実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第2回】やっぱ小林靖子は凄いぞの巻(Act.1)



初回の日記を「M14の追憶」に取り上げていただき、さらに関西支部ぽんたさんからもコメントを寄せていただいて、晴れて名古屋支部として公認されたようである。というわけで、今日からここは私Leo16の個人日記であると同時に「名古屋支部ひみつ基地」ともなります。でもお願いですから「名古屋支部って、何の?」とか聞かないでくださいね。
さて前回も述べたように、実写版セーラームーン再放送がいよいよ東海地区限定で始まったわけである。水曜深夜2時45分から3時15分という時間帯は、視聴率稼ぎという意味ではやはりネックとはなるだろうが、この時間に放送されること自体にさほど違和感はない。というよりAct.1なんか観た感じでは割とよく合っている。なにしろ冒頭がセーラーV颯爽登場、かつて「朝からいきなりパンチラがっ!」「でもこの人スタントだっ!」などと一部を騒然とさせた例のシーンなわけです。それを、今や「あのグラビアアイドルの」小松さんが演じるのですから、これはもう、むしろ深夜枠での放送にこそふさわしいとさえ言える。

そして杉本彩。この人も、こういう時間帯での再放送を予見していたかのごとく、濃厚な夜のオーラを振りまいておられますなあ。初登場場面では、妖魔が倒されたことを知って、燭台に燃える炎を手にとって握りつぶし、「許さん」と言うシーンがあるのだけれど、この炎がCG。初めのうちは、ルナはもちろん妖魔もCGで、特撮的には贅沢なのであるが、この杉本彩とCGの組み合わせっていうと、『花と蛇』の予告編にあった、苦悶する彩さまの身体をCGの蛇が這いずり回って口の中に出たり入ったり、なんて妙なシーンを思い出したりします。いやあすみません。何しろ真夜中なんで色々考えちゃうんですよ。
なんてことを細かく挙げていったらキリがない。今回は、改めてAct.1を観て「うーんそうだったのか」と発見したことがありますので、後はそれだけ書いておきたいと思います。
そもそもこの実写版の魅力がどこにあるかと問われれば、皆さんはどう答えますか?私はやっぱり(1)大河ドラマのようなストーリー展開、(2)フィクションとドキュメンタリー的要素の並行性、という二点を挙げるだろうな。つまり、基本的に一話完結となっていたアニメ版とは違い、全体がひとつにつながった大きな物語となっていること、それから、その物語の流れのなかで、美少女戦士たちが(役柄の上で)成長してゆく姿を、彼女たちが現実の十代の少女として、演技者として成長してゆく姿とも重ねて観ることができること、という二点です(まあ演技者としての成長は人それぞれであった)。
そして物語の大河ドラマ的な連続性という点についてさらに言えば、全話の脚本を担当した小林靖子による巧妙な伏線が、この実写版を何度見直しても面白い作品にしていることは間違いない。とにかく観れば観るほど、初めのほうでさりげなく示された登場人物のセリフや行動が、後々のエピソードで重要な意味をもってくる、というような発見があちこちにあって、飽きないのだ。

ただそういった仕掛けが本格的になるのは、始まって何回か経ってからで、亜美・レイ・まこと、と次第に戦士が出揃うあたりまでは、スタイルは一話完結に近い。とくにこのAct.1は、これはこれで「セーラームーン誕生編」というまとまった内容になっている。もちろん、冒頭のタキシード仮面とセーラーVの対決、ジェダイトと最後に登場するクイン・ベリル、といった次回以降に持ち越される謎の提示はあるが、これらは、言ってみれば作品世界の土台を固めるための基礎工事であって、後になって「あ、これはそういうことだったのか」と膝を叩くような伏線、というのとはちょっと違う。まあ、亜美ちゃんが、うさぎが遅刻した教室のシーンでワンカットだけ映る、なんてのは次回への効果的な引きではあるけどね。
ともかく、私はだいたいそんな風に思っていた。しかし改めて観ると、小林靖子一流の、かなり後になって利いてくる伏線が、すでにこの初回から張られていることに気づいた。それはうさぎと衛の出会いのシーンである。これがとんでもなくその後の物語に響いているのだ。

原作漫画でもアニメでも、衛は始めて出会ったうさぎのことを「おだんご頭」と呼ぶ(漫画では最初に「たんこぶ頭」と言い、うさぎの「これはおだんごって言うのよ!」という抗議を受けて「じゃ、おだんご頭」と言い直している。どうでもいいことだが)。これは山本鈴美香『エースをねらえ!』で、丘ひろみが最初に宗像コーチから「そこの目ダヌキ」と呼ばれるのと同じだ。つまりけっこう可愛い呼び名だけれど、馬鹿にしたような感じもあって、こういうセリフによってヒロインは相手にムカッとする。でもその「ムカッ」がやがて特別な感情に発展してゆくであろうことが、読者や視聴者にはある程度予想できる。そういう意味ではけっこう重要なセリフだと思うのです。しかし実写版ではAct.1でもその後も、地場衛は「おい」「お前」としかうさぎを呼ばない(もしくは「月野こぶた」というのもありましたね)。

実写版と言えば、上戸彩主演の『エースをねらえ!』でも宗像コーチはひろみを「目ダヌキ」とは言わなかったが、まあこれは上戸彩のきりっとした瞳が「たぬき」を連想させない、ということなのだろう。しかし沢井美優はきちんとおだんご頭しているのである。ただ変身前の髪型では、おだんごは漫画やアニメに較べて、ちょっと小さい。さすがに実写なのでそんなにデフォルメできないのである。だから「おだんご頭」というセリフは止めにしたのか。いや、私は違うと思う。というか今回そう思った。つまり小林靖子はこのシーン、初めて二人が出会う場面で、漫画やアニメ版では常套句となっていた「おだんご頭」という呼び名を封じることによって、やがて二人が恋人同士になってからも、やはり漫画やアニメのように「うさこ」「まもちゃん」とは、もはや呼び合わないであろうと予告しているのである。
そして「うさこ」「まもちゃん」と呼び合わないことが、実写版における二人の関係を、アニメ的なラブコメ調から遠ざけてゆく。

Act.15、宝石泥棒をめぐって展開されるドタバタ劇の最後に、衛は思わず「うさぎ!」と叫ぶだろう。そしてそう呼ばれたうさぎは「えっ」と驚く。いつしか芽生えていた衛への想いを自覚し、とまどうのである。ここらへんから、やがて陽菜という実写オリジナル・キャラクターも絡んで展開するうさぎの恋のドラマは、ちょうど同時期にセーラームーンミュージカルの舞台でうさぎを演じていた黒木マリナとも、あるいはその遙か源流としての三石琴乃とも違う、沢井美優のために用意され沢井美優によって演じられた、実写版だけのうさぎの物語だ。そしてうさぎが思わず「まもる!」と叫ぶまで、我々は言わずと知れたプリンセス・ムーン覚醒のAct.36まで待たなくてはならない。その一言は二人の仲がベリルによって引き裂かれた瞬間に叫ばれる。そしてこれをきっかけに、物語は最終局面、禁じられた愛が世界の滅亡をもたらす悲劇的な結末へと進んでゆく。こんなふうに、二人が互いをどう呼ぶかということは、実写版の物語展開にとってかなり重要な問題である。そしてそのための布石はこのAct. 1、初手から打たれていたのだ。
いやーやっぱり小林靖子、凄いよ。つーことで今回はこれまで。