作詞作曲の両方に挑戦させていただいて、きっとファンのみなさんに満足してもらえる仕上がりになってるんじゃないかなって思います」
DJ露木「なるほど、それは楽しみだね。…というわけで今日のFMナンバー・テン、愛野美奈子ちゃんをお迎えして、このあともニュー・アルバムの話を中心にお届けしたいと思います」


ということでかかる曲が「Romance」なので、これがニュー・アルバムの先行シングルということになるんだと思う。



またAct.35のラスト、シリーズ髄一ともいえるバトルシーンの後、ヴィーナスがセーラームーンに「今日のお詫びにこれを」と渡した「チケットぷあ」のチケットにはこう記されている。



愛野美奈子コンサート
RAINBOW TOUR 2004 SUMMER
◆主 催:UTV ユニバーサルTV、テレビ朝目
◆企画制作:VENUS PROJECT 2004 ◆制作協力:コロンビア
◆運営協力:TOY BOX、SALTS、Micky Gun ◆協賛:GOD、P&G
◆お問い合せ:UTV ユニバーサルTV
※3歳以下のお子様のご入場はお断りします。
よみうりホール
2004年6月13日(日)
13:30分会場 14:00開演


キラリ!ライブのような単発のステージではなく、ツアーである。で、私つらつらと思いますに、この「RAINBOW TOUR 2004 SUMMER」って、本来サード・アルバムのリリース記念として企画されたものではないか。その初日が6月13日よみうりホール(約1,100人収容)公演ではなかったのでしょうか。つまり、4月末にシングル「Romance」リリース、5月末ないし6月上旬にサード・アルバムを発売、6月13日よりツアーライブ開始、以降、週末ごとに全国を廻って、千秋楽は7月23日(ってそりゃ小松彩夏の誕生日だ。会場はまあキャパ2,200人の中野サンプラザホールくらいかな)というスケジュールが想像される。



ところがその初日の公演で美奈子は倒れてしまう。したがってツァーの残りの日程もキャンセル。しかもサード・アルバムも発売されないままという異常事態だ。
そして2004年9月になって、ようやくサード・アルバム『I'll Be Here』が発表される。腰巻きのあおり文句はこうだ。




大ヒット曲「肩越しに金星」「Kiss2 Bang2」収録‼ファン待望MINAKOの3rdアルバムついにリリース!


これもまあ、意外っていえば意外だ。この『I'll Be Here』というアルバムには「C'est la vie〜私のなかの恋する部分」も「Romance」も収録されているのだが、美奈子の「大ヒット曲」といった場合には、それらの名を挙げるよりも先に「肩越しに金星」「Kiss2 Bang2」ってことになってしまうんだね。
ていうか、何度も言うが、このサード・アルバム自体が問題だよ。全6曲でうち4曲がシングルヒットナンバーって何だよ。M14さんはコロちゃんパックって言っていたけど、ともかく普通「アルバム」とは呼べないレベルである。何度もアルバム発売の予告をすっぽかして、ツアーも急病で中止で、ファンを待たせに待たせておいて、それで出てきたものがこれである。

3. 三つのポイント


さて、もう少しじっくり腰を据えて分析・考察を加えるつもりだったんだけど、なんかこの週末も法事が重なっちゃってねぇ。連休にしっかり休みを取った反動なのか、あんまり時間がないんで、このあたりでまとめます。以上もろもろのファクターをああだこうだと考えると、アイドル愛野美奈子をめぐって、おおむね以下の三点を指摘できる(と名古屋支部は考える)。


★アーティスト志向
★サード・アルバムに賭ける思い
★社長は金持ちの御曹司


まずアーティスト指向について。ファースト・アルバムの曲目を振り返ると、タイトルトラックの「イミテーション」(もちろんニセのプリンセスを演じる美奈子本人のことを指している)を始め、コスチュームカラーを織り込んだ「ハートはORANGE」、「白い出会い」(アルテミスとの出会いのことだろう)、それに「MAKE UP POWER!」と、まだセーラーVにすらなっていない彼女の運命を暗示するような内容に満ちていて、他人が書いた曲とは思えない。つまり、美奈子自身が自分の運命の予感を歌詞に書いて、タイトルをつけたと考えられる。
アイドルが自分で作詞も始めることはもはや珍しくないが、ファーストアルバムから、となると、ちょっと破格の扱いである。「ディーバ降臨」という宣伝コピーといい、おそらくスタッフ側は、他のアイドルとの差別化を図るために「美奈子はただのアイドルではなく、歌姫でアーティスト」という路線をとろうとしたのではないだろうか。そう考えると、翌年の末に、早くも「ロンドンレコーディング」なんてことをやる理由もはっきりしてくる。


ただ、さっきも書いたとおり、2000年代に入ると「私は作詞もしちゃうアーティストです」みたいな自己主張をするアイドルって、もうそんなに珍しくなくなっていた。
そういえばユーミンがそういう風潮に苦言を呈していたっけね。だいぶ前に私、どなたかのブログで読ませていただいた気がしたぞ。と思って探してみたら、ありました。こちら。松任谷由実さんの番組に松浦亜弥さんがゲスト出演したときのトークの内容を、ブログのなかで活字に起こしてくださったようだ。これが実に「さすがユーミン」という感じで、受けるあややもあややでさすがなんですが。


松 浦:(質問が)もう一個、私、自分で作詞をまだ一度もしたことがなくって、やっぱり、近い将来は自分で作詞というものを、やっていきたいなと。今はつんく♂さんだったり、いろいろな方からいただいたものを、自分なりに消化をして、理解をし、納得をして歌っているんですけど、なんかやっぱりこう、自分の思う気持ちっていうものを歌いたいなぁと、思っているんですが。
松任谷:いやぁ、厳しいこと言うようだけど、妙にしない方がいいよ、作詞とか。
松 浦:えぇ、そうなんですか?
松任谷:うん、その方がカッコいい。人が書いてきたものを、自分のものにしちゃって歌えるっていう方が素晴らしいと思う。
松 浦:えー、そうですか?
松任谷:悪いけどなんか、あとで詞を書き出したんです、みたいな、で「アーティスト」みたいなふうに言われてる人のろくな詞ないもん。
松 浦:(笑)
松任谷:だから、曲とか詞を書くっていうのは、もう生活、生理、いっしょだから、食事したり歩いたりすることと。言われる前から書いてるのよ、人が止めようと、勧めようが、勧めまいが。自分の欲求として、もう幼い頃から作っちゃっている。もちろん、ある日突然、書きたくなって、自分で書いたものを、自分の言葉を歌いたくなって、ひらめいちゃって、ってことはあるかもしれないけど、書いて歌うようになりたいんです、って言っているようだったら、書かない方がいいと思う。だって、同じだよそれは、人が作ってきたものでも。ためを思って作ってきてくれたんだから、あややはこうだ、って。それを表現できることの方がスゴイと思うね。
松 浦:ほぉー、そういうふうに考えたことなかったです。
松任谷:別に、人が作ったものでも、自分のでも関係ないと思う、私は。で、その吸引力を持つことが大事だと思う。なんかこんなピッタリのものができちゃったっていう、それはひとえに人徳だったりするわけだから。いや、もちろん、ほんとにある時ね、どうしても書きたくなって、ということがあれば別なんだけれど、フォーマットとして求めない方がいいと思うよ。
  (東京FM「松任谷由実 For Your Departure」2005年10月30日放送分より)


それでも、ある種のアイドルや歌手は「歌っているだけ」に満足できずに、曲作りの方に向かっていく。最初は作詞から始めて、それでも満足できない人はだんだん、作曲の方に進んで、作詞・作曲ができてこそアーティストだと。



私事で恐縮ですが、この間、坂本真綾のニューアルバム『シンガーソングライター』を聴いた。ついに坂本真綾がひとりでアルバム全曲の作詞・作曲・プロデュースを手がけた意欲作だ。でも悪いけど、私はこれを聴いて、やっぱりこの人は「歌手」だと再認識した。歌ばかりか自分で作詞作曲までしてしまう多才さよりも、才能ある他人が書いてくれた曲を「自分の歌」にしてしまうこの人の力のほうがはるかに凄みがある。でも、じゃあ今度の新作は不要だったか、といえば、やはりこれは必然なんでしょうね。やっぱり、ある種の人々は業を背負ったように、「ただの歌手」から「シンガーソングライター」へと進んでいってしまうものだ。ユーミンの言う「人が止めようと、勧めようが、勧めまいが」曲作りの方に進んでしまう人。おそらく美奈子もそういうタイプだ。
それで話を愛野美奈子に戻して言うと、おそらく事務所的には「美奈子はただお仕着せの歌を歌うだけのアイドルではない、アーティスト寄りの歌い手だ」という売り出し戦略があって、その都合から作詞をさせるようになったんだと思う。ところがそれがきっかけで、美奈子は表現者として目覚めてしまって、シングル『Romance』からはいよいよ作詞作曲をひとりで手がけるようになるのである。彼女のアーティスト志向が付け焼き刃でないことは、病床にも常に五線譜やキーボードを持ち込んでいる姿勢からもうかがうことができる。

4. サード・アルバムに何が賭けられたか?(妄想は進むよ)


以上のような事情と、何回も延期になったサード・アルバムの問題とはけっこう関係していると思う。ロンドンでレコーディングした新作がお蔵入りになったきっかけは何か?たぶん、Act.10ラストの妖魔の襲撃だろう。
それまで、アイドル愛野美奈子とセーラーV(プリンセスのダミー)という二つの顔を使い分けてきた美奈子だが、妖魔の直接攻撃を受けて、いよいよセーラー戦士としての(あるいはプリンセスの影武者としての)自分の使命に本腰を入れるべき時が来たのを自覚した。そのためには、アイドル愛野美奈子の看板を、ぼちぼち撤収しなければならない。でもそれであっさり歌手業を辞めるには、美奈子はこの仕事に愛着を持ち過ぎていた。だから最後に1枚、とことん自分の納得するアルバムを世に出して、歌手・愛野美奈子がいたことの証として、それで引退しようと思ったのである。
ロンドンでのレコーディングは、あちらの作曲家、アレンジャー、スタジオミュージシャンなどから、学ぶべきことを学んで、美奈子が今後おおきくはばたいて行くための助走のような仕事だった。でも、もうそんな余裕はない。次に出すアルバムはラストアルバムになるのだから、そういう企画ものっぽい内容ではなく、これぞ100%愛野美奈子というものでなくてはならない。だから申し訳ないけど、ロンドンで録音した新作はボツだ。
CMだとか何だとかの仕事は事務所の指示どおりにこなすが、音楽という一点だけは譲れない、そういう美奈子の頑固一徹さを知っている社長は、結局この申し出をのみ、本人の希望通りロンドンの録音素材をあきらめる。半年近い発売延期となったサード・アルバムは、美奈子の作詞・作曲したナンバーを多数収めた(できれば全曲)美奈子自身のセルフ・プロデュースが全編に行き渡ったものとなる予定だった。この段階では。



ところが戦士の使命は激増するし、体調はどんどん思わしくない方向に進むし、先行シングル『Romance』こそスマッシュ・ヒットはしたものの、結局フルアルバムの完成は、そのプロモも兼ねて企画されたツアーライブ、2004年6月13日よみうりホールから始まる「レインボー・ツアー」(「オーバーレインボー・ツアー」じゃないよ)にも間に合わなかった。それどころか、美奈子は初日で立ちくらみを起こして全公演キャンセルという失態を犯してしまう。
さすがのスガオ社長も美奈子にビシッと言う。アタシもたいがい我慢していたけど、いつまでもアンタのワガママにつきあう訳にもいかない。体調が戻ったら、ひとまずシングルを出しなさい。それからサード・アルバムもちゃんと出しなさい。ぜんぶの曲を自分で作詞・作曲するとか、そういうことにはこだわらないで、ここ一年ほどのヒット・シングルの寄せ集めでもいいから、とにかくアルバムを出すこと。それがファンのみなさんへの、せめてものお詫びとお礼ってことになるんじゃないの、美奈子?



ここに至って美奈子は、納得のいかないアルバムを出すくらいなら、いっそこのまま引退してしまえ、と、やや自暴自棄になる。それを押しとどめたのが、マーズれい子こと火野レイと社長がタッグを組んで仕掛けた新曲争奪戦であったことは、Act.40のとおり。その結果、美奈子は他のライターが書いたロックンロールナンバー「Kiss2 Bang2」を収録し、自作曲ということにこだわらずに、サード・アルバムの制作に向き合う決意をする。
……だけど、その時に病魔は、すでに美奈子の身体を奥深くまで蝕んでいた。結局、美奈子は、自分自身の再出発を歌った「I’m here」と、プリンセスに捧げた「さよなら 〜sweet days」を作詞作曲するのが精一杯で、この2曲と、過去1年のシングルヒット4曲を収録したサード・アルバム『I’ll Be Here』のリリースを目前に「逝ってしまった」のですね。



と、このくらいで、今回の美奈子をめぐる考察は終わりにしたいけど、最後に、事務所サイドの対応について簡単に触れておきたい。一言でいえば寛容ですよね。ドラマの画面に映る場面だけを見ていると、社長が強引で美奈子も言われるとおり従っている、という印象が強いけれども、考えれば、ナコナコなりきりコンテストをドタキャンしたり、ロンドンで録音したアルバムを結局発表しなかったり、ライブ中に倒れたり、とつぜん歌手引退宣言をしたり、事務所もそうとう美奈子に振り回されている。で、そのワガママをぜんぶきれいに受け入れちゃったのが斎籐菅生社長ですが、これって気持ちの問題というよりは、お金の問題だと思う。イベントやコンサートのドタキャンで払わなければならない賠償金ってハンパなものではないだろうし、ロンドンレコーディングにかかった費用を考えると、それをボツにしてしまえる度胸も只者ではない。さらに美奈子が歌手引退を決意すると、火野レイとタッグを組んで「マーズれい子の売り出し撮影会」「テレビ局のスタジオを借りきっての新曲争奪ゲーム大会」を仕掛けて美奈子を翻意させるわけだが、これもかなりお金がかかっているよ。いくら美奈子が事務所のトップタレントで、社長が美奈子の才能に惚れていたとしても、弱小事務所でこんなことをしていては会社の経営自体が成り立たなくなるだろう。アミューズとかスターダストとかぐらいの事務所なら別だが、斎籐社長の会社って、とてもそんな規模には見えない。
だとすると、実は斎籐社長はとんでもない大金持ちの御曹司だった、という想定ぐらいだな、私に考えつくのは。芸能事務所経営は、芸能界にあこがれを持つ彼の道楽みたいなもので、だからこそ度を超えて、美奈子に金を湯水の如く使うことができたのだと。
というあたりで、今回はタイムアップ。ほとんど憶測ばかりの記事なので、いくらでも反論してくださって結構です。なんといっても美奈子は、モーニング娘。の最盛期に登場しているのだ。その後もAKB48とかももクロとかいろいろあるわけだが、2000年以降「グループにまったく所属しないアイドル」が、あとどれほどいるというのだ。議論を深めて、みんなもっと愛野美奈子を真剣に考えよう(それでどうする)。


じゃあ最後にAct.10より


うさぎ「あっ、愛野美奈子!」



美奈子「世界各国の、有名なアーティストさんたちが集うこのファインスタジオで、美奈子も気合いを入れて頑張ってます。というわけで、ロンドンでのレコーディングは順調です。ファンの皆さん、新曲楽しみにしててくださいね」



うさぎ「へー新曲出るんだ。楽しみ。聴きたいなぁ。どんなんだろう。絶対買お」


次回はAct.11レビューに戻りたいと思います。