実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第36回】アニメでもレイちゃん熱唱の巻(アニメ第54話)

1. 「セーラー戦士を水着から守る会」ってまだあるのか?


 う〜ん残念。北川景子『映画秘宝』読者投票にランクインせず。ま、騒いでいたのは私だけで、そんなどうでもいいこと、周囲も本人もつゆ知らず、新作映画『Dear Friends』の撮影は快調に進んでいるようなので、別にいいや。
 しかし北川党の人たちはすごいな。私なんかYoshi原作の映画に北川さんが出ると聞いただけで、夜も眠れなくなっているのに、というのはウソだが、ブログであの妖しげな制服姿を見ただけで、もうあんなシーンやこんなシーンで頭がいっぱいになっているぐらい心配しているのに(それは心配なのか?)、党員の方々はぜんぜん平気というか原作を読んでなお余裕のかまえで、かえって楽しげでさえある。肝がすわっている。
 こういう態度を見習わなくてはいけない。「セーラー戦士を水着から守る会」の果敢な回収(購買)活動にも関わらず、状況はどんどん進んでいるのだから、うろたえている場合ではないのだ。うさぎちゃんの水着姿だって、最近ではアダルトな魅力に磨きがかかって、すでにレベル1は終了したと言ってよい段階にある。美奈子のグラビアは、内容的にはとっくにただの水着というステージを超え、レベル2に突入している。そしてレイは、シード権で水着段階を飛ばして『水に棲む花』でいきなり変則的なかたちでレベル2をクリア、今度の映画でレベル3、あわよくばレベル4まで制覇をめざすわけだ。さすがというか、怒濤の勢い。
 一方これといった動きがないのがまことだ。でも関係ないけど、ここのところ例のファンサイトの掲示板の書き込みが増えてきたぞ。ありがとうStreamKatoさん。しかしそれがまた盛り上がっているのか盛り下がっているのか、もうひとつ見当つかないところが安座間さんの人徳というか、奥の深さである。まあこの人はいいや。
 もうひとり、最近その安否が確認された方がいました。本当は、この人には実写版放送のときから期待がかかっていたのだ。
 実写版セーラームーンは、アニメやその延長線上にあるミュージカルとは一線を画して、原作漫画に基づく新たな映像化という触れ込みで制作された。実際、アニメでは見ることのできなかった原作の名場面が、実写版でようやく再現されたという例も少なくない。そして原作には、屋内プールで水泳する亜美が描かれている。プールサイドにいる人たちの間から「水野画伯の娘さんよ」「まるで魚のようなフォームね」という嘆声が漏れるほど自由闊達に泳ぐその姿は、日ごろの勉強する亜美ちゃんからは想像も出来ないほど、とてものびやかだ。
 アニメの亜美も一応、仲間と一緒に海水浴場に行ってはいたが(第144話「きらめく夏の日!潮風の少女亜美」)。でもそれはうさぎに無理やり連れて行かれたのであって、水着にはなっても参考書は手放さない。ちょっとこれではね。だから実写版の浜千咲に、プールでイルカのようにすいすいと泳ぐ原作通りの亜美をぜひとも演じて欲しかったのである。
 なんて書くと「あ、この人じつはスクール水着とか好きなのか、ふーん」とか思われる方がいるかも知れないがそうぢゃないんだよ。ここでの亜美はスクール水着ではなくて水玉模様の競泳用水着だ。いやそうじゃなくて、亜美というキャラクターを理解するうえで、これはけっこう重要な問題なのである。
 原作で亜美が泳いでいるのは、ちょっと高級感のある会員制のスポーツクラブの屋内プールである。そこにうさぎとなるがやって来る。なるのママもここの会員なので、うさぎを誘ってやって来たのだ。そうしたら亜美が泳いでいるので、え?亜美ちゃんがどうしてここに?と二人は不思議そうな顔である。

亜 美「あたしは、離婚しちゃった父が会員で、たまにくるの」
うさぎ「亜美ちゃんのパパって、なにしているの?」
亜 美「日本画家なの」
うさぎ「へー、えかきさんっ」
亜 美「チェスも水泳も父が教えてくれたの。冷静になるにはこの二つがとても有効だって」

 亜美の父親が日本画家である、という事実を初めてご存じになった方も、あるいはいらっしゃるかも知れない。しかしここではそれよりも、最後のセリフに注目していただきたい。「チェスも水泳も父が教えてくれたの」。チェスと水泳。お分かりであろうか。
 アニメではお馴染みだが、亜美はチェスの達人で、ジュニアのチャンピオンシップをもっている。それはセーラー戦士としての彼女が、チームの頭脳となり、敵との戦いの局面を読み、戦略を練る参謀役、つまり「知性の戦士」であることと関係している。一方、亜美は泳ぐことによって、豊かな水のなかで感性を研ぎ澄ますレッスンをしている。そしてそれがマーキュリー個人の戦い方に活かされる。彼女は水を操り、ときには水の流れと自らを一体化することによって妖魔の計略を見破る「水の戦士」である。水泳とチェス=水と知性。セーラーマーキュリーの属性であるその二つの能力を育ててくれたのはパパなのだと、亜美はここで打ち明けているのである。
 医学部を目指す優等生の「水野亜美」は、ママの期待を受けて作り上げられてきた亜美のふだんの顔であり、水と知性の戦士「セーラーマーキュリー」は、実はパパによって育てられた亜美のもうひとつの顔である。そして、かつて一緒だったママとパパはすでに離婚してしまった。だから亜美は現在、ばらばらになった両親から与えられた二つの顔を、メダルの裏表のようにして生きている。そういう問題が、亜美というキャラクターの根底にはある。
 しかしご存じの通り、実写版は、一方にレイと父親の物語を置き、もう一方に亜美と母親の物語を置く、という対照的な構成をとる必要上(Act.33、Act.34)、亜美の世界からパパの存在をまるごと消してしまった。そうすると「チェスも水泳も父が教えてくれた」という設定はまったく使えなくなる。だから実写版の亜美はチェスも水泳もしない。
 そういうふうに考えると、実写版の亜美が一度も華麗な泳ぎを披露してくれなかったのにも、それなりの理由があることにはなる。ただ、しつこい私は、それでも亜美の水泳シーンを入れて欲しかったと、執念深く思う。
 チェスが出てこないのは仕方がない。そもそも実写版でチームのブレーンとして戦士たちを指揮したのはルナで、マーキュリーは一度もその役を果たしていない。戦略家である必要がないのだからチェスの名人でなくても一向にかまわない。
 でもそういう意味で「知性の戦士」としての印象が弱まった分、実写版のマーキュリーは、「水の戦士」としての側面が逆に強まった。特に、あのAct.5での戦い方、ああいうのを改めて観ていると、やはりそれをフォローする要素として、まさしく水を得た魚のように泳ぐ亜美、というイメージが欲しかったなあ、と今さらながら無い物ねだりに思っているわけです。
 あれあれ。今日の日記は、まず最近の元戦士たちの、水着だグラビアだ映画のラブシーンだという話から始まって、あの方の水着姿を見たかったなあ、だって原作にあるんだもーん、と軽く下世話に落としてマクラを終えるつもりだったのだ。それが何だか真面目な話になってしまったのは、やっぱり私の性格かなあ。うははは。というわけで本題に入ります。

2. レイちゃん熱唱のアイデアはアニメから(推定)


 さて本題と言っても、今週も実写版再放送はお休みである。来週(2006年9月27日)は午前2時40分からという話だ。仕方ないなあ。仕方ないので今回の日記ではアニメのレビューをやってみます。セーラープルートの話を書いたり、曽我部さんの訃報を知ったりして、しばらくご無沙汰していたアニメ版を観たくなった。で、何を観ようかな、ということだが、次回の実写版再放送がAct.23、つまりマーズれい子が初登場して「桜・吹雪」を歌う回なので、その予習として観ておくべきエピソードはもちろん『R』の第54話「文化祭は私のため?!レイ女王熱唱」しかない。
 第54話と書いたが、『美少女戦士セーラームーン』いわゆる「無印」は第46話で終了し、続く『R』」は第47話から始まっているから、この第54話は、『セーラームーンR』だけで数えると第8話にあたります。ストーリーはアニメ版のオリジナル。というか、そもそも『R』の前半1クール13話は「魔界樹篇」といって、もうぜんぜん原作にはないアニメオリジナルの世界である。これには、原作漫画第2部「ブラック・ムーン篇」(ちびうさ篇)の連載がちょうど始まったばかりで、数ヶ月は原作ストックが溜まるのを待たなきゃ始めようがなかった、というアニメ制作側の事情がある。
 で、実写版Act.23との関係はどうかというと、実はストーリーの内容が似ているとか、そういうことはない。けれども、原作の火野レイのキャラクターからすれば、「レイが人前でコンサートを開く」などというシチュエーションは、そう簡単に思いつくものではない。だからおそらくスタッフの中にアニメのこの話をおぼえている人がいて、それがヒントになって、じゃあキャラクターシングルも出ることだし、実写版でもレイにコンサートをさせてみましょう、という感じで出来ていった話なのではないかな、と勝手に予想している。実写版にはところどころアニメ版のファンへの目配せと思えるような描写があるのだが、しかしアニメ版のファンはあまり喜ばなかったみたいですね。

3. レイちゃんって、どんな学校に通っているの?


 さてお話だ。火川神社は今日も、恋愛成就の祈願にやってきた少女たちで大にぎわい。でも彼女たちの相手をしている巫女は、なぜかレイではなく、まことと美奈子の二人である。しかもまことは威勢よくお守りの叩き売りをやっている「さぁ寄ってらっしゃい見てらっしゃい。火川神社のお守りは、恋の病にばっちり効く。どのくらい効くかというと、かくいうこの私、何度失恋しても、コレのおかげで何度でも恋人が現れる!!」なんかぜんぜん宣伝になっていないが、勢いに釣られて次々に買う少女たち。なかなかに大忙しである。いやあ想い出しました。これがアニメのノリだ。久しぶりだなあ。
 しかしなぜレイがいなくて、まことと美奈子が巫女なのか?レイは学校の文化祭の準備で、ここのところ毎日帰りが遅い。なんと文化祭実行委員長である。というわけでまことと美奈子は、しばらく神社の仕事を代わってあげているのだ。まことなんか、それだけではなく、レイへの差し入れの弁当までこしらえている。それをあずかって、レイに届けに行くうさぎと亜美。
 場面は変わり、名門お嬢様学校、T.A女学院。正門には「1993年T.A文化祭」のアーチがかかっていて、もう文化祭気分でそわそわだ。
 講堂には「もう少し左よ、左!」「だから昨日も説明したでしょう、いったい何回、同じこと言わせるの!」「わかったわ、後で行くわ」などなど、レイの声が響き渡っている。レイちゃん、もうとにかく現場を仕切りまくり、実行委員を叱りまくりである。なにしろみんなおっとりしたお嬢様ばっかりなので、レイにとっては歯がゆくて仕方ない。
 で、これだけ命令口調に叱責ばかりされていると、まわりの人間だって「何よ偉そうに」とか反撥するところなのだが、このへんが「みんなの姉さん」レイちゃんの人徳である。むしろそこが同級生や下級生の憧れの的なのだ。

生徒A「レイさまって、素敵ね」
生徒B「ホントに。あの方がいらっしゃらなければ、今年の文化祭の成功はありえませんわ」
レ イ「そこの二人!お喋りしないでシャキシャキ動く!」
A&B「はぁ〜い!!」
生徒A「わあ、レイさまに話しかけられちゃったあ!」
生徒B「しあわせっ」
レ イ(ガックリ)「ったく、この猫の手も借りたいほど忙しいときに」

 実写版では、レイの学校生活はまったく描かれなかった。まあドラマで、学校の施設を借りてのロケというのは色々大変だとは聞いていますから、うさぎちゃんたち十番中学で精一杯だったのだろうとは思います。それにまったく学校での生活ぶりを描かなかった結果、レイという少女の、やや浮き世離れした神秘性が強調されることにはなったというところは、長所だ。でも個人的には、彼女の学校生活をちらっとでも見せて欲しかったなあ。皆さんはどうですか。
 まあいいや、とにかくもうすぐ文化祭という切迫した状況でカリカリしているレイを励ましに訪れたのはもちろんうさぎである。亜美も一緒だ。

うさぎ「レーイちゃーん!」
レ イ「あ、うさぎ?」
うさぎ「お待ちー。ルナとアルテミスだよー」
レ イ「ええっ?」
うさぎ「だって忙しくて猫の手も借りたいって」(アルテミスの手を引っ張る)
白 猫「あたたたた」
レ イ「……あんたたち、わざわざそんなこと言うために来たの?」
うさぎ「うそうそ。陣中見舞い〜」
亜 美「はい。まこちゃんから差し入れよ」(弁当を差し出す)
レ イ「うわぁ、ありがとう」
うさぎ「ねぇレイちゃん、見てっていい?」
レ イ「どうぞどうぞ、これからリハーサルがあるの」

 ということでリハーサルを見学するうさぎと亜美。リハーサルとは何か。この文化祭のメインイベントは、レイちゃんの単独リサイタルなのである。
 で、リハーサルを終えて、感心しきったうさぎがたずねる「ねえ、けっこう良い曲だったけど、だれの曲?」「あら、うさぎ良い耳してるわね。このリサイタルの曲は、ぜんぶ私の作詞作曲なの」そうなのだ。ここで歌われる曲はぜんぶレイの自作曲である。
 「大変だったでしょ」と言う亜美に、レイは「ううん。ぜんぜん。作詞なんかもすぐにできちゃったし、曲のイメージも簡単に浮かんだから、ぜーんぜん苦労しなかったわよ。楽勝よ楽勝。ま、才能ってヤツ?」なんて余裕しゃくしゃくの態度。しかしこのセリフのバックに流れるのは、なかなかいいメロディが浮かばずに苛立つシーン、歌詞を書きかけては紙をくしゃくしゃに丸めて放り投げるシーン、行き詰まって涙ぐみ、膝を抱えて夜通し考え込むシーン、そんな回想場面である。本当は大変だったのだ。でも負けず嫌いだから誰にも告げずに人一倍がんばる。レイのこういうところはアニメも実写版も変わらない。
 こういうのを見ていると、きっと『桜・吹雪』もレイの自作曲なんじゃないか、いやきっとそうに違いないという気持ちになってくるね。実写版のレイも、きっと徹夜で詩と曲を書いたんだよ。間違いない。
 でもそんな自作の曲が何でカラオケに入っているんだとか、なんで病院でフル演奏をバックに歌えるんだとか文句をつける人もいると思うが、知るかそんなこと!あんたが考えろ(逆ギレ)。
 まあともかく、そうやって文化祭の当日がやって来る。神社の手伝いをしていた美奈子とまことも、その日ばかりはレイの張れ舞台を見るために仕事は休んで集合。アニメ版は基本的に、毎回戦士が五人揃うことになっている。

4. 「魔界樹篇」とはどのような話か


 さて『セーラームーンR』「魔界樹篇」の悪役は、美少年風のエイルと、美少女風のアンという異星人のカップルである。エイルとアン、二人あわせてエイリアンという実に安直なネーミングである。
 ただこの人たちは根っからの悪役というわけではない。自分たちの星が滅びてしまい、たった二人きりになって、宇宙空間に浮遊する「魔界樹」という不思議な樹に守られながら漂流している、さすらいの民なのである。二人は魔界樹のエナジーを糧として宇宙を放浪し続けていたが、そのエナジーが足りなくなって魔界樹が枯れかけている。生き延びるためにはエナジーが必要だ。そんなところに、たまたまめぐりあったのが地球だった。そこで二人は、地球の人々からエナジーを吸い取って補給しようと、銀河清十郎(エイル)と夏美(アン)という地球人の兄姉に姿を変えて十番中学にやって来る。まあだいたいそんな設定である。
 そして今回の二人の狙いは、もちろんT.A女学院である。「文化祭か」「若いエナジーがここに満ちあふれるわけですわね」というわけだ。ところが文化祭でにぎわうキャンパスに一歩足をふみいれたとたん、二人は女学院のお嬢様方に取り囲まれてしまう。「思った通りですわ」「まさに理想の殿方」「ぎりぎりまで捜した甲斐がありましたわ」「行きましょう」有無をいわさず拉致されそうになって焦る二人。まさか自分たちの正体と狙いがばれたのだろうか!?

エイル「待ちたまえ、君たちは一体…」
桜 子「申し遅れました。私、ファッションデザイン研究会の扇桜子と申します。お二人に、私たちがデザインした服のモデルをしていただきたいんですの。テーマはずばり<宇宙から来たエイリアン>!」
エイル「ぎくっ!」
ア ン(小声で)「エイル!」
エイル(小声で)「うむむ。早くも我らの正体に気づくとは、この女ただ者ではない」
桜 子(笑顔で)「どうなさいました?お顔の色が悪いですわね。まさかそのお年で、エイリアンなんて非現実的なもの、信じてらっしゃいませんわよね。うふふ」
エイル「……いやあ、まさか、はっはっはっはっ」

 というわけで、有無をいわさず「ファッションデザイン研究会」の面々に腕をとられ、文化祭のファッションショーのモデルとして連れ去られる二人。実はこのファッションショーは、レイのコンサートの前座なんである。そこでエイルとアンの二人は、実写版の亜美が見たら喜びそうな、変てこりんなSFもどきのコスプレをさせられたあげく、最後にはタコとイカの着ぐるみまで着るハメになる。
 というように、おそらくダークキングダム篇の最後の方がかなり悲劇的な盛り上がり方をした反動か、この「魔界樹篇」は全体的に軽いタッチで、悪役もボケをやらされることが多い。原作者の武内先生は、そういうノリをあまりお気には召さなかったようである。

5. セーラーマーズが真の力にめざめた!!

(アナウンス)間もなく、大講堂におきまして、わがT.A女学院の女王、火野レイのリサイタルが始まります。皆様お誘い合わせの上、ご来場くださいませ。

 いよいよ女王のリサイタルだ。講堂はセーラー戦士たちはもちろん、レイさまを崇めるT.Aの生徒で満杯だ。幕が上がる。最初はエイルとアンのファッションショー。くっだらない衣装を着せられた二人に客席は爆笑の渦。プライド高い異星人の末裔エイルが屈辱のあまりキレて暴れ出すかと思いきや、かなりご満悦の様子。しかしその顔には次第に邪悪な笑みが浮かびだす。

エイル「ウ、ウケている!」
ア ン「悪い気はしませんわね」
エイル「う〜ん、エナジーが高まってゆく!」
ア ン「こここそ、エナジーを奪うにふさわしい場所ですね」
エイル「そうとも。こんなにエナジーの溢れている場所は」
ア ン「この会場中でここしかありませんわ」

 そんな二人のたくらみをよそに、次は「T.A女学院の女王」の登場だ。会場はものすごい盛り上がり。
 アイドル好きの美奈子に負けないくらい、アイドル願望の強かった火野レイ。本当は聖子ちゃんみたいなぶりぶりのぶりっ子を一度やってみたかったのだが、持ち前の気の強さが邪魔して、なかなか機会に恵まれなかった。今日はそんなレイちゃんにとって、一世一代の張れ舞台である。もうほとんどそのために文化祭実行委員長を引き受けたようなものだ。
 赤いミニのドレスでステージに立つレイ。場内は大喝采。戦士たちも客席から笑顔で見守り、うさぎはやんやの声援を送る。そしてかなりあきれ気味なルナとアルテミス。

レ イ「みなさん、こんにちは、火野レイです。レイちゃんって呼んで下さい。今日は、レイちゃんのために集まって下さって、本当にありがとう。レイちゃん、幸せです!」
黒 猫「…やれやれ…」
白 猫「…すっかりなりきってるよ…」

 「あなたのために、心を込めて歌います」と自作の曲を歌い出したレイだったが、そこへカーディアンが乱入して、舞台を台無しにしてしまう。
 カーディアンとは、異星人のエイルとアンが持っているトランプ状のカードに描かれた画が実体化した妖怪である。『カードキャプターさくら』のクロウカードみたいなもんだ。色々な種類があって、これが魔界樹篇の毎回のゲスト悪役となる。カードから生まれる妖魔だからカーディアン。ネーミングはとことん安直だ。
 今回のカーディアンは、人魚姫のカードから生まれたセイレーン。空中から客席に金粉を振りまき、人々を眠らせ、エナジーを吸い取る。と同時に、長い髪をするする伸ばしてステージのレイをがんじがらめにして、こちらからもエナジーを吸収。みるみる力を失うレイ。「レイちゃん!」「大変だ、変身よ」レイをのぞく客席の四人はメイクアップ!
 まずはマーキュリーとジュピターがシュープリームサンダーとシャボンスプレーの同時攻撃。しかし敵はびくともしない。
 セイレーンの声は緒方恵美。変身して迎え撃つセーラームーンはもちろん三石琴乃。シンジVSミサト対決であるが、セイレーンはあっという間に四方八方に伸びた髪で、セーラームーンどころか戦士全員を一気に絡め取って身動きとれなくしてしまい、ぐんぐんエナジーを吸い取る。
 そこへ、敵の注意が四人に向いたスキになんとか危機を脱したレイがメイクアップして参戦。でもさすがのレイも、すでにだいぶエナジーを奪われていて、ふらふらである。悪霊退散のおふだも火炎攻撃も効かない。もうだめか。
 しかしバトルで勢い余ったセイレーンは、ステージの譜面台に置かれていた、レイが今日のために作詞作曲した数々の楽譜を、バラバラに引き裂いてしまう。これがマーズの闘争心に火をつけた。あんなに苦労して、この日のために心を込めて書いた楽譜。それをこんなにするなんて。「許せない、許せないっ!」
 怒りに燃えるマーズが放った新たなる必殺技、ファイヤーソウルバード。これはですね、つまり「悪霊退散」のおふだを投げつけた後に火炎を放つ。そうすると、おふだが燃え上がって、火の鳥のかたちになってクチバシを開いて敵に襲いかかるという合わせ技だ。これで一気に敵を殲滅。見事な逆転劇を前に、アルテミスは「セーラーマーズが真の力にめざめた!!」とつぶやく。
 そうです、『セーラームーンR』のこの辺のエピソードは「戦士たちがそれぞれの真の力にめざめる」という、実写版の後半に出てくるテーマを扱っているんですね。で、今回はその火野レイ篇だったというわけだ。こうしてマーズは、自分の晴れ舞台を台無しにされ、大事な楽譜を引き裂かれて怒り心頭のあまり、戦士として覚醒したのである(笑)。
 ラストは仕切なおし。再びレイちゃんのリサイタルである

「音のない宇宙の片隅に、美しいメロディを奏でる星があります。それは、この地球です。最後の曲は『永遠のメロディ』聞いて下さい」

これはけっこう良い曲だが、まあいわゆるラブソング。「桜・吹雪」と較べられても困る。


 というわけで、今回はアニメのエピソード紹介をベースに、実写版の世界とクロスオーバーさせてレビューをしてみる、という試みでした。私は久しぶりにアニメの世界を楽しめて、けっこう良い息抜きになったんですが、レビューとしちゃ、どうなんだろうな。実写版のレビューを書くにあたっては、お読みいただいている方々も熱心なファンである、というはっきりした前提があるのですが、アニメの方は、どの程度みなさん、思い入れがあるのか、今ひとつ手さぐりの状態でよく分からないままですので、コメントなどお寄せいただければ幸いです。
 学園祭の女王、レイちゃん。「学園祭の女王」といえばかつては杉本彩のキャッチフレーズだった。神様、今度の映画の仕事で弾みのついた我らがレイちゃん北川景子が、ベリル様を目指して『花と蛇』とかそっちの方向に行きませんように、と訳の分からない連想をしつつ、また来週。



(放送データ「美少女戦士セーラームーンR 第54話 文化祭は私のため?!レイ女王熱唱」1993年5月8日初放送 脚本:隅沢克之/演出:小坂春女/作画監督:安藤正浩)
*挿入歌「永遠のメロディ」作詞:野田薫/作曲:増田 泉/編曲:赤坂東児/歌:富澤美智恵(火野レイ)