実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第26回】亜美、謎の不在にダーキュリー誕生の予感の巻(Act.17)

1. ついにコーワ撤退


 7月26日(というか27日)午前3時10分。Act.17再放送。みなさまの温かいアドヴァイスにしたがって、一休みしてから視聴することにしました。が、夏休みに入ってまだ1週間足らずで親のしつけの悪さが露呈、早くも子どもたち、特に下の幼稚園年少が入園前のむちゃくちゃな生活パターンに逆戻り。というか私が帰るなり「今日はこの子5時間も昼寝したからまだ元気いっぱい。後よろしく」とか言って自分はさっさと上の子と寝るなよ妻。寝かしつけるのに2時過ぎまでかかって、結局1時間も仮眠できなかったじゃないの。児童館から借りてきた紙芝居『アンパンマンとかいじゅうアンコラ』『アンパンマンとかびるんるん』を5回ずつぐらい読まされたぞ。
 というようなグチはともかく実写版だが、とうとう今週から、大トリと言えば聞こえはいいが、これが終われば後はイベント案内と天気予報で番組終了という、完全にどん尻のプログラムである。CMも、いわゆるCMと呼べるのはAパートとBパートの間に入った『ステーキハウス・ブロンコビリーのスタミナフェア』ぐらいかな。それから先々週まで実写版の前の時間帯に放送していたアニメ『RAY THE ANIMATION』DVDの宣伝が何回も。後は地デジ告知と自社番組の宣伝とACとかJAROとかそんなんばっかりだ。コルゲンコーワ、バンテリンコーワもとうとう完全消滅。
 なにしろマーズとヴィーナスの華麗なる競演を堪能し終わってテレビを消そうと思ったら、何の断りもなく泉ピン子がアップで抜かれるのである。憤懣やるかたない。終了直後に『渡る世間は鬼ばかり』の番宣とか入れるのはカンベンして欲しい。

2. 心眼で見ろ!


 Act.3で、巫女だった少女たちがプロペラ妖魔に捕らえられ幽閉されたのは、時空の穴の向こうの蒼い森だった。Act.6で、バスケ少年のタケル君に夢中だったなるちゃんたちが連れ去られたのは、石膏像とかが置かれた白黒画面の謎の空間だった。ダークキングダムが人間たちを捕らえて閉じこめておく場所は、いちおう異次元空間みたいなものであることは分かるが、全体的にちょっと安い感じは否めない。それでも、特殊な色のフィルターをかけたり、ちょっとそれっぽいセットで撮影したりと、それなりに異世界を異世界らしく見せる工夫はしてあった。
 ところが前回Act.16で、妖魔の穴に落ちたなるちゃんたちが放り込まれたエナジーファームとなると、美術的にはほとんど手抜きもいいところだ。目に見えない結界を張って現実世界の一角を間借りした、という説明で、ごくふつうの日常空間(千葉県木更津市のかづさアカデミアホール)をそのまま使っている。
 つまりスタッフは我々視聴者の想像力を鍛えるという手に出たのである。もう異世界風のセットとか、視覚効果とかに使う予算や時間はどんどん減っている。だから観ている方も、足りない部分は自らの想像力をはたらかせ、脳内補完して欲しい。大事なことは、そこをかづさアカデミアホールではなく、クンツァイトの創り出したあやかしの魔界、エナジーファームに見立てる、そういう「心の眼」を養うことである。それができないと、これからどんどんきつくなるぞ。
 というメッセージかどうかは知らないが、今回と次回は、エナジーファームに続く実践編その2みたいなエピソードだ。何しろかなりの緊張感をもって想像力を持続させる必要がある。ちょっとでも気がゆるむとそこはただの体育館に見えてしまう。だが心の眼で見るんだ。そうすれば、ここは教会だ

3. レイの祈りと美奈子の祈り


 教会の墓地でひとり祈りを捧げるレイ。彼女に声をかける神父。なんだかアニメ無印第26話『なるちゃんに笑顔を!うさぎの友情』を連想しますね。ネフライトとの悲恋に傷心の大阪なるを元気づけようと、横浜へ遊びに連れ出すうさぎ。外人墓地でひとりの外国人牧師に出会い、なるの心は慰められる。ところが彼は妖魔ボクシーだった。牧師→ボクシー→ボクサーというベタなダジャレで、チャンピオンベルトを締めてボクシンググローブをはめて、背中には天使の羽というめちゃくちゃな妖魔だった。「何ヲゴチャゴチャ言ウトルダギャア」となぜか外人なまりの名古屋弁だったっけ。
 しかし今回は神父で、牧師ではない。つまりカソリックだ。カソリックの司祭は、人間を創り出した父なる全能の神に代わって人々を導く「神父」。それを、迷える子羊たちを導くという意味で「牧師」と呼ぶのはプロテスタントである。もっとも、ここで重要なのは宗派や教義の違いではない。
 レイは病死した母の墓の前で手を合わせ、父のことを思っている。レイの父親は病床の母を見捨て、幼い自分を神社に預けるという受難を与えた。全能の「父」である神が、最愛の子イエス・キリストに、十字架に磔にされ非業の死を遂げるという試練を与えたように。そんな父をレイは許せない。だからナザレの子イエスを十字架にかけた神も信じない。レイは宗教を信じない巫女だ。神によって自分の運命が導かれているなどという考え方は決して受け入れられない。それは父とは決して和解しないということと同じ意味だ。自分の人生は自分で切り開く。ママのぶんも。
 神に祈っているのではなく、母の魂に祈りを捧げている。そんなレイに対して「あなたがお父さんと一緒に来たら、もっと喜ぶでしょう」と言葉をかける相手は、やはり「牧師」ではなく「神父」(ファーザー)でなければならない。そういうことだと思う。もちろんレイの口から出るのは「父は、母が死んだときにも仕事をしていたような人です。母も望んでいないと思います」という冷たい拒絶の答えだ。
 けれどもそのとき、神父は何も言い返さず、黙ってそっとレイの肩に手を置く。それはAct.34、同じこの墓の前で、レイと父との心がほんの少し和解に向かう場面を、わずかに予告している。
 同じ時、美奈子もまた、礼拝堂でひとり祈りを捧げている。美奈子は、いわば神の意志にしたがって、前世から定められた自分の使命に忠実に生きようとしている。真のプリンセスが覚醒するまでの間、影武者として敵を撹乱するのが、目下の彼女の役目だ。その時は近い。
 だが一方で、真のプリンセスはまた前世と同様、かつての地球の王子と恋に落ちようとしている。それは世界の破滅を招く。けれどもそれを妨げるために彼女が打った手だては、ことごとく失敗に終わっている。やはり運命は、変えられないのか。私は無力なのか。
 イエスは十字架に磔になることによって、復活の奇蹟と人類の救済をもたらした。もし自分が、予告されたあと6カ月の命を使命に捧げ、死を受け入れることによって、星の破滅が避けられるのなら、私は喜んで犠牲になろう。それが神の意志だというのであるならば。だから、本当に神様がいるのなら、私に答えて欲しい。お前はその運命を受け入れよと。
 神に向かって祈りを捧げる美奈子と、神に背き、母の魂に祈りを捧げるレイ。それぞれの想いに沈んだまま、二人は互いの存在に気づかず、すれ違って去っていこうとする。そんな二人を引き合わせるのは、一匹の捨て犬だった、というのが今回のお話です。あとエピソードの要所は、いつもどおり親方さんのところに手際よくまとめられています、ということでひとつよろしく。

4. ケンコー初登場


 さて今回の演出は、これが初登場となる佐藤健光監督だ。カット割りがやや多いような気がする。そして細かいカットの積み重ねで、暗くて重い心理が基調となっているこの回を、テンポよく見せてくれる。それから今回のプロットは、一方では「うさぎの失恋→カラ元気→恋心を告白」もう一方では「美奈子の死の予感→レイとの出会い→心の触れ合いとすれ違い」という、基本的に接点をもたない二つの話が並行して進んで、最後まで合流しないまま終わる。つまりうさぎとまことと亜美のパートには、美奈子はもちろんレイもまったく姿を見せず、美奈子がレイと出会い、妖魔と闘う教会に他の三人は最後まで姿を現さない。話がひとつに収束しないので、双方のストーリーを微妙に関連づけながら、交互に少しずつ語っていくしかないわけだが、そのへんも丁寧にこなしています。
 たとえばアヴァン・タイトル。陽菜と腕を組む衛を見て、手作りクッキーを渡しそこねたうさぎが、すっかり落ち込んで歩く帰り道、街頭で美奈子失踪・充電中のニュースを見る。いつもだったら大好きな美奈子のことで大騒ぎするはずのうさぎが、そんなニュースにも大して気を引かれずに再び沈み込む、という描写でうさぎのショックの大きさを表現すると同時に、次の「失踪中」の美奈子のシーンへとつなぐ。
 あるいは教会で捨て犬の看病をしながら、ふとマガジンラックに置いてあった週刊誌の表紙を見て、一緒にいるのがアイドルの愛野美奈子であることに気づくレイ。ここは私、このエピソードでいちばん好きなシーンなので詳しく述べますと、まずレイの「ああ。やっと分かった。会ったことあるような気がするはずよね」というセリフに、美奈子が一瞬、自分がヴィーナスだと感づかれたのではないかとドキッとする。でもすぐそうじゃないことに気がついてホッとする。
 ホッとすると今度は、いたずらっぽい笑顔で「私のこと知らない女の子、初めて会った」と返す。これは「なんだこんなに有名な私を知らなかったってこと?」なんていう拍子抜けの気持ちが2割、「私ホントはヴィーナスなんだけど、まだ教えてあげないよ」といういたずらっぽい感じが8割、といったところでしょうか。
 それに対して「私テレビとかあんまり見ないから」という前のレイの、ちょっと得意げな笑顔は、有名アイドルだからって、別に特別あつかいしないわよ、という意味だろうな。でも特別あつかいしないと言うことは、ふつうに友情を感じているということでもある。気の強い二人の、心がふれあうなかにも線香花火みたいに挑発の火花が散る会話で、さりげなく今後の関係を語っていると思います。脚本も見事だし、それをきちんと演出した監督も偉いし、北川景子と小松彩夏も素晴らしい。後半バトルシーンの二人の、テンぱっちゃったようなテンションの高さとは対照的な、すてきな場面です。
 しかもそこから「でも友だちに、すっごいファンの子がいるの、前に病院でサインを貰ったみたいなんだけど」「うん、憶えてる」という会話につないで、主役のうさぎに話を振って、で場面は、失恋をごまかすためにカラ元気を出してクラウンで『C’est la vie』を歌ううさぎに切り替わる、という展開。こんなふうに、それぞれの場面がちゃんと意味をもって、しかも次の場面転換の引きにもなっている、という作りに、改めて感心しました。
 ただ後半になると、人によっては、マーズとヴィーナスのアクションと、失恋で落ち込むうさぎのシーンとの間を頻繁に行ったり来たりするのが、流れ的にちょっとこま切れ過ぎないか、という意見もあるかも知れませんね。でも私としては、後半の落ち込むうさぎをまとめて見せられるというのも重すぎるし、それからバトルの方で、変身後のヴィーナスの「たー」を初めとするアンドロイドなセリフ回しをずっと追い続けなければならないのも、ま、はっきり言って少々つらい。
 それからマーズ。ポージングはもうめちゃくちゃエキセントリックで美しいが、ちょっとよろけかかったり、アクション全体がまだイマイチなので、ポーズの部分だけ切り取ってスタントアクションと組み合わせて編集しなければならない。これもあんまり続けて見せられると、次第にツギハギ感がにじんでしまうと思いますよ。だから私は今回はこれでいいと思います。

5. ハードボイルド、OKだ


 テーマ的には暗い話を、セーラーマーズとセーラーヴィーナスの美の競演で盛り上げる、という趣向のせいで、どうして美奈子とレイに注意がいってしまいがちなこの回ではあるが、うさぎ・まこと・亜美の三人も丁寧に描き分けられている。初登場にもかかわらず、というか、初登場だからこそ、というべきか、ケンコー監督は、五人のそれぞれのキャラクターを、まずはきちんと押さえるのである。
 うさぎちゃんについては今回は語るのも可哀想なのでパス。ただ、恋を知って悩むようになってからのうさぎの方が、これまでの単純な元気娘のうさぎよりも、はるかに可愛く、美しいことだけは書いておかなくちゃね。とにかく、前回までと較べて美少女のオーラが20%は確実にUPしていると思う。もっとか。いずれにせよ、沢井美優にとっては、こういう複雑な内面をもつ役の方が、ただ元気なだけの女の子より演じやすいのではないだろうか。そういう彼女の表情を、カメラは細かいカット割りで丹念に拾っている。
 まことはどうか。今回まことは、傷心を隠していつものように元気そうに振る舞ううさぎをおかしく感じて、ぴったりついている。これまでなるの担当だった、うさぎの恋のサポーター役を、いつの間にかまことがやっているのである。
 なるが一人でひそかに応援してきたうさぎと衛の恋は、以降少しづつスケールアップして、セーラームーンとタキシード仮面の物語、そして前世におけるプリンセスとエンディミオンの物語へと発展していく。だから「月野うさぎ」しか知らない大阪なるに、これからも二人の恋を見守る役を担当させることは、話の展開上むずかしい。そこで今回を境にその役目は大阪なるから木野まことへとバトンタッチされる。役割のなくなったなるちゃんはひとまず物語から退場同然の状態になってしまいます。
 しかしこれはつまり、同情し、心配し、喜ぶ、などなど非常に豊かな表現力でうさぎの恋の相談役を巧みにこなしていた河辺千恵子の後任を、安座間美優がつとめるということなのである。身長では河辺さんに負けないだろうが、大丈夫か安座間、とも思うが意外と大丈夫なんですね。
 むしろ、表情とセリフ回しはまるでゴルゴ13のように感情を一切あらわさず、しかし常にうさぎをぴったりマークするというその行動によって、うさぎが心配で仕方がない内心を表現するという、安座間美優一流のハードボイルドな演技プランは、河辺千恵子とは対照的な「うさぎの見守り役」を作り出すことに成功している。いやいや、冗談ぬきで今回と次回の安座間美優は良いです。ぶっきらぼうな態度のなかに、うさぎへの思いやりがひしひしと感じられます。
 というふうに、美奈子とレイばかりでなく、けっこうみんながよく描けている回なんだってことに、今回の再放送で気づいたわけなんですが、問題は亜美だ。今回その心理が一番読めないのは亜美である。ただそれは、出番が少ないのでよく分からなかった、というのともちょっと違うと思う。

6. 亜美はどこへ行った?


 前回Act.16再放送に対する親方さんのレビューのなかに、「ただこの後の回に、亜美ちゃんとなるちゃんが仲良くしているシーンがあったりすれば、なお良かった」と書かれていた。
 そう言われれば確かにそうだ。今回、初めの方で亜美となるが仲良くなっている様子をワンカットでも入れれば、前回の話に対する気持ちの良いエピローグとなったのではないか。私もそう思います。にも関わらず、今回、長〜いアヴァン・タイトルが終わり、主題歌が終わり、恒例のダーク・キングダムでのいざこざが終わって場面が学校に移ると、そこは家庭科の教室で、うさぎとなるが並んで坐っている。亜美はちょっと離れたところにぽつん。なあんだ。状況はあまり変わっていないのである。
 ただそのことについては、すぐに家庭科の先生から説明がある「はい本日の授業はこれまで。A班の課題は、今日やった基本を踏まえてマフラーを編むこと。B班の人はワンピース。頑張って下さい。提出は期末テストまで」。どういうふうに班分けしたのかは不明だが、座席の場所を見る限り、なるとうさぎはA班(窓側)で、亜美はB班(廊下側)に分けられちゃったのだ。だから、仲直りはしたのだが、そういう理由で一緒には坐れない、ということなのだろう。で、先生の「せっかくだから、ワンピースは誰か着てくれる人、マフラーは誰かあげる人、そういうのをイメージして編むと楽しいわよ。恋人とかね」という言葉に、なるは「うさぎは当然、地場君だよね」と声をかけたりするわけである。
 場面が変わるとクラウンで、亜美はもうさっそく編み物に取りかかっている。マフラーである。でもさっきのシーンでは明らかにB班の側にいたのだから、亜美はホントはワンピースを編んでいなくちゃおかしくないか?
 そこで、というわけでもないが、まことが尋ねる「へえ。1組の課題はマフラーなんだ」「ワンピース作りも選べたんだけど、私マフラーなら得意だから」つまり亜美はもともとA班(ワンピース)だったのだけれど、自分から先生に申し出てB班の課題(マフラー)に変更してもらったのである。どうでもいいような話だが、以前の亜美だったら、先生に決められた課題とは別のものに変えたいと申し出るなんて、決してできなかったに違いない。まして、うさぎやなると一緒のマフラー組になりたいなんてこと、気後れしてとても言えなかったろう。でも亜美も前回の件で少し成長した。自分の希望を先生にもはっきり言えるようになったのだ、ということを、こういう細部の描写で暗示しているわけで、なるほどね、と思う。
 しかし亜美の心理を追えるのはここまでだ。ここからの亜美は、うさぎが「私も毛糸買いに行こうっと、タキシード仮面のイメージで!」と無理矢理な勢いのよさでクラウンを飛び出し、帰って来れば来たで美奈子の曲をハイテンションで歌いまくるのを、ただただ不審そうに見守るばかり。そしていざ「妖魔出現!」の知らせをルナから受け、現場に向けて三人が駆け出したところで、うさぎは衛と陽菜と再びバッタリぶつかってしまう。仲良さそうな二人を見ているのが辛くてその場を逃げ出したうさぎが、ついにこらえきれず衛への想いを告白する場面では、亜美は……いない。
 どこ行っちゃったんだ?もういちどビデオで見てみましょう。初回放送でいうと7:50のあたり、衛&陽菜とぶつかって、落とした編みかけのマフラーを陽菜に拾ってもらって、「ごめんなさい」と駆け出すうさぎを追うまことと亜美。「うさぎ(妖魔が出たのは)そっちじゃないだろ」と追いかけ続けるまことだが、亜美は途中で足を止めて「うさぎちゃん…」と見送る。これが今回の、亜美のラストカットである。そうか。
 だからようやく追いついたまことが「うさぎ、どうしたんだ」と強い調子で尋ねて、ついに頑張りの限界も尽きたうさぎが「彼女、国民的美少女だし、お姫様役だし、わたしはただの料理番の娘だけど、やっぱり止められないよ」とは言わないが、だいたいそういうようなセリフを言うとき、それを聞いているのは、まことだけである。
 結局、亜美はこの時、まことのようにうさぎを追うことも止めてしまったし、だからといってマーズ(とヴィーナス)を助けるために変身して教会に駆けつけもしなかった。亜美はそのまま引き返して、家に帰ってしまったのだろうか。分からないし、その心境も、分かるようで分からない。せっかく大阪さんとの仲も一段落ついたと思ったのに、こんどはうさぎが別のことで苦しんでいる。そしてレイもまた単独行動が目立つようになり、まとまりかけた戦士の結束が少しずつバラバラになってゆく予感を感じている、だいぶ後になってからの亜美の述懐を聞けば、だいたいそんな感じかとも思うのだが、本当のところはどうか。とにかく、駆け出すうさぎを追っているうちに、亜美は心にぽっかり穴が空いてしまったようになって、立ち止まってしまって、それ以上うさぎを追うことにも、闘うことにも無気力になってしまったのである。
 しかし理由はどうあれ、そういう亜美の心の空洞が、クンツァイトのつけいる隙となったことは間違いないだろう。つまり今回、亜美が最後にとった態度とそれ以降の不在とは、彼女のダーキュリー化に向けて張られた最初の伏線だと思う。ひょっとしてクンツァイトはひそかに「うさぎちゃん…」と言いながら立ち止まってしまった亜美を、どこかから見ているのではないかな。まあいずれにせよ、クンツァイトがもう亜美に目をつけていることは確かだ。だからジェダイトとゾイサイトが、体育館、ではなかった教会にプリンセスが現れたと騒いでいるのに、一向に興味を示さないのだろう。
 そういう意味で、ここからAct.20のラストに向けての亜美の心境というのは、私には分からない部分が多い。一応アヴァン・タイトルで本人の口から語られたりもするが、できるものならもうちょっと考えてみたい。しかし、よく分からないというそのミステリアスな感じが、ダーク・マーキュリーのたたずまいとマッチしているので、謎は謎としてとって置きたいという気持ちも、一方ではあったりする。まあ色々考えることは多いや。というわけで今回はこのくらいで。ばいばいき〜ん。


なお今回はルナ、アルテミス共にCGシーンは一切なし。


(放送データ「Act.17」2004年1月31日初放送 脚本:小林靖子/監督:佐藤健光/撮影:上赤寿一)