実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第22回】もう収拾がつきません、怒濤のAct.15レビューの巻(Act.15)


sakuraさん。リンクのお申し出ありがとうございます。いやもうぜんぜんOKです。


7月12日(水)深夜2時15分、Act.15再放送。視聴から日記更新まで間が空くことも多いので、これからは冒頭にメモしておくことにします。7月に入ったらもうちょっと更新のペースをあげて、と思っていましたが、なかなか体制が整いません。というか、観てしまうとやはりいろいろ書きたくなって、それを整理していたりすると、こんなものでもけっこう時間がかかってしまうのです。
 ところで『M14の追憶』で紹介されていた親方さんの『40歳からのヲタク道』、すでにセーラームーンリングに参加されているのでご覧になった方も多いと思うが、当方と同じく、名古屋で実写版再放送をフォローしているブログです。内容は、実写版と特撮関係全般と、あとミッシェル影山のライブレポートなんかもあって盛りだくさん。デザインも非常に洒落ている。それに較べると、ここはあか抜けないなあ。でもまあデザインフォーマットについては、うちは『ぼうたろうの日記』と同じものを採用しているので、自分のところを悪く言うと先輩ブログまで貶すことになってしまうか。止めておこう。ともかく心強いお仲間がいたと、こっちは勝手に喜んでいる。
 でも再放送はようやく1クールが終了したところである。まだあと8カ月ほどある。今後もこういうサイトが増えると嬉しい。みんなで走ろう。これを読んでいる、CBCが受信できる地域に住んでいる君、君もこの機会に、不惑の情熱を燃やしてみないか?
 いや別に年齢はどうだっていいのだが。

1. 真の女王は誰だ?


 さて、間もなく中日劇場で上演される、大地真央主演、シェークスピア原作のミュージカル『十二夜』のCMに続いてAct.15の始まりだ。中日劇場といえば名古屋出身の一路真輝というイメージが強いが、結婚で一時休業中だ。それで今年の夏は大地真央か。実写版の再放送が始まった頃は、パチンコのマツケンサンバCRとか『バルトの楽園』とか松平健の顔をよく見たものだが、最近すっかりいなくなってしまった。それで大地真央か。ひょっとしてクイン・ベリルの座を狙っているのか。大地真央のクイン・ベリルなら、ちょっと見たいかもな。まあいいや。実写版だ。Act.15だ。


 しかしあらためて観ると、いよいよ伏線というか、前後のエピソードとつながる描写が複雑に絡まって展開しているのがよく分かる。試しに今回はまず、主題歌が終わった後から、初回放送で言うと7時35分あたりまでの各シーンを順を追って見てゆこう。このわずか3分ほどの間に、どれほど「これまで出てきたエピソードの受け」と「以降のエピソードへの引き」が詰め込まれていることか。もう子供番組の域を完全に越えている。
 まずは初級編。月野家の朝食シーンだ。ママは「はい、チーズ入りオムレツ」とうさぎを喜ばせる。この回の演出はAct.10以来、二巡目の登板となる鈴村展弘監督だが、そのAct.10のうさぎは、チーズの入っていないプレーンオムレツを出されたことがきっかけで、ママとケンカして家出したのだ。そのことを思い出せたよい子のお友達は、何人いるかな?
 朝食のテーブルについたうさぎは、テレビを見て驚く。愛野美奈子の自宅に泥棒が入って、大事な宝石を盗まれたというのだ。「惜しまれるのは、以前はこういった事件には必ず現れていたセーラーVが、最近姿を見せないことで……」。その同じニュースを、地場衛も自宅のマンションで見ている。テレビを消して「セーラーVか」とつぶやく衛。
 そうか衛はAct.35で、ヴィーナスの正体を「セーラーVの頃から知っていたぞ」と言っていたもんな。そして彼女がプリンセスの名のりをあげたAct.12の現場にも、衛は居合わせていた。だからこの宝石盗難ニュースに特別な関心を寄せているんだな、と即座に理解できた君は中級編の合格者だ。君ならきっと、衛がどうやって、美奈子がセーラーVであることを知ったか、そのいきさつも、『Act.Zero』を観て知っているに違いない。
 しかし今の衛は、もうこれ以上タキシード仮面としてこの手の事件に関わり、セーラームーン=うさぎと接触を重ねるのはまずいとためらい始めている。なぜためらうか。うさぎを好きになりかけているからだ。なぜうさぎを好きになってはいけないか、というところでタイミング良く電話がかかる。「もしもし、はい、どうも。分かってます。でも、約束は卒業までですよね」相手の話の内容は明かされないが、婚約者の陽菜の父親が、早く二人でイギリスへ留学するよう督促している電話であることは、もう説明不要だね。これはまあ初級編その2か。でも次は上級編だぞ。私も何回かDVDで観るまで気づかなかった。
 ダークキングダム。前回セーラームーンの妖魔化に失敗したにもかかわらず、相変わらず自信満々なクンツァイトに向かって、ネフライトが「お前は所詮、復活し損なった失敗作。おとなしくもとの巣に帰ってろ」となじる。ネフライトはライバルの四天王の誰よりも、クンツァイトに一番コンプレックスを感じている。そんな彼の唯一のプライドのよりどころ、クンツァイトに対する優越感の根拠は、自分の方が先にベリル様に召還され、一方クンツァイトはずっと人間の世界に捨て置かれていたという事実だ。
 本当は、ベリルがクンツァイトを復活させなかったのは、さすがのベリルも彼を完全に手なづけて思い通りに操る自信がなかったからなんだけどね。でもネフライトはそんなことは認めない。ネフライトにとって、クンツァイトとは、ベリル様から見限られて長いこと放置され、シンなどという恥ずかしい人間の姿で暮らしていた役立たずなのだ。だから「復活し損なった失敗作」「もとの巣(人間の世界)へ帰っていろ」という罵りのことばが、思わず口をついて出る。
 しかしベリルはそんな二人のやりとりを見てひそかに思っている。そうかネフライト、ジェダイトに劣らずヘタレなくせに、自尊心だけは一人前でわらわのカンに障るお前のプライドとは、それか。ならばいずれ、お前にはたび重なる失敗への償いとして、死ぬこともできず人間界に戻されるという罰を与えてやろう。それがお前にとっては最大の屈辱なのだから。
 プリンセスムーンが覚醒したAct.36の最後、ベリルの術で自らを剣で貫いたネフライトが、その次の回でぶざまに人間として生き延び「クイン・ベリル!」と歯ぎしりする姿を見て、なーるほど、そういうことね、ベリル様のネフリンいぢめもここに極まれりだなあ、とたちどころにこのAct.15を思い出せたあなた、あなたきっと病気だよ。
 このへんにしておくが、次の十番中学校の朝の登校シーン、なると亜美の対面も、その次の放課後、クラウンでの衛とうさぎの出会いもぜんぶそういうふうに、前後の回とつながる。もうきりがない。そして今回のエピソードのハイライトは、バイクに乗った衛が「うさぎ!」と声をかけるシーンだ。ずっと前、この日記の第2回に書いたことだが、なぜ実写版の衛がAct.1の初対面以来、原作漫画やアニメのように「おだんご頭」と言わず、うさぎのことを「おい」「お前」ぐらいにしか呼ばなかったのか、その理由がようやく分かる。タキシード仮面とセーラームーンではなく、「地場衛」と「月野うさぎ」のシリアスな恋を描くのが実写版であり、その象徴として「互いが互いをいつ名前で呼ぶか」というテーマがずっと隠されていたことを、ここに至って我々はようやく知る。しかもうさぎが「衛」と呼ぶのは、これもAct.37、まだまだ先の話なのだ。
 女王様はベリルじゃない。伏線と呼ぶにはあまりにも長い放置プレイとじらし責めで我々を屈服させたのは小林靖子である。それを拾い集めるために、ビデオを繰り返して確認したあげく深夜の再放送まで観ている私は、もうネフライトやジェダイト以下の奴隷でございますご主人様。

2. なるの物語


 さて、次週へ直接つながる伏線ということで言えば、Act.15は、うさぎの友情を独り占めしたいというエゴに苦しむ亜美の葛藤が、続くAct.16でひとつのピークにいたる、そのための布石となっている回だ。その亜美のドラマがあまりに印象的なために見過ごされがちなのだが、Act.14、Act.15、Act.16という一連の流れが、亜美の物語であると同時に大阪なるの物語にもなっていることを忘れてはならないと思う。
 Act.14で、なるは夜遅く亜美の自宅のマンションを訪ねる。用事があってうさぎの家に電話をかけたら、育子ママから亜美の家にいると知らされたのだ。親友としては「なんでこんな時間に、うさぎと亜美ちゃんが?」という気持ちもあるはずだ。もしそういう面を強調したいなら、亜美が玄関のドアを開けたその時すでに、なるは疑惑や不信感を浮かべた硬い表情をしていて「うさぎがいるって聞いたんだけど、本当?」と問いただす、そういう演出になるだろう。でも実際には、おだやかななるちゃんらしい笑顔を見せて「遅くにごめんね」なのである。
 これは、なるは何も気づいていないということなのだろうか?これまで、うさぎがなるの知らないところで、セーラームーンとなって、亜美を初めとする新しい仲間と出会ったこと、そして人知れず戦いの世界に入っていったことを、なるはまだ何も察知していないのだろうか?私は違うと思う。

ホントは あたし ずいぶんまえから気づいてる うさぎにはあたしとはちがう「なにか」があること あたしなんかの入りこめない世界が うさぎにあるってことに でも あたしだって力になりたい うさぎ……

 これはなかよしKCコミックス5巻からの引用だ。なるはうさぎのことをとても大事な友達だと思っているし、うさぎのことをよく知っている。そしてカンも良い。この日記の第15回でも書いたが、なるはAct.9でうさぎから「さっと来て、さっといなくなっちゃう人」への思いを打ち明けられる。もちろんうさぎはタキシード仮面のことを言っているのであり、うさぎ自身、それが地場衛と同一人物であることをまだ知らない。ところがなるは、今回Act.15で、クラウンにいた地場衛とうさぎの何となくぎこちない様子を見るなり、ははあこの人だな、と直感する。本人さえ自覚しないまま、真相にたどり着いてしまっている。
 そういうなるちゃんだから、原作同様、うさぎと亜美の間に、何か自分には分からない、特別な関係があることも、おそらく気づいているのだと思う。しかしまあ、そんなのはお前の妄想だと言われたら取り下げてもいい。そうだとしても、実写版は、原作やアニメでは別のクラスだった亜美を、同じクラスという設定に変更しているのである。だから最近うさぎが何かと「亜美ちゃん、亜美ちゃん」と言い出すようになって、しかも何がきっかけでそうなったか、本当の理由は打ち明けてもらえない、という状況は変わらない。
 でもなるは、そのことをうさぎに不満としてぶつけたりせず、いままで通りにつき合っている。それはなるが、うさぎが自分を裏切ったり、理由もなく秘密を作ったりする子ではないと信頼しているからだ。そして亜美に対しても、なるの態度は変わらない。
 Act.5の亜美は、明るく社交的に振る舞ってクラスのみんなと友達になろうとして、でも結局もとの亜美に戻ってしまった。みんなは不思議がっているが、なるだけはうさぎの家のパジャマパーティーで、無理がたたって倒れてしまった亜美の姿を見ている。きっと何かあったんだろう。それにあれ以来ちょっとだけ、亜美ちゃんは私たちにとって近い存在になった。だから同じうさぎの友達として、亜美ちゃんとも少しずつ打ち解けていけるようになれればいいね。うさぎからCDを返してもらうために亜美の家を訪問したなるの、含むところのない笑顔は、そんな彼女の優しさを物語っている。
 けれども昏睡状態のうさぎを見せたくない亜美は、なるを閉め出してしまう。さすがにその時のなるは「何なの、一体」と憤然としてるが、その一方で(でも、あんな亜美ちゃん初めて見た)と心のなかでつぶやいてもいる。不信は感じながらも、いつにない亜美のせっぱ詰まった表情に、なにかよくよくの事情があるのだろう、とは感じているのだ。
 ところがそのなるが、Act.16では「なんで心配されなきゃいけないの」「そういう、自分を犠牲にしたような言い方、ずるいと思うんだけど」と、あからさまに亜美への敵意をむきだしにする。それはなぜか。その気持ちの変化が、今回、Act.15の朝の登校シーンで示されているはずなのだ。だからなるの物語を考えるうえで重要なのは、Act.16よりも、むしろ今回、Act.15なのだと私は思う。
 うさぎとなるは、下駄箱のところで会って、美奈子の宝石盗難の話なんかをしている。そこへ亜美がやって来て、うさぎは「亜美ちゃん、お早う」と言う。なるも振り向く。あの夜のことを思い出して、表情は険しい。亜美はうさぎに「お早う」とは答えるが、なるの視線につい、うつむいてしまう。
 なるは、わざと亜美を無視するかのように「ねえうさぎ、放課後いっしょにカラオケ行かない?」と誘う。これはうさぎと亜美、二人に対する挑発だ。なるにとっては、うさぎも亜美も、結局あの晩なにがあったのか、本当のことを話してくれなかったという意味ではどっちもどっちだ。でもうさぎとは前からの友達だ。だからうさぎに、まず問いかけている。どうする?私の気持ちを無視してでも、また「亜美ちゃんも」と誘う?
 案の定うさぎは「うん、じゃあ亜美ちゃんも一緒に行かない?今日は塾、休みの日じゃなかったっけ」と亜美にも声をかける。そうか。やっぱりそうなんだ。ショックを受けたなるは足を止め、亜美からもうさぎからも顔をそむける。その表情は暗い。
 けれどもなるは、うさぎの身体に手をかけたままその場に立ち、亜美の返事を待っているのである。「いいじゃん、行こう」とうさぎを強引に連れ去ろうとはせずに、亜美がどう答えるかを待っているのだ。これはなるから亜美への、無言の問いかけである。
 うさぎも最近、すぐ「亜美ちゃん、亜美ちゃん」で、私の気持ちなんか考えてくれない。けどうさぎはまだいい。だってうさぎは、亜美ちゃんと仲良くなったことまでは、私に隠そうとしていない。だからこんなふうに学校でも、すぐ亜美ちゃんを誘う。うさぎに悪気がなくて、できれば私と亜美ちゃんが仲良くなればいいと思ってそう言っていることくらいは、私にだって分かる。でも亜美ちゃん、あなたは違う。あなたは隠している。
 学校でうさぎから「亜美ちゃんも」と誘われれば、あなたはいつも、嬉しそうな顔をする。でも結局はいつも遠慮する。そうやって私たちにうさぎをゆずって、自分が犠牲を払っているような振りをする。でも本当はそうじゃない。あなたは学校の外で、あの夜みたいに、私なんか知らないところで、うさぎを独り占めしている。だから学校では遠慮できるんだ。それなのに「学校では大阪さんたちにうさぎちゃんを譲っているから」ということを言い訳に、うさぎとの仲を私たちに内緒でいる自分を正当化している。
 あの夜、あなたがとてもうさぎを大事に思っていることは、私にも分かった。私もうさぎが好きだから。だったら隠さないで欲しい。いま、私がうさぎをカラオケに誘ったら、うさぎはやっぱり「亜美ちゃんも」と誘った。あなたは嬉しいはずだ。だったら一緒にカラオケに来ると言えばいい。そうすれば私も、あなたが「大阪さんとうさぎちゃんが仲良しなのは知ってるけど、でも私もうさぎちゃんが好きだ」という宣言をしたと認めてあげよう。
 でもその気持ちを隠して遠慮するなら「うさぎちゃんと二人なら良いけれど、大阪さんがいたらイヤ」というメッセージだ。良い子ぶって私にうさぎをゆずる振りをしながら、私を無視する卑怯なやり方だ。だったら私もあなたに敵対する。
 長くなったが、ここでなるはそう亜美に問いかけているのだと思う。すごく緊張感のあるシーンだ。なるはじっと立ったまま、亜美の返事を待っている。結局、亜美はためらいがちに答える「あ、うん、でも私はいい」。その返事を聞いてから、なるは「えーっ」といううさぎを連れて去ってしまうのである。ひとり取り残される亜美。
 だからなるはAct.16で亜美のことが許せなかった。そして亜美も「学校では大阪さんたちがいるから」という言い訳が、自分の気持ちに向き合えない勇気のなさに対する自己弁護に過ぎないことを思い知って、自己嫌悪の泥沼に落ち込むのだ。
 Act.1の河辺千恵子を思い出して欲しい。初回というのは大抵、主人公のキャラクターを説明することに費やされる。でも実写版Act.1の沢井美優は、まだ始動しきっていないというか、主人公のうさぎがどういう子かということを、単独で視聴者にはっきりと伝えきるところまでいっていない。だから河辺千恵子がその分を補足している。いつものように遅刻してきたうさぎを温かく見守って微笑むなる。その罰で放課後に居残り掃除をさせられるうさぎに、ぞうきん持参でつき合うなる。そんななるの視線を通して、初めて我々は「こんなふうに友達から大切にされているうさぎって、ドジに見えるけどきっと良い子なんだろうな」と十分に理解できたのである。まあ少々、沢井美優より目立ってしまっていたけど。
 そして今回は、なるの冷たい視線が、浜千咲の心理的葛藤をくっきりときわだたせるための、なによりのサポート役になっている。なるの物語とセットになって、初めて亜美の物語が成立する。セーラームーンミュージカルで亜美を演ずる河辺千恵子に魅せられた人は、そのことをきちんと見届ける義務があると思うよ。

3. 美奈子こそハードボイルドかも知れない


  ところで『M14の追憶』のなかに「実写版は被害者不在の物語だ」という指摘がある。アニメ版のお話にはよく(1)その回のゲストが登場→(2)ゲストが妖魔に襲われる→(3)視聴者は「かわいそう。助けてあげてセーラームーン!」と思う→(4)セーラームーン登場、妖魔退治→(5)「やったあ。やっぱり正義は勝つ。ありがとうセーラームーン」というパターンが用いられていた。このタイプの物語は当然、見ている側が被害者に感情移入すればするほど、(3)「かわいそう」から(5)「やったあ」へのプロセスがカタルシスを生む。ところが実写版はこういう物語形式そのものを採用しない。だから「妖魔の被害にあってかわいそう」と感情移入できる被害者がほとんど出てこない。だいたいそういう観点から、実写版の特徴を考察していた。まあ詳しくはこちらでどうぞ。で、私は、実写版がそういう「被害者不在の物語」であることによって、一番得をしているのは、たぶん美奈子だということを一言そえておきたい。
 今回の物語の中心となる、愛野美奈子の宝石盗難事件は、実は美奈子自身の仕組んだものであった。そのことは最後の方、人目を避けるように何処かへ急ぐ美奈子とアルテミスの会話によって説明される。

白ネコ「窃盗団を利用して、敵の目をそらす作戦、成功だね。これでしばらくは行方を知られずに済む」
美奈子「でも、セーラームーンが絡んでたのは計算外。うまく切り抜けてくれたから良かったけど」
白ネコ「ああ、彼女に何かあれば、我々が時間を稼いでいることは、まったく無駄になる。難しいところだな」
美奈子「でも、あの子強いよ。きっと大丈夫」
白ネコ「ああ」

 みんな知っているとは思うが、念のため説明すると、つまりこういうことだ。今回のアヴァン・タイトルで、美奈子は珍しく自宅で夜を過ごしている。すると部屋の窓から、家の周りを徘徊する妖魔の影が見える。すでに美奈子がプリンセスであることを突き止めているダークキングダムからの刺客だ。銀水晶の所在が確認できたら襲って奪うようにと、ネフライトが差し向けたものらしい。
 そこで美奈子は一計を案じるのである。自分の大切にしている宝石を、窃盗団が盗むようにわざとしむける。そうやって盗難した宝石を妖魔が追っている隙に行方をくらまし、どこかに潜伏して、戦闘態勢を整えるのだ。
 ところが予想しなかったことに、うさぎ=プリンセスがこの窃盗団を見つけ、追跡するという展開になった。そのため窃盗団から宝石を奪い返したうさぎは妖魔に襲われるが、自力で妖魔を倒す。「セーラームーンが絡んでたのは計算外」「でも、あの子強いよ」というセリフから考えて、美奈子はどこかからこの顛末を見守っていたようだ。
 しかし考えてみると、これひどい話ではないか。もしうさぎと衛が宝石を奪い返していなければ、妖魔は直接、窃盗団を襲っただろう。まあ彼らなら悪い人たちだからいいか。でも一般人だ。それに、もし窃盗団が当の宝石をさっさとオークションにかけて売り飛ばしたりしていたら、妖魔はそれを落札した人を襲うわけである。さらに、オークション会場に乱入して、銀水晶を探しながら人々のエナジーを吸い取って、多くの犠牲者を出す、という可能性だって考えられる。
 美奈子の計画は、妖魔の攻撃の矛先を無関係な一般市民に向けさせて、その隙に自分は姿を消そう、というものだ。その結果、巻き添えをくった一般市民がどうなるかは考慮されていない。プリンセスと銀水晶を守るという大事な使命のためには、その程度の犠牲はやむをえない、という感じだ。
 そういう美奈子の立場は一貫している。Act.7では、セーラーVはセーラームーンに「タキシード仮面に近づいては駄目」と忠告するためだけに遊園地に現れる。カメ仲間の高井君に取り憑いた妖魔が、カメリュックにエナジーをかき集め、人々がばたばた倒れてもお構いなしだ。Act.8もそう。ナコナココンテスト会場に不吉な気配を察知した美奈子はさっさと退散する。そこにうさぎ=セーラームーンがいることを知っていたら違う態度をとったかも知れないが、自分のファンが妖魔に襲われるかも知れないとか、助けてあげなくちゃとか、そういうことは考えていない。
 でも我々はそんなに「美奈子、ひどいなあ」とは思わない。どうしてかというと、たとえばもし今回、なるちゃんのママがオークション会場に来ていて、そこへ美奈子の宝石を狙う妖魔が現れて、またしてもなるママが被害にあったりしたら、みなさんはどう思いますか?
 私だったら「オレ昔から薬師丸ひろ子より渡辺典子の方が好きだったもんな」と思いますね。いやそうじゃなかった。最後の美奈子のセリフを聴いたら「なんだ。じゃあこれ、ぜんぶ美奈子の計画?それでAct.1に続いて、今度もなるちゃんのママが巻き添え食らったの?ちょっとひどくない、美奈子」だいたいそう思うよね。
 けれども実写版は、感情移入できる被害者のいない物語だ。よく知らない一般市民が街で妖魔にばたばた倒されても、あまり胸が痛まない。「エナジー吸い取る」っていうのが「殺す」ではないことの意味も大きい。だから美奈子の事務所の社長が街で人々を襲い始めたときなんか、どっちかっていうと被害者のみなさんより斉藤社長の方を面白がって見ていた。そういうふうに、わりと被害者の側に立たずに見ることができたせいで、美奈子の冷淡さも、気にならずに見過ごすことができたのだと私は思う。

4. 宝石をめぐる冒険


 さあそして主役二人のメインイベント「愛野美奈子の宝石を盗んだ窃盗団を追う」エピソードだ。
 第19回に書いたことの繰り返しになるが、うさぎはまだこの時点では地場衛の正体を知らない。だからいまの彼女が「タキシード仮面」ではなく「地場衛」に思いを寄せていことは、視聴者にもはっきりとわかる。それときちんと対をなすには、衛も「セーラームーン」ではなく「月野うさぎ」に恋をしなければいけない。ところが衛はかなり前のAct.7で、うさぎが変身するところを見てしまっている。だから衛が彼女の危機を救ったり、好意を示しても、それが「セーラームーン」に対するものなのか「月野うさぎ」に対するものなのかは分からない。あるいは地場衛自身にも分からないのかも知れない。
 そこをはっきりと、衛がうさぎを好きなのは、彼女が特別な力をもったセーラームーンだからじゃない、普通の女の子として好きになったんだ、と視聴者に納得させることができるか、このへんがスタッフの腕の見せどころである。そしてAct.13の舞原監督は、演出の力をフルに発揮して、衛とうさぎの距離を一歩(7センチ)縮めてみせた。で、このAct.15は、同じテーマに対する脚本家からのアプローチだと思う。衛の心理を追っていくと、そのことがよく分かるのだ。
 衛は今回の冒頭で、テレビで美奈子の宝石盗難のニュースを知る。美奈子がセーラーV=プリンセスだと知っている彼には、それが幻の銀水晶かどうかを確かめたい、そしてセーラームーンに会いたい、という思いがよぎったに違いない。ところがそこへ電話がかかる。先に書いたように、おそらく陽菜との結婚とイギリス留学についての話だ。だから彼は、これ以上うさぎに心が傾いてもいけないし、もう記憶を追い求めてタキシード仮面になることも止めなければいけない、今回の件には関わるのを止めよう、と考えを改める。
 しかしなるの計略でジュエリーオークション会場でデートするはめになったうさぎと衛は、その美奈子の宝石を盗んだ窃盗団と出くわしてしまう。うさぎは美奈子ちゃんのために彼らを追おうとする。でも関わりたくない衛は、「バカか、こういうのは警察の仕事だ」とうさぎに言う。
 ところが警官は、うさぎを子供あつかいしてその訴えに真剣に耳を傾けようとしない。うさぎは怒って、自分ひとりで泥棒を追跡する、と言い出す。で問題は、衛がそういううさぎにつき合う、というところである。地下の駐車場で窃盗団を待ちかまえる二人。

うさぎ「別に、手伝ってくれなくても、いいのに」
  衛「さっきの警官の態度、ちょっと頭に来たからな。オレたちで取り返すのも、面白いかも知れない」

 まあこの人は怪盗タキシード仮面なので、基本的に警察に対しては敵対心が強いのですね。だからこのセリフに込められた気持ちはウソじゃない。ウソじゃないが、でもそれが本音かといえば、ちょっと違う。たぶん本当は「うさぎを放っておくと、何をしでかすかわからない、オレが付いていないと」という思いの方が強い。「なにしろ無鉄砲で危なっかしい奴だからな」でもその底にもうひとつ本音が隠れている。うさぎと一緒にいたいのだ。
 だいたいうさぎはセーラームーンに変身すれば、こんな宝石泥棒は手もなく捕まえられる。そしてうさぎが実際そうするつもりであることも、直前の「やっぱり自分で取り返す」「どうやって!」「そりゃあセーラームーンに変(しまった〜!)」というやりとりで明らかに示される。だから衛としては、適当に理由をつけて帰るふりをしておけばいいのだ。そして影から見守って、まずい状況になったら、タキシード仮面として現れて助ければことは済む、と言うかその方がスムースにことは運ぶのである。Act.9で、ニセタキシード仮面騒動の結果、警官に追われる羽目になったうさぎを救ったように。
 でも衛はそうしないで「オレたちで取り返すのも、面白いかも知れない」なんてカッコつけたことを言って、うさぎに寄り添う。ここがこのエピソードの第一のポイントだ。衛は、うさぎがいざというとき変身できないような状況を自分から作っている。つまり衛はセーラームーンではなくて、月野うさぎと一緒にいたいのだ。「衛はうさぎがセーラームーンであることを知っている」という設定を利用して、衛のうさぎへの気持ちをうまく表現している。脚本家の技である。
 それに今回は、彼女を変身させずとも目的を果たせるという自信が、衛にはある。なにしろこの人はタキシード仮面だ。名うての宝石泥棒なのだ。同業者の考えそうなやり口は分かる。その先手を打って、宝石奪回のプランを練って実行すればいい。だから衛の計画はなかなか堂に入っている。そんな彼に、うさぎはうさぎで「頼れる男」を感じて、ますますときめいてしまう。で、色々あって、「うさぎ!」と声をかけられてドキッとしたりしながら、二人はまんまと窃盗団から宝石を奪い返す。つまり衛がタキシード仮面としての知識と能力を、ここでは「善いこと」に使う。そのきっかけを、うさぎが作ってあげている。ここがもう一つのポイントだ。
 これまで衛は、自分の記憶を取り戻すためとはいえ、内心うしろめたい思いで宝石泥棒を繰り返してきた。でも今日はそのノウハウを、逆に泥棒をやっつけるために使うことができた。だからすごく爽やかだ。「久しぶりに面白かったな」という衛の笑顔はそういう意味だ。そしてそういう気持ちになれたのも、この子のおかげだ。特別な力を持った戦士セーラームーンではなくて、普通の女の子、でもなぜか不思議な魅力に満ちた月野うさぎという少女が、オレの心にすがすがしい風を吹き込んでくれた。
 うさぎも、いつもつっけんどんで、ひねくれたものの言い方ばかりしていた衛が、こんなにも無邪気で屈託のない笑顔を見せてくれたのが嬉しくて、その横顔を見つめている。そうすると衛と目が合ってしまって、やっぱりドキドキ。このとき、うさぎは髪を下ろしている。プリンセスの髪型だ。
 どうしてかというと、今回は衛のバイクから降りてヘルメットを脱ぐシーンがあったのだ。おだんご頭でヘルメットはかぶれなかったのだろう、ヘルメットを脱ぐと豊かな黒髪が流れ出る。もちろんAct.13にも衛のバイクに乗るシーンはあったが、降りてヘルメットを脱ぐシーンはなかったから、前後はずっとおだんご頭で通している。そして今回も、駐車場で窃盗団から逃げたときには、おだんご頭だった。そういう意味では、今回もヘルメットを脱ぐところでカットを割って、脱いだら何事もなかったかのようにおだんご頭、というのが正しいのだろう。つながり的には。
 でも、ここはこれで正解だなあ。衛の前で初めて髪を下ろした姿を見せ、ちょっと恥じらうようなうさぎ。その瞳は初めて知った恋にときめき、その髪は風になぶられている。いやあ、青春っていいなあ。

 でまあ、ここから先、お約束の妖魔登場があるが、みなさん「おい今日の日記はいつになったら終わるんだ」と不安になり始めてはいないかな。何を隠そういちばんそう思っているのは私なのだ。水曜日深夜に再放送を見てからこの二日というもの、睡眠時間を削ってプライベートタイムのほとんどを費やして書いているのだが、一向に終わる気配がない。本当はアクションシーンも今回はなかなか充実していて、セーラームーン登場シーンの、バンクを使わない決めゼリフと決めポーズとか、今回のうさぎの単独アクションの頑張りぶりとか、そういったあれこれのこともある。次回への引きとしての、亜美とレイの問題については、まだ一言も書いていない。そういう意味ではもっと書きたいのだが、いくらなんでも長過ぎだ。私にもほかにやらなきゃいけないことはある。というわけでこのへんでやめておきます。最後までお付き合いいただいたみなさん、お疲れ様でした。どうもありがとうございます。


 ラスト。陽菜のことがあってちょっと複雑な表情の衛は、それでもバイクを指して、うさぎに「送って行く」と声をかける。その時のうさぎの嬉しそうな笑顔。バイクに乗り、もうためらいもなくぎゅっと衛を抱きしめる。ここでまた『オーバーレインボー・ツアー』だ。ひょっとすると、ここから次回の最後に陽菜の存在を知るまでが、シリーズ中、うさぎにとって最も幸福な時間だったのかも知れない。


(放送データ「Act.15」2004年1月17日初放送 脚本:小林靖子/監督:鈴村展弘/撮影:上赤寿一)