実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第98回】502号室記念レビュー『マスター・オブ・サンダー』(第1回)

 

マスター・オブ・サンダー 決戦!!封魔龍虎伝 [DVD]

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 「景子と言えばやはり竹下景子(愛知県出身)」というのは、名古屋ローカルな常識なのかなと思っていたが、ここしばらくのコメント欄を拝見していると、案外、日本国民の総意であるらしいことが分かってきた。北川さんもまだまだだ。
 そういうわけで、日本三大美優と言えば「山本美優・安座間美優・沢井美優」だが、日本三大景子となると難しい。竹下景子・北川景子に誰を加えるかが問題である。私はかつて「飯干景子」を考えていたが、今はNakoさんが挙げられた「鍵本景子」も渋くて良いかも、と思う。しかし今日の話題は小松彩夏だ。

1. 「真夏の小松彩夏!」にたどり着くまで

 
 「千葉真一」が引退宣言をした、という第一報は、万丈さんからいただいた。NHKの大河ドラマ『風林火山』の撮影中に持病のぜんそくが再発し、立ち回りに初めて酸素ボンベを使用して、体力の限界を感じられたようである。ただこれは、アクション俳優としての「千葉真一」ブランド(芸名)を封印する、という意味であって、千葉さん自身が完全に芸能界から身を退くということではないらしい。今後は後進の育成に力を注ぎ、見込みのある若手に二代目「千葉」を継がせたいとか、自分自身が俳優として活動する場合には新しい芸名を使うとか、母校である日体大の教授になるとか、いろいろおっしゃっている。ひとまず仕切直し、第二の人生プランはまだこれから、ということだろう。
 そんな折りもおり、WOWOWはタイムリーにも「真夏の千葉真一!アクション大感謝祭」という特集を組んだ。7月15日(日)が『沖縄やくざ戦争』 (1976年、中島貞夫)と『空手バカ一代』(1977年、山口和彦)という沖縄もの2本立て、翌16日(月)が『ゴルゴ13 九竜の首』(1977年、野田幸男)と『ドーベルマン刑事』(1977年、深作欣二)という劇画原作もの2本立て、続いて7月17日(火)は『直撃地獄拳 大逆転』(1974年、石井輝男)、そして7月18日(水)は『マスター・オブ・サンダー 決戦!!封魔龍虎伝』(2006年、谷垣健治)と、計6本、観れば観るほど、どんどん偏差値が下がり脳が空っぽになっていくような怒濤のラインナップである。
 で、私は深夜、これらの作品をだらだら観ながら、途中で寝ちゃったりもしたのであるが、『空手バカ一代』では夏樹陽子が天井から吊されて、『ゴルゴ13』では志穂美悦子が天井から吊されていて、なんだか前回の日記の続きのようであった。ぜんぜん関係ないが、実写版『ゴルゴ13』には、これ以前に高倉健主演バージョン(1973年、佐藤純弥)もあって、そっちでは高倉健が天井から吊されて拷問を受けていましたね。
 それにしてもさいとう・たかをは、なぜ千葉真一の『ゴルゴ13』なんて許可したのだろう。そもそもさいとう先生は、最初の実写版の企画にも消極的で、だから東映に対して「主演は高倉健、オール海外ロケなら可」という、かなり無理やりな条件を出したのである。ところが、原作初期のデューク東郷のモデルとも言われる高倉健が、二つ返事で出演依頼を引き受けて、予想に反して映画化の話がとんとん拍子に進んでしまったのだ。さいとう先生も本腰を入れて台本を執筆したのだが(脚本はさいとう・たかを&K・元美津)だいぶ内容を変えられてしまって、原作者としてはおおいに不満が残る結果となった。
 という話の顛末は有名で、ネットで検索してもあちこちに出てくるはずだが、では「なぜ高倉健は出演を承諾したか?」という疑問についての考察はあまりないと思う。私の推測を手短に言えば、これは深作欣二の『仁義なき戦い』と関係がある。『仁義なき戦い』第1作目が公開されたのが1973年の1月、第2部『広島死闘篇』が同年4月、第3部『代理戦争』が9月で、『ゴルゴ13』はその翌年、1974年の正月映画として封切られている。つまりこの年、東映やくざ映画のメインストリームは、それまでの鶴田浩二や高倉健の任侠ものから、菅原文太の仁義なき実録路線へと一気にシフトしていったのだ。聡明な健さんは、もう唐獅子牡丹の時代は終わった、とすばやく察知して、新しい路線を模索中だった、そこへゴルゴの話が舞い込んできた、ということなのではないだろうか。
 えーとこんな調子では永久に本題にたどり着けないのでこのくらいにしておくが、ともかく、そういう苦い経験を、さいとう先生は1973年になめていらっしゃるのだ。なのに1977年、千葉真一がデューク東郷を演じるという、高倉健よりさらにリスクの高い企画に、なぜOKを出したのか、それが分からない。実際、千葉真一バージョンのゴルゴのインパクトはちょっと筆舌に尽くしがたい。ご存じない方はこちらをご覧ください。みなさんどう思われますか?私には『マグマ大使』のゴアに見える。
 で、私はいったい、何を書こうとしていたんだっけ。そうか、WOWOWが「真夏の千葉真一!アクション大感謝祭」という特集を組んでいて、そのトリをとるのが7月18日の『マスター・オブ・サンダー』である、という話なのだ。確かに千葉ちゃんの引退という話題も絡むが、「7月下旬」というタイミングで『マスター・オブ・サンダー』がテレビで初オンエアされる以上、我々には、強引にでも企画のタイトルを「真夏の小松彩夏!お誕生日記念大感謝祭」と読みかえる義務がある。
 というわけで本日の記事は、昨年の夏に公開された映画『マスター・オブ・サンダー 決戦!!封魔龍虎伝』をレビューして、ますます可愛さに磨きをかけている小松彩夏さんのお誕生日を寿ぐ、という企画だったのだ。いやはや、これからが本題である。

2. 僕は妹に恋をする


 『マスター・オブ・サンダー』という作品のモチーフとなるのは、平安時代の実在の文人貴族、小野篁(おののたかむら)である。小野小町の祖父として知られる人だが、とにかく色々とミステリアスな伝説にいろどられている。たとえば、彼はこの世とあの世を自在に行き来することができたという。京都市東山区の六道珍皇寺には、篁が冥界への入り口にしていたと伝えられる井戸がある。彼は夜な夜なこの井戸から地下の黄泉の国へと降りて、閻魔大王の助手として死者の裁判を手伝っていた、というのである。そして嵯峨の清涼寺横の薬師寺境内には、明け方にこの世に戻って来るのに使っていたとされる井戸もある。
 それから、彼が腹違いの妹と近親相姦の関係にあったという逸話も有名だ。これは『篁物語』という、後世に創作された歌物語に伝えられている。異母妹に読み書きを教える家庭教師の役を与えられた篁が、次第にその妹と深く愛し合うようになる。周囲の者が気づいて二人を引き離すが、軟禁された妹は悲痛のあまり衰弱して死んでしまう。そのため篁は生涯、独身をつらぬいた、という物語だ。
 この二つの伝説はそれぞれ別個のものだが、『マスター・オブ・サンダー』には、両方をいっしょくたにした感じの「篁の悪霊」が登場する。演じるのは松村雄基。みなさんも、いちいち「篁」を「たかむら」と脳内変換しながら読むのも大変でしょうから、以下「松村の怨霊」と呼びます。松村の怨霊は、妹と自分の仲を裂き、さらには妹の命を奪ったこの世の者どもすべてを呪って、冥界とこの世の通路を開いて悪鬼たちを召喚し、世を乱そうとしている。映画の中では、あの世とこの世の通路は、京都のお寺ではなくて、どこかよく分からないが山奥の五重塔にある。そして、この五重塔を封印し、松村の起こそうとする災いから世を守るために建てられたのが、映画のメイン舞台となる山寺、金剛山桔梗院である。
 桔梗院の歴代の僧たちは、千年以上にわたって、松村の怨霊との熾烈な戦いを続けてきた。しかし今から40年ほど前に「桔梗院、青龍の七人衆」と呼ばれる僧たちが結集し、ようやく松村をきっちり封印することに成功した。
 封印を終えると、七人衆は、いちばん若手だった源流(千葉真一)とその義弟、三徳(倉田保昭)を残して、山を下りて散って行った。寺を託された千葉ちゃんと倉田さんは修行三昧の日々。いや実際には、若い頃の二人はグランセイザー(岡田秀樹)と仮面ライダーブレイド(竹財輝之助)が演じていて、千葉ちゃんでも倉田さんでもないのだが、まあいいよね。
 二人がこの寺に残ったのは、すごく大事な仕事がひとつだけあるからだ。12年に一度、戌(いぬ)年になると、松村の怨霊が再び力を盛り返すのである。その時、きちんと「鬼封じの法」をやらなければ、七人衆があの世とこの世の通路に張った結界がほころび、悪鬼たちがまたこの世に現れてしまうのだ。
 映画のプロローグは、昭和45(1970)年、戌年、この封印を破って松村の怨霊が復活するところから始まる。桔梗院に住んでいた若き日の千葉真一と倉田保昭は、なぜ「鬼封じの法」によって、松村の復活を防ぐことができなかったのか。原因は兄弟子の千葉真一にあった。千葉真一には、父親違いの美しい妹がいて、その妹は倉田保昭と夫婦の契りを結んで、一緒に桔梗院に住んでいた。もちろん千葉にとって、可愛い妹が信頼する弟弟子と結ばれることに異存はない。ないはずなのだが、本当は、千葉真一は妹を女として深く愛してしまっていたのである。千葉は、僧侶でありながら、妹への煩悩を断ち切れないでいる。そういう迷いと執着が、同じように、妹を愛するあまり魔道に落ちた松村雄基の心と共鳴し合って、松村の怨霊に、封印を破る強力なパワーを与えてしまったのである。
 二人の前に復活した松村の怨霊は、千葉真一の妹、未央の命を奪い、千葉に「愛する者を失う苦しみ、その苦しみに耐えられるか」と嘲笑しながら消えていく。どうもそうやって、耐えきれなくなった千葉真一をダーク化しようと企んでいたようである。
 翌朝。失意の千葉は、松村の悪霊が復活したのも、妹の命が奪われたのも、妹への執着を断つことができなかった自分のせいだと倉田に告白し、桔梗院を後に放浪の旅に出る。こうして、この山寺は倉田保昭ひとりが継ぐことになった。


 物語本編はそれから36年後、三度目の戌年が回ってきた2006年、現代から始まる。桔梗院の和尚となった三徳(倉田)は、「鬼封じ」の法を行うために、自分の育てた弟子の僧侶たちを山奥の五重塔に送り込む。しかし時すでに遅く、松村の怨霊は封印を解いて、悪鬼をこの世に送り込んでいた。悪鬼を演ずるのは中村浩二。倉田プロの人で、スーツアクターとしてウルトラマンティガやウルトラマンダイナの「中の人」をやっていた方です。これがべらぼうに強くて、五重塔に向かう途中の弟子僧に襲いかかり、ばったばったとなぎ倒していくのがタイトルシーンとなっている。
 この冒頭いきなりの長い戦いで、沢山いた倉田の弟子は、ほぼ全員が悪鬼に倒され、使いものにならなくなってしまう。「鬼封じ」は失敗だ。このままでは松村雄基は完全にあの世とこの世の通路を開いて、さらなる悪鬼のたぐいを送り込んで、ますます世を乱すだろう。どうすればいい?
 放心状態の倉田に声をかけるのがアユミ(木下あゆみ)だ。幼いころから桔梗院に引き取られ、弟子というよりは孫娘のようにして育てられてきた、大きくて涼やかな瞳をもつ美少女だ。ちなみに、役名と芸名が一緒なのは香港映画の王道である。アユミは倉田に、かつて鬼を封じ込めた青龍の七人衆を、再び呼び集めれば良いではないか、と問いかける。でも倉田の返事はにべもない「無理だ。もう40年近く昔のこと。行方知らずになった者もあり、他の者もみな、この世を去ってしまっておる」
 しかし、アユミはめげない。翌朝早々、リュックを背負って桔梗院を出ようとする。呼び止める三徳和尚(倉田)。

三 徳「どこへ行くアユミ」
アユミ「あの、ちょっと散歩に」
三 徳「山を下りるつもりか」
アユミ「あの…あたし、考えたんだけど、あの七人の所へ行ってみようと思うんです。その人たちは死んじゃってるにしても、その子供や孫はいるわけでしょ。それに弟子だって」
三 徳「無駄だ」
アユミ「やってみなきゃわかんないじゃないですか。役に立たないかもしれないけど、このままただ見ているのはいやなんです。…見つけられる気がする。新しい仲間を……ダメでもともと、あたし行きます」

 こうしてアユミは、新たな「青龍の七人衆」を見つけ出すべく、町へ下りていく。そして割とあっさりと、かつての七人衆の遺伝子を継ぐ5人の若者を発見する。なぜかバイクに三節棍を常備しているヤンキー風のアンナ(永田杏奈)、じいさん同士が兄弟弟子だったせいで、そのアンナと子供の頃から仲の良かった、頭脳優秀なメガネっ子のミカ(芳賀優里亜)、ナンパ野郎のトオル(椿隆之)、コスプレメイドのカオリ(小松彩夏)、その従兄弟でメイド萌えのオタク青年コースケ(平中功治)。ついでに、七人衆の弟子筋にあたるほとんど役立たずのガイジン(アドゴニー・ロロ)も一人、拾ってしまう。これで6人。さらに三徳の弟子であるアユミ自身を加え、新たな七人衆が結成されるのだ。

3. とにかく木下あゆ美さんは文句なしに美しいのだが


 『マスター・オブ・サンダー』は、表面的にはアユミと七人の戦士たちを主人公とする現在の物語であるが、その深層には、小野篁の怨霊(松村雄基)と源流(千葉真一)を主人公とする過去の物語が流れている。篁と源流は互いに敵である反面、「妹を愛する」という同じ宿命を背負ってしまった者同士として、お互いの苦しみを最もよく理解している。だから当然のように、松村雄基の愛した妹と千葉真一の愛した妹は、同じ女優が二役で演じている。これが『ウルトラマンマックス』のミズキ隊員(長谷部瞳)なんです。私はそもそも、歴代のウルトラ女性隊員のなかでこの人がいちばん好きなのだが、この映画の回想シーン(昭和40年代)での、ラムネの瓶を片手にもった清楚なブラウス姿も美しかった。ミズキ隊員は『マックス』の第14話「恋するキングジョー」でも昭和40年代風モードを披露していて、あれも素敵だった。レトロが似合う人なのでしょうか。そもそもマックスのミズキ隊員って、もう何の疑いもなく、ひたむきにカイト隊員だけを見つめ続けた古風な女であったなあ。
 そしてこの現在の物語と過去の物語をつなぐ存在が三徳(倉田保昭)ということになるのだが、本当はもう一人、ふたつのストーリーを関係づける存在として適役がいたのではないかと思う。カオリである。
 カオリ(小松彩夏)は七人衆の血を引く戦士の一人で、コスプレ美少女で、秋葉原のメイド喫茶でメイドをやっている。そして路地でいざこざが起こると、戦闘服にコスプレチェンジして駆けつけ、三段蹴りを決める「アキバの平和は私が守る。悪い子たちにはお仕置きよ!」その身のこなしを見て、アユミは彼女をスカウトするわけだ「お姉さんお姉さん、他にもお仕置きして欲しい奴らがいるんだけど」。
 平安時代の怨霊を退治するために山寺まで来てくれ、という常識的にはとんでもないアユミの依頼だが、そこはさすが小松彩夏である。「悪霊たちにお仕置きか。いいかも」と、ハナからけっこう乗り気だ。ついでに、アキバでカオリを見かけるなり、その可愛さにぞっこんになってしまったナンパ少年のトオル(椿隆之)も、カオリ目当てで仲間に加わる決意をする。トオルもまた、七人衆の血を引く若者なのだ。
 ところがその場には、メイド喫茶でカオリに群がりカメラを構えていたオタクたちの一人、コースケ(平中功治)もなぜか混じっていて、彼まで「あのあの、ボクもその悪霊退治隊に入れてもらえますか?」と立候補するのである。「はぁ?なんでお前が」というトオルに、カオリがフォローを入れる「あ、そいつコースケは私のいとこだから。一応、私と同じでおじいちゃんの血をひいているんだけど」。
 従兄弟だったのか。しかしこのコースケ、カオリの追っかけなのだ。それも、トオルがカオリをナンパしようとしたときには「おヌシ、汚い手でカオリンに触れるでないニャン」と食ってかかるほどの親衛隊である。それがカオリと血のつながった従兄弟なのである。つまりここには松村雄基や千葉真一の「妹との禁じられた愛」を、ほんのわずかだが連想させる、近親愛の世界があるようにも思うのだ。いや違うかな。何しろコースケは、この映画の登場人物のなかで、最もそういう恋愛的主題には似つかわしくないキャラクターだ「触れるな。触れるなって言っておろうが」だもんなあ。
 このへんが、ちょっともったいないなあと私は思った。小松彩夏といえば天性の薄幸体質にめぐまれている。そもそも愛野美奈子が極めつけの「薄幸の美少女」だった。それから近親相姦的な「禁じられた愛」というのも、薄幸の娘にはふさわしいモチーフで、だからそういう役を与えられた小松さんは、もう上手いとか下手とかを越えたレベルで、役柄にピタリとはまっていた。『恋文日和』第2話「雪に咲く花」の宮下千雪は、実際の父娘ではないが、いわば擬似的な父親である母親の愛人に手をつけられていて、心に深い傷を負っていた。それゆえに美しかったのだ。それから『僕は妹に恋をする』の友華。彼女は自身が近親愛の当事者ではないんだけれど、血のつながった妹を愛する兄を愛してしまう屈折した娘だ。これは私、まだ原作漫画しか読んでいないのだが、作品の性格からして、小松彩夏の友華に関してはまず間違いなかろうと確信している。
 そういう意味では、この『マスター・オブ・サンダー』も、従兄弟のコースケに慕われているカオリ役にせっかく小松彩夏を起用したのだから、わりと脳天気な若者たちの中で、彼女だけにはもっと「禁断の恋愛」みたいな影をつけても良かったんじゃないかなあ、という気がするのだ。そうすれば物語のテーマと直結する重要な役になるではないか。ただそのためにはコースケを三倍くらいシリアスにする必要があるが。
 ていうか、そうでもしないと、小松さんのポジションが悪すぎるのである。このレビューは、そもそも小松彩夏の誕生日を祝うために書いているんだけど、ご覧になった方はご存知の通り、実はこの映画の女性キャストでは、ヒロインのアユミ(木下あゆ美)、そしてユカ(芳賀優里亜)の二人が圧倒的に輝いていて、体技の面ではアンナ(永田杏奈)が抜きんでている。そして個人的には回想シーンに出てくる美央(長谷部瞳)がとびきり綺麗で、はっきり言って小松さんには分が悪い作品なのだ。たとえばさっき書いたとおり、初対面の場面で、木下あゆ美は小松彩夏に「お姉さんお姉さん」と声をかけるけど、本当は木下さんの方がよほど「お姉さん」なのである。

永田 杏奈(1982年3月29日生まれ)
木下あゆ美(1982年12月13日生まれ)
長谷部 瞳(1985年4月27日生まれ)
小松 彩夏(1986年7月23日生まれ )
芳賀優里亜(1987年11月27日生まれ)

 ふーん優里亜も今年20歳になるのか。
 でもその優里亜と並んでいても、ぜんぜん異和感がないほど『マスター・オブ・サンダー』のショートカットのジャスミン木下あゆ美は、初々しく美しい。たぶん設定は十代の終わり頃ということだろうけど、確かにそう見えるのだ。優里亜のメガネっ子ぶりも良いし、杏奈のユルいヤンキーさ加減も板についている。ともかく、小松さんだけが、天性の押しの弱さもあって、ただ素材の美しさだけで、あと何の細工も施されずに放り出されているようなもったいなさがある。残念だ。


 ここまで書いて読み返してみたが、なんだか『マスター・オブ・サンダー』がものすごくマトモな映画であるかのように思えてきた。映画本編を見ていない人には、そういう錯覚を与えてしまうのではないか。これはまずい。『マスター・オブ・サンダー』は基本的にバカ映画なのだ。といって、今から書き直す気力もない。というわけで、今回はここでいったん終了として、次回に後編「バカ映画としての『マスター・オブ・サンダー』」をお届けする。まさかこの映画のレビューを前・後編2回もかけてすることになるとは、思いもよりませんでした(補記:結局、善・後編どころかもっと続くことになってしまいました)。
 小松彩夏さん、21歳になられますね。誕生日を喜ぶ記事にこんなことを書くのもどうかと思いますが、どうしてあなたには幸薄い娘のイメージが似合うのでしょうか。繊細な人形細工のような美少女ぶりが、ついそういうふうに見えやすいということなのか、ぷぁ〜っと陽気な南国出身ではなくて、木枯らし吹きすさぶ東北の寒村出身だからだろうか(違うだろ)。それとも単にセーラーヴィーナスのイメージが抜けていないだけなのかな。これからも頑張って下さい。イベントには行けませんでしたが、心よりお祝い申しあげます。
(続く)