実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第739回】君の名は特撮王の巻


 矢島信男さんが亡くなった。東映特撮のレジェンドで、「特撮研究所」の創立者でございます。合掌。


 特撮監督の矢島信男が11月28日、老衰のため91歳で死去したことが特撮研究所への取材を通じて明らかになった。1928年7月24日に埼玉県で生まれた矢島は、松竹や東映にて特撮監督として活躍。テレビ作品では「宇宙刑事ギャバン」「ウルトラマンタロウ」「ミラーマン」に参加したほか、映画では「魔界転生」「里見八犬伝」などで深作欣二とタッグを組んでいる。また1965年には映画やテレビ作品のSFXやVFXを手がける特撮研究所を創設した。2006年には第4回文化庁映画賞・映画功労部門、2011年には第34回日本アカデミー賞協会特別賞を受賞している。(『映画ナタリー』2019年11月29日)


 矢島信男については『東映特撮物語 矢島信男伝』(洋泉社 2014年)という、本人へのロング・インタビューをまとめた伝記本も出ているくらいで、これを読めばいいだろうって話だけど、買いそびれていま手許にない。すみませんそのうち取り寄せます。でWikipediaを見ると、松竹出身で、最初にかかわった映画作品は大庭秀雄の『君の名は』(第1部・第2部1953年、第3部1954年)だという。そうなんだぁ。



 『君の名は』は(ひょっとして知らない人もいるかもしれないので書くが)ラジオドラマを元に松竹で映画化され、大ヒット作となった岸惠子と佐田啓二のすれ違いドラマ。携帯電話が普及した現在、こういうベタなすれ違い恋愛ドラマはありえない。と思ったら、新海誠監督『君の名は。』がスマホ時代なりのすれ違いメロドラマを成立させ、大ヒットさせたからすごい。もうひとつ共通点を言うと、アニメ『君の名は。』が、大災害を背景にした個人的なボーイ・ミーツ・ガールの物語であるのに対して、本家『君の名は』も、東京大空襲という「災害」(描き方は災害である)を背景にしたボーイ・ミーツ・ガールの物語である。空襲シーンはまるで『ゴジラ』みたいで、それもそのはず、特撮スタッフには円谷英二と川上景司の名前が出ている。



 川上景司はもと東宝で円谷門下であったが、1940年に松竹にヘッドハンティングされる。この年、東宝が海軍の命令で制作したバリバリの軍事メカ映画(と今なら評価されるんじゃないか)『ハワイ・マレー沖海戦』が評判になり、特撮の重要性を感じた松竹の城戸四郎が、けっこうな高額で円谷の特撮スタッフを引き抜き、大船撮影所に特撮課を設立したのである。そこへやってきたのが、1949年に松竹に入社した矢島信男なのだ。



 しかしそういう軍事映画ばっかり撮っていたことが災いして(海軍の命令に従っただけなんだけどね)戦後になると円谷英二は、GHQから戦意高揚映画に積極的に協力した罪で「公職追放」という処分を受けて東宝を依願退職、生活にもけっこう困っていたらしい。大映京都の『透明人間現わる』(1949年)で復帰して、あとは旧知の川上景司がいる松竹でも仕事をして、『ゴジラ』(1954年)で復活するまでのしばらくは苦労したようだ。『君の名は』はそういう時期の作品である。










 かわいいなあ岸惠子。ともかく矢島信男はここで円谷英二の知遇を得た。ただ翌年の『ゴジラ』(1954年)には、参加の打診は受けたけれども松竹の社員だからと断わったそうで、その後も交流は続いたが、現場で円谷英二のもとで働いたことは、これ以降なかったようだ。
 で、以降の矢島さんは、松竹で10年を過ごした後、大川博に誘われて1959年に東映に移籍し、東映特撮の屋台骨を支えつつ、1965年には退社して特撮研究所を設立。以降は東映だけではなく円谷プロやピープロともかかわりをもって、円谷英二と比肩しうるくらいの、日本特撮界のお父さん的な方に成られました。


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 代表作といっても、作品数が多すぎるわけだが、私だったらやはり『キャプテンウルトラ』(1967年)『宇宙からのメッセージ』(1978年)といった宇宙ものと、『ジャイアントロボ』(1967年~1968年)『大鉄人17(ワンセブン)』(1977年)といった巨大ロボットものを挙げるかな。


 
 『大鉄人17』は、東映としては『ジャイアントロボ』以来およそ10年ぶりの巨大ロボットもので、このあと巨大ロボットの系譜はスーパー戦隊に引き継がれていく。スーパー戦隊の巨大ロボットは第3作目の『バトルフィーバーJ』(1979年)とその次の『電子戦隊デンジマン』(1980年)では単体だったが、第5作目の『太陽戦士サンバルカン』(1981年)から、複数のメカが合体してロボットになるパターンが採用される。そしてシリーズを重ねるごとに合体の形式もロボットの数も増えてくる。まあこのあたりはスタッフよりもスポンサーの玩具メーカーの意向なんだろうね。そうなると特撮の現場もややこしい。そんなとき、メカのアイデア出しとか、ロボットの変形や合体のプロセスを分かりやすくコンテにまとめて、矢島信男に気に入られたのが佛田洋さんだったそうです。佛田洋は第14作目の『地球戦隊ファイブマン』(1990年)で、矢島信男の後を継いで特撮監督に就く。以降スーパー戦隊やメタルヒーロー、仮面ライダーなどの特撮監督として、また矢島信男が設立した特撮研究所の代表として活躍されていることはご存知のとおり。



 実写版セーラームーンの特撮関係のクレジットとしては「特撮監督」として怫田洋(特撮研究所)、「VFXスーパーバイザー」として佐藤敦紀(Motor/lieZ)、「視覚効果」として冲満(日本映像クリエイティブ)の名前が挙げられていて、さらに「Motor/lieZ」(瀬川信康・丹羽学・渡部韻・直井健太郎)「特撮研究所」(足立亨・捻橋尚文)・「日本エフェクトセンター」(内田剛史)、日本映像クリエイティブ(長部恭平・柳原嘉宣)と続く。で、仕事の区分はどうなっているのか。


『セーラームーン』のVFXには、『戦隊』『ライダー』と同様、佛田洋特撮監督が主宰する特撮研究所、モーターライズ、日本映像クリエイティブ、日本エフェクトセンターの4社が結集している。作業は分担制になっており、変身シーンやルナをモーターライズが、必殺技を特撮研究所が、合成カットを日本クリエイティブが担当し、3D合成の貼込作業を日本エフェクトセンターが受け持つという形になっている。(『宇宙船』2004年1月号, 35頁)


 これはあくまでも基本で、実際にはそう簡単に割り切れるものでもないらしいが、ともかく変身シーンに関しては、Act.1からAct.6にかけて初披露される、ヴィーナスを除く4戦士のメイクアップ、それからAct.36でセーラームーンがさらにPムーンに変身するシーン、どれもMotor/lieZが担当している。Act.21のダーキュリー、Act.27のセーラールナについては未調査だが、やっぱりMotor/lieZじゃないかな。



 そして「ムーンヒーリングエスカレーション」「マーキュリーアクアミスト」「妖魔退散」などの必殺技は特撮研究所の担当。面白いのが「シュープリームサンダー」で、佛田洋は「原作やアニメのジュピターは、ティアラから伸びたアンテナがカミナリのエネルギーを蓄電するけれど、実写版の安座間美優は足が長いから、安座間の足を避雷針にしよう」と言ってあのポーズが決まったらしい。皆さんどう思われるか、私は好きだな、実写版のシュープリームサンダー(笑)。




 という「変身はモータライズ・技は特撮研究所」という分担体制の例外がヴィーナスの変身シーンで、これだけはモータライズではなく特撮研究所が全面的に担当した。佛田洋が、ヴィーナスの変身バンクだけは他の戦士と違う感じにしたい、といって自分の会社に引き取ったらしい。何か思い入れがあったのかな。でも気合いを入れ過ぎて、モデル歩きをしたり毛染をしたり、他の戦士の変身シーンにないイベントを盛りだくさんに入れ込んだ結果、セーラー戦士中メイクアップ時間が最長となり、初披露のAct.27以降、フルバージョンで放映される機会は二度と来なかった。まあ長いといってもほんの数秒だけどね。これについては初期の『M14の追憶』の考察(ここ)を参照されたい。






 さてヨタ話をだらだら書いていたら、だいぶ時間を使ってしまった。実は今回、MBSの深夜ドラマ『左ききのエレン』(10月21日)を取り上げようと思っていた。渋江譲二本人が第6話から出演するってSNSで告知していたし、私自身『ぼくは麻里なのか』『賭ケグルイ』に続く池田エライザと仲村ゆりかの共演作として、TVerで配信されていたのを観ていたからね。だけど渋江君ってば、第6話が始まって待てど暮せど画面に見えず、ようやくエンディングにちょろっと出てきて、セリフをひとつ言って終わってしまった。目黒広告社のエースクリエイターだった神谷(石崎ひゅーい)が独立するため退社することになり、神谷チームにいたデザイナー朝倉光一(神尾楓珠)と三橋由利奈(今泉佑唯)の配置をどうするかが話題となる。




古 谷「神谷チームが解散して、新体制をとることになった。まずは朝倉と三橋をどうするかだ」



渋 江「ウチみっちゃん欲しいなあ。女性向け商品の案件、増えてきているし」


 役名すら分からないので渋江としておいた。で結局、朝倉はちょっとサディスティックな風貌の柳(丸山智巳)の部下に配属される。



 丸山智巳は渋江譲二と同じ長野県出身で、先日一緒に長野市でボランティア活動をしてきたそうだ。千曲川も堤防が決壊したもんな。



 なおヤプログが来年一月で閉鎖されるので、渋江譲二「矛盾の男」はnoteへ移動(ここ)移し方がよく分からないのでヤプログの過去ログは、おそらくそのまま消えてしまうということだ(笑)。あいかわらずマイペースな渋江君でした。ツイッターもめちゃくちゃ面白い。最近おススメのAV女優は「山岸逢花」さんと「天川そら」さんだそうです。
 東映特撮のレジェンド矢島さんの追悼から始まったのに、変なことになってしまいました。とにかく『左ききのエレン』については、こんな感じなので、今後もレビューするかは分からない。次回から年内は、メインコンテンツに戻ろうと思います。DVDレビューAct.16ですね。初回放送は2004年1月24日、今から15年以上前の作品です。ではまた。